第2話 貴女の存在を見付けた日
電車で一駅。
当たり前にそこにある自分の家を見て、ハリボテのようなそれに、スッと心が冷えていくように感じる。
この世の中は、嘘だらけ。
嘘に溢れていて、気色悪い。心地悪い。不快。嫌い。ーーー俺は、人間が、嫌いだ。
陽当たりばかりがいい玄関。注文住宅。陽当たりを重視して、窓を多めに作ったらしい。そのコントラストに、鼻で笑ってしまう。我が家のうすら暗さが際立つ。否、取り繕うようなその全てが嘘臭い。窓から差し込むその光りすら、演出のように思える。
自室へ迎い、コンビニ袋からおにぎりと飲み物を取り出した。ガサガサと鳴る袋の音だけが聴覚を刺激し、煩い。
「……あ?」
おにぎりの包装にくっついていた紙がハラリと落ちる。レシートだ。裏に何か書いてある。
“咲桜”
恐らく、名前。それから、その横に携帯の番号。
「……はは。あの女。悪用されたらどうすんの。まじ、脳ミソお花畑」
薄く笑ってしまう。
レシートをくしゃりと丸めて、コンビニの袋に入れた。おにぎりの包装もそこに入れる。
おにぎりをもそもそと咀嚼し、惣菜とシュークリームも取り出して、同じように、ゴミをコンビニの袋に入れた。
女のせいで、今日の予定が狂ってしまった。
夜まで帰らないつもりだったのにーーーまだ昼だ。
(食ったら、寝よう……)
本当に、その後に寝た。
深夜に起きても、何処にも明かりが点いていなかった。リビングにも何処にも、誰も居ない。
家の中はまるで俺すら存在していないかのような真っ暗闇。無音。無人。
スマホに新着のメッセージが入っている。何時間も前だ。
“父さん、今日、会社に泊まることになったみたい。母さんも、今日は友達のとこに泊まるわね”。
「……はは。きしょ」
親のダブル不倫。ほんと、キモい。
仮面夫婦になるくらいなら、嘘の繋がりなんて切っていっそ、自由になってしまえばいいのに。俺に未練なんて無いくせに。
世間体なのか? 奴らは、一歩家の外に出れば、まるで仲の良い夫婦のように振る舞う。
「………はぁ、」
再び自室に戻り、部屋に置きっぱなしのコンビニの袋が目に留まった。徐に、中からグシャグシャに丸められたレシートを取り出す。
………繋がるか?
あの女の言葉が嘘か。こんな時間に、反応できるのか。試してみようか。薄く嗤う。時刻は、午前一時を前にしている。
三回コールして、出なければ切ろう。金輪際、本当に関わらない。ーーー予想に反して、二回目のコールの途中で女の声がした。
「もしもし?」
「………」
面食らって、暫く喋らないでいると、不安げな声が少しだけ強がるように笑って、「昼間の、彼だよね……?」と確認する。悪用される可能性くらいは考えていたのかもしれない。
「……俺と、トモダチになりたい?」
「えっ? うん。……どうしたの? 何かあった?」
「じゃあさ、嘘じゃねぇなら、今から、駅に来てよ」
「駅?」
俺の家からの最寄り駅の名前を告げる。
こんな時間に。女の家からの最寄りの駅より、恐らく一駅先の駅。田舎だから勿論、終電は終わっている。さぁ、どうする?自転車漕いで来る?
「……分かった。少し待たせるかも」
「いいよ。来るまで待ってるから」
「うん。分かった。じゃあ、なるべく急ぐね」
電話が切れて直ぐ、黒のパーカーを羽織って家を出た。
(……会話だけなら、まるで恋人同士だな)
ちょっと可笑しくて嗤った。
何がどう可笑しかったのかは説明できないけれど。きっと、「なにやってんだろ、俺」という感情の方が近い。自分に対する嘲笑だ。
夜に「深い」という表現があるのか。俺は本を読んだりしないから正しい表現なのか分からないが、深い夜だと思った。
ひたすらに、静かだ。まるで、人間なんて俺以外に生息していないような、夜。
嘘臭い風景。漏れる明かりすら、小道具のようだ。
それでも、澄んだ夜だな、と思う。何もかも、きっと明らかにしてしまう夜だ。
静かに、目的の駅まで歩いた。徒歩二十分。人影は無い。
こじんまりとした無人駅には、日中だって人が居ない。二つのベンチの内の一つにどかりと腰掛けた。
あの女が来ても来なくても、どっちでもいい。
何かにすがりたいわけでも、今から何かを信じようとしたわけでもない。ーーー本当は、せせら笑いたかったのかもしれない。もう暫くしたら、電話が鳴る。相手はあの女で、「ごめん」と言う。「ごめん。やっぱり、行けなくなっちゃった……」俺は、嗤うだろう。ほらね、偽善者。そうして、でも、安心するのだ。再確認できたことに。世界は絶望に満ちていて、生きていく価値なんて無いんだってことに。
線路を眺めるのに飽きて、空を見上げた。星。街頭の少ないこの田舎では、星がよく見える。でも残念ながら、それをどうこう思うような感性は磨かれていなかった。
(ーーー『感性』…)
君の感性に興味がある、と言った女の顔を思い出した。まぁ、整った顔立ちだった。あまり観ないが、テレビの向こうに居てもおかしくないような顔だ。将来アナウンサーになると約束されていそうな顔。
こんな時間に出歩くことを、親は許さないだろう。或いは、抜け出せたとして、何処かで変なヤツに絡まれるかもしれない。
(…………あほくさ。帰ろ)
頭も冷えてきた。パーカーのポケットから取り出したスマホ画面で、今の時間を知る。電話をかけた時間から既に一時間経とうとしていた。まぁ、言い訳でも聞いて、「もういいから」と拒絶して帰るか。そう思い、発信履歴を開く。
「おっ、おまた、せっ……!」
はぁはぁと息を切らし、額に滲んでいるのであろう汗を右腕で拭いながら、その女はしかし、やって来た。
「………」
「ご、めん、ね。自転車、持って、無くてさぁ、」
「……何? 本当に来たのかよ……」
女は、小走りのまま踏切を越えてこちら側にやってくると、ベンチの傍でやっと立ち止まった。息を整える為に膝に手を当て、俯いている。ポタリと、一滴の汗がコンクリートの地面に落ちた。長い髪が顔を隠す。
「………馬鹿だね。何で来たの」
「な、んでって、」顔を上げ、心臓付近を右手で抑えて、はぁ、と深く息を吐く。呼吸を整え、女は、「来たら友達になってくれるって言うから」なんて、裏表の無さそうな笑顔で笑った。
ーーーーーー馬鹿みたい。
そんなことで、この凝り固まった世の中に対する絶望や憎しみは解れたりはしないけど。
こんな、単純なことで、心を開いたりなんて、しないけど……。
俺も、この女に……少しだけ興味が湧いた。少しだけ……。
「あほくさ。偽善もそこまで来るとカワイソウだわ」
女の後ろに向かって歩を進める。女は、驚いてこちらを振り返る。そのまま、「待って」と急ぎ足に俺の後ろを着いてきて、横に並ぶ。
「何処行くの?」
「帰るぞ」
「ふぇ?」
彼女が来た道を戻るように、道を選ぶ。
「……友達に、なれる?」
「約束だから、いいよ」
「ふふ。やったぁ」
未だに沸き上がる汗を服の袖で拭いながら、彼女は笑った。無垢な笑みだと思った。いつかこいつ、犯罪に巻き込まれるんじゃないの?ーーー損をするタイプの人間なのかもしれない。立ち回りが下手。嘘をつくのが下手。
(何も、訊かないのな…)
『何で呼び出したの?』『何がしたかったの?』そんなことを、口煩く訊いてくるのかと思ったら、彼女は何も言わなかった。『なんで、死にたいと思ったの?』ーーーそんな風に無遠慮に、踏み込んで来るのかと思った。
静かな夜を、並んで歩く。
見える建物はその殆どが灯りを灯していない。心許ない、街灯が点々と行く先を灯す。月や、星の明かりが幻想的な夜だった。まるで、御伽噺か何かの小説の中のよう。ーーー本なんて、あんまり読まないけど。
まるで、この世の中に二人きりになってしまったような。そんな、夜だった。
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