8/3 お題『ノンアルコール×怪獣』

「そんなことで怪獣を」

 親友の言葉に私は耳を疑った。

 ぐいっと第三のビールをかっくらい、ぷっはぁっと大きく息を吐く。

 そして改めて親友の言葉を吟味した。

「つまり、まとめると、酒を飲まなくても怪獣に襲われない方法がある、と」

「そう」

 親友ケータの言葉にしかし私は首を傾げる。

「新手の宗教? 今じゃ怪獣対策に酒を飲むのは人類の常識だよ。

 どこの古代人の戯れ言なのさ」

 それは二十一世紀も終わりの頃のお話。

 とある奇病が蔓延し、社会が崩壊しかかった時、追い打ちをかけるように巨大な怪獣が海から出現し、次々と文明社会を破壊して回る事件が起きた。

 これはもはや人類の終焉か――誰もがそう思った時、ひときわ怪獣に襲われない安全地帯があったのだ。

 路上飲み――である。

 どういうわけか、巨大怪獣は路上で酒をカッくらい踊り狂う若者やホームレス達には絶対に襲いかからなかったのである。

 逆に酒も飲まずにまじめに働いている者達のいる街を、村を、オフィスを、官庁を、ともかくつぶし回ったのである。

 結果どうなったのか。

「もしかして、酒が足りないんじゃない? ケータは昔から飲酒量少なかったし」

 私達は赤子の頃からずっと酒を飲み、酔っ払って生きてきた。

 怪獣から逃れるため、私達人類は朝も昼もただただ酒を飲み続け、夜には酔いつぶれて寝るのが正しい生き方となった。

 今や酔わずに生きているのは酒を造る聖職者達のみである。

 村の大事な決まり事も、市政も、国のやりとりも、世界の行く末も、すべて酒を飲みながら決める飲酒文明の時代である。

 無論、世の中にはまじめな人もいるもので、酒を飲むのは良くないという禁酒教徒達も隠れ住んでいるのだが、そういう者が住む地域には何故か怪獣が出現するのである。

 おかげで今じゃホワイトハウスでも大統領が腹踊りしながらロシアを挑発し、ウォッカをがぶ飲みした大統領がクレムリンでもうめんどくせぇから核撃とうぜ、と言い出したりしてなかなか世界の危機が日々起きたりしている。

 そのたびに酔いの覚めた側近達が慌てて止めに入るのだが、時々側近達が酔いつぶれている間に核ボタンのスイッチを押しかけて世界が終わりかけることが先月も4度ほどあった。なかなかスリリングで楽しい飲酒文明の時代だ。

「……これだよ、ユイコちゃん」

 差し出されたのは紙に包まれた一本の瓶。

 私はおぼつかない前後不覚な手で苦労しながらなんとか瓶から紙をはぎ取った。

 一升瓶だが、中にはオレンジ色の液体がぎっしりと詰まっている。

 ラベルには何も書かれていない。

「……もしかして、『禁酒』?」

「ふっふっふっ」

 ケータは答えない。

 さぁっと酔いが覚めるのを自覚した。

「ちょっ、あんた……何を考えて」

 今の時代、どんな飲み物にも必ず少量のアルコールが混ぜられている。 

 コンビニにもスーパーにも、飲料は酒か、水しかない。ミネラルウォーターを除く全ての飲料は酒なのだ。

 けれども、このラベルのない一升瓶は――。

「感じる……間違いない、この飲み物は」

「開けてみなよ」

 ケータがいたずらっ子のような顔で笑う。

 彼はいつもそうだった。

 子供の時から私の前でいつもそんな無邪気で、恐ろしい少年の笑みを浮かべる。

ぽんっ

 蓋を開けると濃密な果汁の香りが部屋に蔓延した。

 その強烈な匂いが鼻孔をくすぐり、部屋に漂うアルコールの香りを一気にかき消した。

「あわわわわわわ」

 先ほど酔いは醒めたはずなのに思わず手が震えそうになった。

 これは流通の禁止されている禁酒<アンチアルコールドリンク>――『ぽぉんじゅーす』に違いない。

「しょうが無いなぁ」

 ケータは苦笑しながら私から一升瓶を取り上げた。

「あ」

 名残惜しげに伸ばした手に彼はコップを渡してきた。

「はい」

 とぷとぷとぷ、とコップに『ぽぉんじゅーす』が注がれていく。

 私はごくりと息をのんだ。

「――でも、私」

「どうぞ」

「――でも、でも」

「おあがりよ」

 ケータの言葉に観念し、私は人生のすべてを賭け、コップに注がれた禁酒を口にした。

「あっ」

 甘い。

「あっ、あっ」

 自然と涙がこぼれた。

 身体の隅々まで果汁の甘さが広がっていくのを感じる。

 まるで口の中すべてがミカンの甘さと酸味が広がり、まるでミカンの海にめくるめくおぼれていくような感覚。

 そこには――一切のアルコールはない。

「美味しい」

 くしゃり、と私の顔が崩れるのを感じた。

「こんなに美味しい飲み物、生まれて初めて」

 ミカンジュース。

 飲酒文明では失われたかつて人々が口にしていたという至高の飲料。

 二十一世紀の人類達はこんな美味しいものを口にしていたというのか。

「おかわ――」

「頂戴」

「ははは、きくまでもなかったね」

 私がコップを差し出すと、彼は笑顔で再び「ぽぉんじゅーす」を注いでくれた。

「美味しい……世の中にこんな美味しいものがあったなんて」

 今、私はまさに幸せの絶頂に居た。

 不意に、巨大な何かの叫び声が遠くで聞こえた。

 遅れてずしんっ、ずしんっ、と巨大な音と共に大地が震える。

「ちょ、ケータ! やばい、アルコールを早く摂取しないと」

「大丈夫。言ったろ、酒を飲まなくても助かる方法があるって」

 ずしんっ、ずしんっ、と言う震動はどんどん大きくなっていき、いつしかずどん、ずどんっ、と破壊力のありそうな音にかわりつつある。

「それとも、君は我慢出来るのか。こんな美味しい飲み物が飲めない生活を」

 ケータは相変わらず笑っていた。

 そう言えば、今日の彼からは飲酒者特有の酔いが感じられない。

 もともと酔いにくい体質だったけれど、幼なじみの私は普段の彼はもっと酔っていることを知っている。

「……でも」

「選ぶんだ。

 酔って生きるか。

 酔わずに生きるか」

 馬鹿げた話だ。

 ミカンジュース一つのために命を賭けるかなんて。

 けれど。

 ――けれども。

「教えて欲しい。どうすればいいかを」

 彼の顔から笑みが消える。

「ありがとう。待っていたよ、その言葉を」

 そして私達は――。



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