8/7 お題「なし」

「無だ」

 虚空を見つめて少女は呟いた。

「あぁ……あぁ……あああああああ」

 虚ろな目でよだれを垂らしながら少女はぐらりと身体を倒し、ソファーに横たわった。

「暇」

 彼女の心は既に死んでいた。

 街では疫病が蔓延し、外出禁止令が出ている。

 欲しいゲームを買う金は無く。

 見たい番組は全てスポーツの祭典の特番で潰されており。

 仲の良い友達はみんな田舎に帰省してしまった。

 スマホでやりとりそのものはしているがみんな返事は遅い。

 そして聴きたくもない親戚の愚痴だけが流れてくるし、こちらが反応しなければ「ねえ読んでる? ちゃんと返事して? ヨッちゃんは暇なんでしょ」とメッセージが飛んでくる。

「無しかない」

 もうこの世は滅んでしまっていいのではないか。そんな気持ちさえ浮かんでくる。

「暇なら宿題でもしたら?」

「そういうことじゃないの。馬鹿。死ね」

 通りすがりの弟に軽い罵声を投げかけつつ少女の中で世界が滅びれば良い度が上がったのを感じた。

 宿題。

 実はもう夏休みも半ばを過ぎたのでいい加減手をつけるべきなのだが、一ページたいりとも手を付けていない。そんな事実を思い出し、少女は死にたくなった。

「あんたは宿題やったの?」

 弟に言葉を投げかけるも返事はない。

 これは許されざる事だった。

 世の中の弟と妹はすべて姉に絶対服従の奴隷であるべきだと少女は常々思っていた。絶対専制君主である姉に逆らうような弟には制裁を加え、上下関係を分からせてやらねばならない。

「ちょっと!?」

 声を荒げるも答えはない。

 怒りによって身体を起こすも周囲には誰も居なかった。

 通りすがりの弟はそのまま部活の夏練に出て行ったのだろう。

「はっ、姉を無視して出かけるなんて死ね」

 少女は再び虚ろな目をしてソファーでばふっ、と寝転がった。

「むむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむ」

 行き場のないストレスを抱え込み、意味のない奇声を発する。

「……さて、今何回『む』って言ったでしょう?」

 返事はない。

「答えは……知るかそんなもんっ!」

 リビングはただただ静寂であった。

 間を置いて、大きな大きなため息がはかれる。

 そして虚無のままテレビをつけようとして、やっぱり気が向かずに消した。

 無である。

 スマホがぶるぶると震え、また帰省した友人の親戚の愚痴らしきものが通知欄に表示されたのでスマホもリビングのテーブルに放り投げた。

 よくよく考えるとやることならある。

 登録しているスマホゲーが一斉に夏イベントを開催し、水着のイケメン達のガチャが色々と開催されたり配布されたり泣けるストーリーが公開されたりしている。

 だがそれらに一切やる気は起きなかった。

 一切が無情である。

「もしかしたら悟りを開いたかも知れない」

 リビングは静寂であった。

「…………」

 蹴飛ばす相手の弟も妹も居ないのでただただフラストレーションがたまる。

 空腹でお腹が小さく鳴く。

 パンでも焼くか。

 いや、それも面倒くさい。

 そして気がつけば時計を見ると三時を回っている。

 驚くべき事に半日を無駄に過ごしてしまった。

 そして大量に残った夏休みの宿題はまだ手つかずのままである。

 このまま放置していてはただ破滅の未来が待つのみ。

「……やるか」

 まずはパンでも食べてエネルギーを取った後観念して宿題でもしよう。

 遂に決意を果たした彼女は立ち上がると共にテーブルに投げたスマホを掴んだ。

 するとスマホの通知欄に「ニコ:彼氏が出来ました/画像添付有り」の表示。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 思わずスマホのロックを解除して画像を見る。

「許せぬ」

 棚からせんべいを取り出し、バリボリと食べながら少女はすさまじい速度で新規のSNSグループを立ち上げ、知り合いの女子を召集し、先ほど送られてきた画像をアップロードした。クラスの女子達の悲鳴のコメントが次々と即レスで帰ってきてこの抜け駆けに対してどのような処罰をすべきかと処刑方法について語られていく。

「これは……忙しくなってきた」

 少女はふっ、と野太い笑みを浮かべながら、今夜は徹夜で学級会だと決意を新たにした。

 無である。



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