第12話 一之瀬 朔也―5―



 ドーン、ドーン、と轟く音を聞きながら歩いた。

「音だけでも楽しめるようだったらいいのにね」半歩後ろを歩く俺は、どんな顔で彼女がそんな言葉を言ったのかわからない。「そんなに花火に色んなものを求めたら、花火が可哀想ですよ」と返せば、「確かにね」と笑ったような気配がした。

 先輩も、振り返らない。隣を歩く事を勧めたりしない。

 これが、今の俺と先輩の、適切な距離感。

 目に見えるそれに自覚せざるを得なくて、悲しくなる。頼むから、泣いてくれるなよ、俺。そこまでカッコ悪いところを見られると、もう、フォローのしようもない……。

 いつかみたいに星の綺麗な夜だった。

 違うのは、空を轟かせる音に、家々のベランダから人が姿を現し、外を眺めていたりするってところか。電気の点いていない家は、祭りに行ったのか、祭りなんて関係がないと早々に寝てしまったのか。

 早く行かなければ花火が終わってしまうのに、俺達は、ゆっくりと歩いた。

 花火の音がする方向。だけど、きっと目的地なんて無い。

 そこまで、察しの悪い俺ではない。先輩の目的は、一緒に花火を見ることではない。

 自然と訪れた沈黙を、俺も先輩も破らずに、ただ、進む。

 そろそろ、ラストスパートなのかもしれない。

 ドーンと鳴る音が間隔を開けなくなり、盛り上がっていることがわかる。そろそろ俺達は、あの、思い出の土手に辿り着くところだった。


(………まぁ、俺の思い出でしか無いんだけど……)


 人知れず嗤う。

 やっぱり、天罰なのだろうか?都合良く、嘘を付いた罰。自分だけ甘い蜜を吸おうとした、罰。それは、そんなに神様の逆鱗に触れたのだろうか。


(……ああ、もしかして。神様まで先輩の事を愛しているのかもしれない。だから、俺の事が憎いのか)


 それらしい理屈のように思ってしまうくらいには、今の俺はどうしようもなく、やっぱり、先輩だけだった。

 貴女が、いなくなってしまうと思うだけで狂ってしまいそうだ。

 先輩を愛するすべての人が憎いから、じゃあ神様、俺は貴方を呪いながら生きていくよ。そんなことを考えていたら、徐に彼女が足を止めて振り返る。


「花火、見えないね」

「……そうですね」

「終わったのかな……?」

「かもですね」


 気が付けば、もうあの大きな音はしなくなっていた。

 先程までの轟きが嘘だったかのように、辺りは静寂に包まれていた。

 俺達は向かい合ったまま、暫くただ、視線だけを交わしていた。


「……すみませんでした」


 沈黙を破ったのは、俺。

 先輩は吃驚した顔をしたが、直ぐに表情を引き締めた。「それは、何についての謝罪?」問い詰められるような台詞でこそあったものの、とても静かな声で、確かめるように、先輩は訊く。


「嘘を、ついていたこと……」

「嘘?」

「俺は、咲桜先輩の彼氏ではありません」


 先輩の大きな瞳が潤む瞬間を見た。

 言葉に詰まって、二の句が告げないでいると「違うよ」と諌めるような声が言う。


「……君が謝るべきは、私からの連絡を無視してきたこと。その、一点だけだよ」


 怒ってないと言うことなのだろうか。

 許せないと言うことなのだろうか。


「……貴女に、嘘を付いた。時間を奪った。唇を奪った。嘘をつきながら、傍にいた。永遠にずっと、傍に居たいと思っていた。その全部が、謝罪しなければならないことです」


「全部?」と彼女は笑った。どういう意味を持つ笑みなのかわからない。


「私の心を知ってる?」


 それは少し、『日本人の平均寿命を知ってる?』と言ったあの時の声音に似ている気がした。


「………かなり怒ってる」

「だから、怒ってないよ」

「気持ち悪いと思ってる」

「それも無いかな」


 本当です?

 好きでもない奴から、記憶がないことを良いことに、『恋人です!』と嘯かれてキスまでされて、気持ち悪くないわけがない。恋人面で手を繋ぎ、隣を歩き、ハグをして。プリクラまで撮って。ほんと、俺、気持ち悪い。


「私の方こそ、ごめん」

「……何が? 貴女こそ、謝るようなことは何一つ無いですよ」

「……君の事を、思い出せなくて……」


 深々と頭を下げられて、傷が抉られる。その事実が、何よりも俺を辛くさせる。


「……別に。貴女が謝ることじゃない。貴女が神様から愛されているのか、俺が神様に嫌われているだけなんです」


 カミサマ、とまるで初めて訊く言葉だったかのように、彼女は鸚鵡返しに呟いた。


「……君はいつも、そういえば、泣きそうな顔をしていたよね」

「……なんですか、それ」

「君が信仰してるカミサマは、随分と意地悪なんだね」


 まるで、出会った頃のようだな、と思った。

 ころころと変わる表情。言葉選び。何処か得意気な表情で、理屈っぽくて、でも屁理屈のようなことを言う。

 俺のよく知っていた、貴女。

 何も思い出さないままに付き合っていたあの頃の貴女と、ほんの少しだけ、印象が変わる。


ーーー…彼女このひとは、俺に依存していない。


 今の先輩は、きっと、俺の事を後輩以上に思ってなんていないだろう。

 過去、そうだったように。

 死にたがりの俺を監視するつもりで、近付いて来たんでしょう?


「あのね、私。君に伝えなくちゃいけないことがあって、」


「分かってますよ」と、自分の声が夜の暗さに同調するようだ。

 暗く、闇に溶ける。


(ああーーー…夢みたいな日々は、これで、おしまい)


 目が。

 覚めなければいいなと、祈っていたのに。願っていたのに。

 貴女の一番近くに、ずっと、居たかった。

 貴女の心の一番大事なところに、そっと俺の存在を置いていて欲しかった。

 一緒に生きていこうと、「一人にしないで」と、言ったあの日の事を。どうして忘れてしまったのか。


「俺から言います」


 俺はこれからどうやって、生きていけばいい?




「俺達、別れましょう」




 祭りの終わった夜。

 俺の声だけが、静かに響いた。





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