8/18お題『なし』

 ――それはいつのことだろう。昼のことだったか。夜のことだったか。



 すべてが曖昧のまま、通りを歩く。

 生きているのか。

 死んでいるのか。

 何も分からない。

 何もかもが浮ついて。

 朝も夜も分からない。

 今日はいつだったのか。

 昨日は何をしていたのか。

 自分が誰だったのか。

 紅い。

 世界が紅に染まる。

 ここは境界。

 昼と夜の。

 朝と夜の。

 永遠に交わらないはずの二つの世界の交錯点。

 人は言う。

 ここは逢魔が時。

 そこには人にあらざる者が住むという。

ひたひたひたひた

 足音が響く。

ひたひたひたひた

 薄っぺらいスリッパか何かの音が早いような、遅いような、不思議な感じに響く。

「あ」

 ――やってしまった。

 私はそこでようやく正気に戻った。

 いいや、正気に戻ってしまった。

 紅の世界に一人、私は立ち尽くす。

 気づくべきでは無かった。

 大通りを顔のない人々がゆらゆらと通り過ぎていく。

 誰も私に気づかない。

 誰も私に気づけない。

 気づかなければよかった。

 そうすれば私も道を行く誰でもない何かとして逢魔が時をやり過ごし、朝か夜を迎えることが出来た。

 けれども、不幸にも私は昼と夜の間、あるいは夜と朝の間に迷い込んでしまった。

 時間にすれば五分にも満たない僅かな狭間。

 けれども、気づいてしまえば永遠の紅がそこにある。

ひたひたひたひた

 また、聞こえる。

 人ならざる者達の足音。

 ――どうして私はいつもこうなのだろう。

 ただの女子高生のつもりなのにいつもいつも変なところで「感」が働いてしまう。

 なんとはなしに私は下を見た。

 目が合う。

 私の影の中で何者かの目がぱちりと開き、にやりと笑った。

 ――ダメだ、考えちゃ。

 私がそう思えばそう思うほどにぼやけた何かは境界線を手に入れ、実体を伴っていく。

 紅の世界で長く伸びた私の影からにゅるりと黒い何かがふくれあがり、「現出」した。

ひたひたひたひた

 何かを言いたいようだが私には聞き取れない。

 あるいは、聞き取れなくて良かったのだろう。

 もし相手の声を認識していれば、怪異はきっとさらなる力を得ていたに違いないのだから。

がしゃぁぁぁぁぁぁんっ

 大通りに金属のぶつかり合う大きな音がした。

 怪異との目線が外れ、私の鼓膜がきぃぃぃんっと打ち抜かれたのを感じる。

 しばらくは耳が痛くて何も聞こえないかも知れない。

 そして現れたのは――。

がしゃんっ

がしゃんっ

がしゃんっ

 耳は聞こえなくとも、地面を伝って強烈な反響が全身へと駆け巡る。

 現れたのは現代日本には似つかわしくない巨大な全身鎧。西洋甲冑。

 その鉄兜の奥ではこの世ならざる青白い炎が燃えている。

――「贄を」――

 相変わらず音は聞こえない。

 けれども、西洋甲冑の頭部の青白い炎が揺れると不思議と言いたいことが理解できた。

 ちらりと先ほど私の影から現れた怪異を見ると憐れなことに小さく小さく縮こまっていた。

――「贄を」――

 死霊の騎士の青白い炎が揺らぐ。

 紅の世界で私と影の怪異はたじろいだ。

 不意に、私は思いつく。

 おそるおそる私は手を伸ばし、影の怪異を指さした。

ひたたたたたたたたたっ

 途端、影の怪異は慌てふためき、ギロりと私を睨んでくる。

 しかし、もう怖くはない。

――「贄を」――

がしゃんっ

がしゃんっ

がしゃんっ

 死霊の騎士が鎧をならし影の怪異へと向かっていく。

ひたひたひたひたひたひたひた

 影の怪異は私の影から飛び出し、小さな女の子の形を取りながら素早く駆けた。

 死霊の騎士は――。

がぎんっ

 背負っていた長大な槍を手に取ると、それを投げた。

 槍は光を吸収しながら一本の黒い矢となって紅の世界を切り裂いていく。

 矢が通り過ぎていくほどに世界が剥がれ落ち、真っ暗な夜へと落ちていく。

ずっっ

 終わりはあっけなかった。

 投擲された死霊の槍が影の怪異を貫いたと同時に紅の世界は砕け――。

『七時のニュースをお知らせします』『やーすいやすいのトミタスーパー! みんな大好きトミタスーパー!』『ぱっぽー! ぱっぽー! ぱっぽー!』

 騒がしい街の喧騒が耳に響く。

 自分のよく知る夜の街の風景がそこにあった。

「ふぅ」

 と思わずため息をつく。

 どうやら助かったらしい。

 昔からこういう変な怪異には縁がある。

 そろそろお祓いでもしてもらうべきかもしれない。

 ――でもまぁ今回もなんとかなっ……。

ミシッ

 何かにひびの入る音がした。

 音のした方へ目をやると大通りにある『飛び出し注意』と書かれた小学生のハリボテの頭にヒビが入っており。

 やがて、ハリボテはバリボリムシャリ、と見えない何者かにかみ砕かれそして跡形もなく消えてしまった。

「…………」

 私を瞬きをすることも忘れて思わず小学生のハリボテがあった空間を凝視する。

 幸いなことに何も起きることはなかった。

 ――大丈夫。きっと私は贄じゃない……はず。

 その日、私はなんとか無事に帰る事が出来た。

 しばらくは眠れない夜が続くのだろう。



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