8/20お題『後悔/ヤシの実』

 さざ波の音が耳朶を打つ。

ざざぁん

ざざぁん

ざざざぁん

 空を舞う海鳥たちの声が幾重にも響き渡り、潮の香りが鼻をくすぐる。

 そう、ここは海。

 紛れもない海。

 その事実を自覚した時、思わず私は天を振り仰いだ。

 目を閉じて、ちらりと開けるけれどもやはり海は消えずにそのままだった。

「また迷ってしまった」

 いつもの事ながら私は道に迷っていた。

 私はどこにでもいるふつうの女子高生。

 あらゆる時代、あらゆる場所、あらゆる空間を迷走する、何処にでも流れ着く迷子のプロフェッショナルだ。

 つい先ほどまで山道を歩いていたはずなのだが、ついつい近道をしようと獣道を歩いてみたら道を踏み外し、気がつけば崖から落ちて――そして椰子の実の木がぽつんと一本だけ生えている絶海の孤島にいた。

 おかしい。何故山道を歩いていたのが無人島にたどり着いてしまったのか。

 果たして迷子とはなんなのか。

 色々と考えるべきことは多いかもしれない。

「ま、いいか」

 面倒くさくなった私はすべてを諦めた。

 考えても仕方ない。

 迷子とは神の悪戯。

 人の手でどうにか出来るものではないのである。

「いやいや、ご主人、それはおかしい」

「うひゃぁっ」

 私の着ていたパーカーからにゅるりと縞模様の特徴的な猫が現れた。最近迷子先で拾った猫である。

「え、あなたしゃべれたの?」

「お忘れですか。初めて会った時はしゃべってたでしょう」

「……ああうん、そうだったわね」

「あ、絶対に覚えてないですねー、ダメですねー」

 にゃんともかんとも、と縞猫は困った顔をした。

 猫でも困った顔をするのだと私は初めて知る。

「というか、どうやって私のパーカーに入っていたの? 全然重さを感じなかったのだけど」

「猫なのでどこにでも入れるだけです」

 縞猫はえへん、となにやら得意げな顔で二つある尻尾をぱたぱたと振る。

「へー」

「ちょいちょい、ちょっとお待ちをご主人」

「はい」

「ここは誉めるところです。そんなことないよ、絶対すごいよ。素敵。あなたみたいな美雌猫見たことないっ! とか誉めるところですよ」

「ビメスネコ、て初めて聞く言葉ね」

 美少女は分かるけどメスネコに美をつけて褒め言葉になるような気がしないのは気のせいか。

 縞猫はにぃぃぃぃ、となにやら不満げな鳴き声を上げる。

 獣風情が生意気なことだ。

「ところでここはどこか分かる?」

「うーん、どこかの海神の領域でしょうか。神気を感じます」

「おお」

「きっと昔から漂流者が現れやすい場所なんですよ。そういうところにご主人は吸い寄せられやすい体質みたいですからね」

「なるほどなんでも知ってるのね。すごーい」

「まあねぇ。歴戦の雌猫ですからねぇ。それほどでもあるけどね」

「じゃあどうやったらここから出れると思う?」

「簡単ですよ、古来より大事な者を海に捧げれば神はきっと答えてくれるはずですにゃぁ!」

 縞猫の言葉が終わるやいなや私はむんずっと縞猫の首を掴み、全身のバネを使って縞猫を海へとぶん投げた。

「ぎにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 猫の声はエコーとともに思った以上に遠くへ飛んでいき、ちゃぽんっ、と静かに海へと沈んだ。

 後はただ、さざ波の音が砂浜に響き渡るのみ。

「…………」

 私はなんとも言えず、砂浜に体育座りをした。

 しばし待つ。

ざざぁん

ざざぁん

ざざざぁん

どごぉぉぉっ!

 海面に水柱が立つ。

 体育座りのままそれを眺めていると。

どごぉぉぉぉっ!

どごぉぉぉぉっ!

どごぉぉぉぉっ!

ざぱぁぁんっ!

 断続的に水柱が立ち上がり、無人島へと近づいてきて、最後には巨大なサメが浜辺に打ち上げられた。

「……はぁ、はぁ、はぁ……」

 サメのぎざぎざの口の中からわかめまみれの縞猫が息も絶え絶えに出てくる。

「わぁすごーい。つよーい」

「心ない棒読みの賛辞と適当きわまりない拍手やめてもらっていいですか?」

 注文の多い雌猫である。

「え? なんで? 信じられないんですけど?

 私みたいな可愛い猫にこんなことします?」

「言っておくけど、私は自分のことを可愛いと思う女は全部敵だと思っている」

「全生命体の雌は自分が最高にかわいいと思ってるのでそれは無茶な話ですよ」

「つまり、敵ね」

 再び首根っこを掴もうとしたら縞猫はさすがに飛び退いた。

 二本のしっぽを激しく振るわせ全身総毛立つ。

「あんた、猫又なんでしょ? 猫の妖怪かなんかでしょ? 一回死んでるんだから私のために死んでくれでもいいじゃない?」

「ちょっ、猫又は死んでないから妖怪になるタイプの怪異ですよご主人! まだ私は死んだことありません!」

「……へー。つまりこれが初体験になるんだ」

「くっ、なんだこの人。怪異に対する畏れが足りない!」

「うっさいわね。私は連日の迷子で気が立ってるからもう猫の妖怪ごときの命は気にならないの」

「ひーん! 人でなしっ! ご主人についてきたこと大後悔ですよ!」

「いやいや、勝手について来て勝手に居着いてるだけじゃん」

「にゃんと。そんな認識でいらっしゃったので!?」

 がぁん、と何かやたらショックを受けて立ち尽くす。縞猫。

 私は黙って首根っこを掴もうとしたが肉球でたたき落とされた。

「むぅ」

「なりませんよ! 私は絶対贄にはなりませんよ!」

「えー、じゃあ何を海神に捧げればいいのよ」

 と、私はため息をついて縞猫から目線を逸らし――。

「あ」

「あ」

 私に一拍遅れて縞猫も何かに思いついた声を上げる。

 私達の横には砂浜に打ち上げられた巨大なサメの死体が横たわっている。

「いけるんじゃないかしら?」

「いけそうですね」




 結局、その日は海にサメの死体を還したらなんか日本の田舎町に帰ることが出来た。よく分からないけれど、神様がオッケーを出してくれたのだろう。

 人外達の考えることはよく分からないものである。



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