第3話 狡い願い
仲のいい幼馴染は、夏休みに入っても足繁く私の家を訪れてくれた。
それはまるで、過去のいつかの日にタイムスリップしたようで、心の中でほくそ笑む。何歳になっても、何年経っても、私は、愛されているのかと嬉しかった。こそばゆくて、感謝した。
ツーショットがお揃いな幼馴染。
「毎日、部活あるの?」
「土日はない」
用意したカフェオレで喉を潤しながら、勇志が答える。
勇志が手土産に買ってきてくれたスイーツを彼と私の前に置き、「あのさ、」とごにょごにょと口を開いた私に一瞥を寄越した勇志は「一之瀬は来てないぞ」と的確な返事をしながら、スイーツの入った容器の蓋を開ける。
「……そうなんだね」
「ずっと見てない。高校にも来てなかったんじゃないか? 知らんが」
「……そう」
「咲桜が気にすることじゃない」
勇志はいつだって、私に優しい。ティラミスに舌鼓を打ちながらも、何でもないことのように、言い放つ。そんなに気を病むな、と。
「この問題は、あいつが解決する必要がある。種を撒いたのは、あいつだからな」
「……勇志はさ、喧嘩両成敗の考え方じゃなかったっけ?」
「これはあれだ。追突事故なら、10:0ってのがあるだろ? それだ」
「車のことはよく知らないけど。そうなの?」
これは私の問題でもあると思うけどな、とティラミスの蓋を開けて一掬い。口の中に広がったココアパウダーのほろ苦さとマスカルポーネの柔らかい舌触りが、私を最高に幸せな気分にさせる。私は、単純な人間だと思う。難しく考え過ぎる事もあるが、基本、目の前に美味しそうなものがあれば食べるし、食べれば幸せを感じる。
表情にはあまり出さないが、勇志も幸せそうにティラミスを食べ進め、そろそろ完食しそうだった。勇志は意外と甘党。変わらないなぁ……昔から。
「あのさぁ、私ね。幼馴染で集まる時間が、好きなんだ。私と、渚と勇志と……それから、朝陽と」
突然なんだと向けられた視線を、まっすぐに受け止める。
「きっと、皆もそうなんだろうなって思うと、幸せな気分になる。何度も言うようだけど、記憶を無くしても変わらず傍に居てくれて、ありがとう」
「………別に。記憶なんて、関係無いだろ」
言葉少なに、いつかの渚と同じようなことを紡いでくれる幼馴染。私は今から、そんな彼を傷付ける。
「これからも。ずっと変わらず………“大切な幼馴染”のままでいてね」
「……」
「朝陽には彼女が出来て。少しずつ、私達は形が変わっていくんだなって、実感したんだ。当たり前だよね。子供の頃とは違う。だけど、これから先も変わらないものがあるとするなら、この時間がずっとかけがえがなく大切ってことなんだと思う」
「……」
「大学生になって、住んでいるところもバラバラになったとしても。誰かが全然知らない誰かと結婚しても。これから、何年も何十年先も、ずっとずっと。大切な、幼馴染で居て欲しい」
勇志はいつだって、誰よりも他人に優しい人間だから。
私のこの残酷な言葉の意味をすぐに察して、何も聞かずに、頷いてくれるはずだ。この、卑怯な私を、赦してくれるはずだ。狡くてごめん。
脳裏に、渚の顔が過る。苦痛に歪んでいるその顔に、「君のせいじゃないよ」と声をかけたかった。けれど、その言葉に、どれ程の意味があるだろうか。想像の中の私は、結局今にも泣き出しそうに歪む渚に、言葉をかけることが出来なかった。
なんで、人は人を傷付けながらじゃなきゃ、生きられないのだろうか。
傷付きながらも生きていく“生”を、人は、美しいと
どうだろう、私は。
出来ることなら、誰も傷付けず、誰にも傷つけられずに生きていきたかったな……なんて。エゴかな。
「わかったよ」
感傷に浸っていた気持ちが、勇志に向く。焦点を合わせると彼は、困り顔で笑っていた。
「わかったから、泣くな」
歪んでいたのは、想像の中の渚の顔じゃない。私の視界。
「………ごめん」
「謝らなくていい。おれは、傷付いてないから」
「うん。ごめん……」
身勝手な涙が、ぼろぼろと零れた。
私が今、泣くのは違うのに。ごめんね、と言葉が溢れて、ますます勇志を困らせてしまう。
これ以上困らせたくなくて、見せてられなくて、両手で顔を覆うけれど、指の隙間から、涙と一緒に嗚咽が漏れた。
勇志は、そんな私に指一本も触れず。落ち着くのを、ただ、傍で待っていてくれた。
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