第2章 『初恋の人』

第1話 かつての日常


朝陽はるきくんっ」


 眩い朝の陽射しの中に、萌える木々の緑の中に、ーーー具体的には、いつも行く近所の公園にその人の姿を見付けて、私は嬉しくなって駆け出した。朝陽くんと遊んでいたなぎさ勇志ゆうしがこちらを振り返るが、気にも止めずに朝陽くんの胸の中に飛び込んだ。


「おー!ちびっこ!相変わらず、勢いがいいなぁ!」


 わしゃわしゃと頭を撫でられて、未だに彼の胸に顔をうずめたままに、照れて緩んだ顔を隠した。

 朝陽くんの暖かい体温は、彼そのもののようだ。そうして暫く、彼の体温をしっかりと感じてから、抱き付いていた腕をほどいて、手を繋ぐ。


「何してたの?さくらもいーれーてっ!」

「勿論。行こう、咲桜。渚と勇志も、咲桜が居た方がきっと楽しい」


 手を引かれ、男の子に混じって仲間にいれて貰えるのが嬉しかった。私含む四人組は近所でも有名で、公園に走って向かう間にも、何人かの人達に「公園で朝陽くん達が遊んでたわよ」と声をかけてくれた。そんな大人の人達に見守られながら、いつも四人で公園や近所を駆け回って遊んだ。


 春は鬼ごっこにかくれんぼ。

 夏は用水路でザリガニを釣ったり、虫取りしたり、公園の近くの名前も知らないおばぁちゃんの家でスイカをご馳走になったり。

 秋は日が暮れるのが早くなったので、私の家に皆がそれぞれ、ゲームを持ち込んで遊んだ。

 冬は寒さにも負けず、やっぱり外を走り回った。暗くなればやっぱり、私の家でゲームをして過ごした。

 毎日が刺激的で、発見が沢山で、『楽しい!』が忙しかった。

 他の三人は私よりも色んなことに詳しくて、皆の話を聞くことも本当に好きだった。中でも、三歳年上の朝陽くんは物知りで、運動神経も飛び抜けていて、子供心に憧れの存在だった。

 名前のまま、朝の日差しのように柔らかく優しい彼に向けたこの感情が、『特別な好き』だと気が付いたのは、小学五年生の時だ。

 丁度それくらいの頃から、母は仕事を始めていて、夕飯には一人で食べていた。母が作ってくれたものを温めたり、時には自分で作ったりした晩御飯はいつもなんだか味気無かった。しん、と静まり返った音の無い家の中が、どうにも好きになれなかった。

 学校の後、渚と勇志と三人で私の家に帰り、一緒に宿題をした。宿題の後、やっぱりいつものように、ゲームをしたりテレビを観て過ごす。まるで、兄妹みたいだねって色んな人達から言われていた。それでも、私達は兄妹ではないので、二人とも十八時頃には帰ってしまう。


「咲桜ー!居る?ごめん、家の鍵忘れちゃって。親が帰ってくるまで、お邪魔してていい?」


 誰も居なくなった家にインターフォンの音が響き、びくりと肩を震わせた。しかし続く声に、ほっとして、玄関の鍵を開けた。

 部活を始めた朝陽くんは、帰宅の時間がぐっと遅くなり、同じ時間を過ごすことが減った。それでも、こうして度々、訪れてくれる日があった。


「いいよっ!寂しかったし!」


 まさかこの歳になって、抱き付いてしまうような事はなかったけれど、それでも前傾姿勢で中へ招き入れた。


(あ、『寂しい』って言っちゃったな…)


 ちらりとそんなことを思ったけど、朝陽くんはそれに関しては何も言わず、「お邪魔します」とスリッパを履いた。

 一緒にテレビを観ながら他愛ない会話。

 窓の外が段々と暗くなり、そわそわと落ち着かなくなる。誰かと過ごす時間は幸せで、その分、一人になるとしんと静まり返った部屋に、自分が今一人なんだと言うことをより強く実感してしまって、一層辛くなる。

 

「学校は楽しい?」

「今何習ってるの?」

「咲桜は部活、なに入るんだろうなぁ」


 色んな話を振ってくれて、私も受け応えをするが心は此処に無く。やがて、何処からともなく最近流行りのドラマのエンディング音が流れ、ああ、朝陽くんのお母さん、帰ってきたんだなぁと思った。その頃にはもう、心に上手に鍵をかけることに成功して、「寂しい」も「哀しい」も感じず、無表情になっていた。


「ああ、うん。そう、咲桜の家。うん、あ、今日、咲桜と御飯食べて帰るわ」

「えっ」


 お母さんとの通話を切り、朝陽くんは真っ直ぐに私を見て、にっと八重歯を覗かして笑った。


「と、言うことで。僕の晩御飯の準備も宜しくな、咲桜」




 ーーーーー…私は。




 やっぱり、殺しきれなかった「寂しい」を自覚して、でもそれは朝陽くんのお陰で「嬉しい」に塗り変わって、ぽろぽろと涙を溢してしまった。


「なーに、泣いてるんだよ」


 言葉こそからかうようなそれだったが、朝陽くんは私の頭を引き寄せて、その胸に包み込んでくれた。ポンポンと頭を優しく叩いてくれながら、「今日はカレーとみた!咲桜のおばちゃんの作るカレー、めっちゃ美味しいからな!」……太陽のよう。




 朝陽くんは、いつだって、私の太陽だった。




 結局その日は一緒に母が作り置きしてくれていたカレーを食べて、私がお風呂を入る間も居てくれた。寝かし付けまでしてくれるんじゃないのか?って勢いだったけど、その頃にはうちのお母さんが帰ってきた。

 

「あら?朝陽くん。来てくれてたの?ありがとう」


 こんな時間だし、送るわよ。と言う母に、朝陽くんは「すぐそこなんで」と断って、「カレー美味しかったです。御馳走様でした」の後、「じゃあ、咲桜。またな」と、玄関を出て行ってしまった。いつもは「お母さん、早く帰ってこないかな」と思っているのに、今日ばかりは「お母さん、もっと遅くても良かったのに」なんて頬を膨らませた。

 そんな優しさに触れる度。胸が高鳴った。心が満たされた。今日は来ないのかな、と約束もしてないのにインターフォンが音を立てるのを待ったりした。



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