8/21『誤字』
「字が読めるんですね、あなた」
声をかけられて私は目をぱちくりした。
私はどこにでもいる日本の女子高生。
ただ迷子癖がきつく、気がついたら見知らぬ土地に迷い込んでいることが多い。
今日も今日とて私は見覚えのない場所に迷い込み、帰り道を探そうと立て看板を除いていたら声をかけられたのである。
「いや、分かんないですね」
私のはっきりとした物言いに話しかけてきた地元民のおばさんは笑顔を見せた。
「でしょうね」
「この看板、一体何が書かれてるんですか?」
「さぁ?」
なんでもこの看板はこの街にある寺のありがたい住職様がありがたい筆をつかい、ありがたい水でありがたい墨をすすってつくったありがたい墨汁でありがたい紙に記したとてもありがたい告知なのだという。
「はぁ、それはそれは、よく分からないですけれどとてもありがたいですね」
「ええ。おかげで最初はみんなありがたや、て何度も拝んでたんだけど」
「はい」
「そのうち飽きてきまして」
「なるほど?」
「ちょっとしたアレンジを加えるようになり」
「料理みたいですね」
「最終的にこんな誰にも解読不可能な達筆な文字に」
「だいたい料理の話でしたね」
自己満足の極みである。
「なんたる無礼っ!」
突如として怒声が響き渡る。
顔を上げると数千段はありそうな長大な石階段の最上段から顔を真っ赤にした住職らしき人が駆け下りてきた。
「なんたる無礼かっ! ホントに無礼か! マジで無礼か! うぉぉぉぉおおおおおお……ぜーはーぜーはーぜーはーぜーはー」
一気に石段を駆け下りた住職はそのまま私の前で力尽き、膝をついた。
「……帰って良いですか?」
「ちょい待って」
「……はい」
気がつくと先ほどの地元のおばさんの姿は消えている。
――黙って消えれば良かった。
「すーはーすーはー……はぁ、はぁ……。
よし。
やい、小娘。
人のありがたい看板に書いたありがたい紙にあるありがたい墨のありがたい告知になんという罰当たりなことを!」
「罰当たりはあなたの方ですよ、住職」
「ぬわぁにぃ!」
「誤字です」
「なっなぁんじゃとぉ!」
「ぎりぎり読める範囲でたぶん一番上に書いてるのこれ、『告』って書きたいんだと思いますけど、この文字多分、『知』になってますね」
告知の時に「告」だけを書くことは多いが、「知」だけ書くことはまず聞かない。
たぶんこれは誤字だろう。
「そ、そんな、ワシは今までなんという間違いを……ずっとずっと、間違えてきたというのか」
「ありがたい看板にそんな間違いとはマズいんじゃないですか?」
と私が口にした途端、看板からありがたい紙が幾つも幾つもあふれだし、意志を持つがごとく次々と住職に殺到し、全身に張り付いていく。
やがて、包帯男のごとく真っ白な紙に全身を覆われた住職はそのままぐしゃり、と紙に巻き締められ動かなくなった。
「…………こわっ」
私はあらぬ疑いをうける前にそそくさとその村から逃げ出した。
了
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