第4話 不可侵の記憶
約束の場所に行くと、その人はもう既に来ていて、俺の事を待っていた。
「………やあ。元気だったか」
なんて声をかけようかと悩んでいたら、相手が気が付いて片手を挙げる。
商店街の中にある小さな駅で、その先輩はかなり目立っていた。……確かに、道行く人よりは整った顔立ちをしているかもしれない。独特の雰囲気がある。俺と合流すると、「美男子×美男子っ!」なんて、腐女子の押し殺した叫びが聞こえてきて、気まずくなる。
「……場所を変えようか。おすすめの喫茶店があるんだ」
「……はい」
促されて、従う。半歩後ろを着いていく。
学校には来ていたのかとか、夏休みの部活はどうするつもりなんだとか、そんな話をした。休み前のテストは受けたし、部活はもう辞めようかと思っています、と素直に言えば、「へぇ」と返されただけだった。基本、この人はあまり他人に興味がないように思う。
この人は……未だに、よくわからない。不毛な恋をしているんだな、と言うこと以外、特に何も知らない。
寂れた喫茶店に辿り着き、先輩がその扉を開けた。
カラン、と音が鳴り、冷房の涼しい風が首筋を撫でた。
こっそりとジャズが流れている、薄暗い店内。お客さんはポツンポツンと離れた席にニ、三人。先輩はためらい無く奥へと進み、店の入り口からは死角になる一番奥の席へと腰掛けた。
「いらっしゃいませ」と声をかけてきた店員はすっかり子育ても終えたようなおばさんだった。そのおばさんが、先輩の顔を見るなり、「あら」と目を丸めた。
「渚ちゃんじゃない! いらっしゃい」
「こんにちは。お久し振りです」
「あらぁ。デート?」
「ふふ。そう見えますか?」
いやいや、待て待て。まず、先輩も俺も男だし。デート? なんて訊くのも変なら、返しできちんと否定すべきだ。
確かに、先輩はTシャツに黒のパンツスタイルで、スレンダーな女性に見えなくもない。店員のおばさんも、彼を「渚ちゃん」と呼んでいた。女だと思っていてもおかしくない……? いや、いやいや……。
「なんでも好きなものを頼むといい」
渡されたメニュー表を条件反射で受け取る。その台詞を聞けば、まるで奢ると言われているようだ。
「そうそう! おばちゃんの奢りだからねっ」
あっ、そっちでしたか?!おばちゃんは言いながらウインクを寄越した。ーーーところで、本当に、貴女は誰?
「しっかし、こんなカッコいい男の子を連れてるなんて。あーあ、勇志。遂に渚ちゃんに愛想つかれちゃったのね」
「いやいや。勇志程のオトコに、まだ出会えていないです」
「あらまっ! 渚ちゃんったら!」
きゃっきゃと会話が進んでいくその内容から、どうもこのおばさんは、森本先輩の母親らしいと見当をつけた。だとすると、出産が遅かったのか、だいぶ老けて見えるのか……。それでも、刻まれたシワは濃いが、笑顔は明るかった。あんまり、森本先輩とは似ていない。
結局、
「食事はよかったのか?」ーーー時刻は、十時を少し越したところだった。それには、「食べてきたので」と嘘をつく。正直、そんなに長話するつもりも無かった。
「それで、なんの用ですか?」
おばさんがカウンターの向こうへと姿を消すと、早々に切り出した。理想を言うなら、注文した飲み物が来た頃には帰りたかった。
「わかっているから、来たんだろ?」
何を可笑しなことを、と顔に書いて、先輩は見透かした笑みを浮かべる。ぐっと、感情を飲み込み、息を吐いた。
「……俺が、咲桜先輩に嘘をついていたことですか?」
「あ、やっぱり、嘘だったんだな」
思っていた反応とは違ったが、この嘘は誰にでもとっくにばれていることを知っていた。焦るようなことでは無い。まず、普通に考えて、この、四六時中、咲桜先輩と日々を過ごしてきた幼馴染みが、咲桜先輩に彼氏が出来たことを知らないはずがない。あの日の、突然の俺の登場だなんて、違和感以外の何者でもない。
「その嘘のことは、どうでもいい。結果として、助けられたことの方が多い」
「……森本先輩が咲桜先輩に告白する機会を、奪い続けてたから?」
「………」
東条先輩は無表情に、唇を真一文字に結んだ。それから直ぐに、「それも確かに、助けられた内の一つだ」なんて打ち明ける。……別に。バレバレだし。興味ない。
「お前は結局、誰なんだ? 咲桜とはいつ出会ったんだ?」
「あ、やっぱり、俺のことは思い出して無いんですね」
「……と、言うことは、やっぱり、面識があるのか……。憶測だが、咲桜が中二の時では無いか?」
「ご名答」
ひょいとお冷やの入ったコップを持ち上げて、飲んだ。しっかりと冷えていて冷たい。ごくり、と自分の喉が鳴るのを聞く。
「……俺の事だけ。思い出して貰えないのは、嘘ついて付き合ってた罰なんですかねぇ……」
「……知らん」
「はは。冷た」
また一口、お冷やを口にする。先輩も倣うようにそれを一口飲んだ。相変わらず控えめなジャズミュージックを束の間、楽しんだ。
「貴方に、聞いて貰うような話はありません」
俺と先輩だけの、大切な記憶ですから。
言外にそう告げると、東条先輩は溜息をついて、椅子の背もたれに深く背中を預けた。
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