第14話
深い水の底。全てが揺れてふわふわとしている。ぶくぶくと空気の泡が湧き出る音がする。水の中に居ると思っているのに冷たくもなく、濡れている気もしない。此処はどこ?静かに瞼を上げると頭上に光が揺らめいている。あそこが水面だとしたらなんて深い所にいるのだろう。揺らめく光が美しいと思う。誰かが私と繋いでいた手に力を入れる。髪の毛がゆるゆると浮かび上がる様に揺れる。髪の毛の隙間から横を見ると、マックさんが苦しそうに眉間に皺を作ってブワリと口から息を出した。
その瞬間、私は地を蹴って水面に向かう。必死に泳いで水面に出ると力任せに手を引いてマックさんを引き上げる。水の縁にあった青々とした竜の髭を掴んで体勢を直して先にマックさんを地上に押し上げる。
そして私も水から這い上がって、大きく深呼吸をする。
肩で息をしながら、周りを見廻すとなんだか見覚えのある縁側と庭だ。
ガラガラと、雨戸が開いて見知った人が顔を出す。
「やっと来たな。さぁ、寒いからとりあえず上がりなよ。」
コレは夢か?どうなってんだ。今私達は、山に居たはずだよね。
「マックさん起きて起きて、大丈夫ですか?」
と背中を叩くと、ゲホゲホと咳を暫くしてから、やはり私と同じように周りを不思議そうに見ている。
「なんで此処に丈瑠さんが居るわけ?」そう呟く。
丈瑠さんの部屋に入ると、暖房がよく効いていてなんだかホッとした。今日は一日本当に寒かったもんな。いつものようにソファに座ってから、服が濡れていないのに気付く。私達は、池から上がってきたはずじゃなかったっけ?やっぱり夢なのかな、と思っているとガチャリとドアが開いて、お盆に湯気の立つカップを乗せた丈瑠さんが入ってきた。
後ろにおばあちゃんも居る。
「夜分に突然スミマセン。お騒がせしちゃって。」と立ち上がって慌てて言うと
「あらヤダ、巽ちゃん。大丈夫よ。丈瑠がもうすぐ来るよって教えてくれていたから。」
「えっ、そうなんですか。」どうやら夢では無いようだ。
「まぁ座って。それほどゆっくりと話している暇は無いだろうから、掻い摘んで俺が知っている事を話そう。」
そう言って話してくれたのは、丈瑠さんには、未来をほんの少し予知できるということ。そして、遠い昔おばあちゃんがイギリス にいた時に、旦那様と湖水地方へ出掛けた際に、ある使命を受けて卵をこの国に持ち帰り庭の池に沈め隠したという事。沈めた後、池に変化もなく何かが生まれた様子は無かったので使命はそれで終わったんだとおばあちゃんは、思っていたらしい。だけど、近頃丈瑠さんが頻繁に見る予言のようなものは、おばあちゃんの実家に伝わる鑑こそ、その沈めた卵を導くと言っているという。そしてコレが戦争で亡くなったお爺様から受け継がれた鑑だよと手のひらに乗る位の龍の彫物が裏に彫ってある鑑を紫色の帛紗を開いて見せてくれた。
「鑑?丈瑠さんが鑑なんですか?」
「どうやらその様だね。俺の苗字覚える?砥部占、ウチの生業はその昔鑑を磨くことだったらしいよ。そして歳は誉の方が上だけど、俺がこの家の本家で跡取りなんだ。この鑑を受け継ぐ者らしい。」と掌に乗っている鑑を見下ろした。
私が鑑を手に取ると、首から下げていたペンダントが輝き出し複雑な光を放つ。その一筋がマックさんの眉間を捉えると、マックさんが立ち上がり
「私の主人は異国の地に隠された龍神。本国に帰った主人をお助けする為に私はこの国へ参ったのだ。そうだ主人をお守りする剣だ。どうしてだ。自分が何者かも覚えていなかったなんて。」と頭を抱えるマックさんにおばあちゃんが、そっと肩に手を乗せて
「貴方は2つの国の血を受け継いではいるけれど、幼かったしこの国のしきたりや、風土をごく自然に身に付ける必要が有ったのよ。でもね、卵を池に沈めた事も、貴方が何故ウチに来たのかもすっかり忘れていたの。教えてあげられなくてごめんなさいね。この間そう巽ちゃんにあげたあのペンダントを手に取った時から少しずつ思い出してきて、丈瑠にその事を話したら、丈瑠が見た予知?って言えばいいのかしら、それを教えてくれて話が繋がったの。」
そう言っておばあちゃんは労る様に私の頭を撫でてから
「そして、村正君は時が満ちた時に、隠された若い龍神様を見つけ出す為のパートナーを探し出さなくてはならなかった。まさか、巽ちゃんだったなんてね。この後の争いを考えたら、もっと戦士の様な力強い男の人だと思っていたわ。」
私とマックさんは、顔を見合わせた。「争い?」
「誰と争うのですか?」
「私にもハッキリとは分からないの。ごめんなさいね。
でも、剣を龍神が必要とされているのなら、何かから守らなくてはならないと言うことよね?」
もしかしたら、丈瑠さんはもっとはっきりとしたビジョンが見えているのかもしれない。
丈瑠さんが、私に本を出す様に言う。本の中に入って此処に来たはずなのに本はちゃんと私の胸の中にいた。テーブルに乗せページを繰ると掠れて見えなかった絵が浮かび上がってくる。
「剣の名を持つ者が3番目の娘の前に現れた時、世の中は変動する。それは龍神の代が変わる時だ。その隙を狙って魔が刺す。闇に狙われる時でもある。更に前の龍神を助ける者達はその地位を譲ろうとはしないだろう。若き龍神を助けて、導き王に据える。鑑の導きによって辰と巳を繋ぎその手助けをせよ。」
と言う内容のことが書いてあった。字としては殆ど読めないけれど、頭ではハッキリと理解出来た。
「地位を譲りたくないのは多分、老いた龍王とその取り巻きね。どちらかと言うと力を持ち過ぎた取り巻き達かしら⁈どんな世界でも同じ様な事が起きるのね。」とおばあちゃんは少しやるせない顔をして言った。
「おばちゃんがイギリスから帰って来られたのって何年前ですか?」
「そうねぇ約60年前にもなるかしらね。」
「マックさんは今おいくつなんですか?」と密かに調べた事務所のプロフィールを思い出しながら聞くと
「24歳だよ言ってなかったっけ?」とプロフィールと違わない答えが返ってくる。
うむむ、私と丈瑠さんは卵と共にマックさんが来たのなら計算合わないよね⁉︎と密かに目を合わせる。
「あらヤダ、丈瑠も覚えるでしょ?村正君が来たのは17.8年前よ。お母様が帰国された時に連れて来られて。覚えてない?」
「あぁ、その頃俺はこの家に居なかったからな。旅に出ていた時期だな。」
「そうだったわね。」
「マックさんのお父様がイギリスの方なんですか?」
「祖父がイングランドで日本人と結婚して父親が生まれた。お爺様とは小さな頃は一緒に住んでいたけれど、こちらに来てからは一度も会っていない。」
「お名前聞いていいですか?」
「祖父は、アスカロン、マッケンロー。祖父はナイトの称号を持ち日本の武士道を愛していた。そして父の名は正宗。」
「アスカロン」丈瑠さんが息を飲む。アスカロンは、龍殺しの聖剣と言われている。剣の名を持つ者。龍神を守る者では無いのか?
「丈瑠さんは知っているんですか、僕の祖父を?」
「いや、知らない。ばあちゃんは?知ってるの。」
「卵を私達に託したのはお祖父様よ。そして此処に村正君を連れて来たのはお母様。だからお二人には会ったことはあるわ。でもね連絡はお互い取ら無い約束なので、今はどうされているのかは、ごめんなさい知らないのよ。」
気付くと日が変わっていた。
「どうしよう。今からどうやって帰ったら夜明けまでに間に合うかしら。マックさんの車はウチにあるし。」と言うと、丈瑠さんがニヤリとして
「大丈夫!来たところから戻ればイイよ。」と言う。
おばあちゃんが慌てて厨房に行ってスコーンが沢山入った箱を持って来てくれた。
「持って行って。池の水が騒ぐ時コレを1つ入れるとなんだか落ち着くの。鯉が食べてるだけだとは思うけどおまじないみたいなものだけど、役に立つかもしれないから。」
本をまた胸にしまって、池の側に三人で佇む。
「丈瑠さんも行ってくれるんですね。」
「まぁ、使命らしいから。ばあちゃん、俺たちが行ったら池に猫避けの網をかけて置いね。」そう言うと目を閉じて暫し考えた後
「多分七草粥は此処で食べられると思うから、その頃に網外しておいて。」
おばあちゃんは黙って頷いてから
「気をつけるのよ。」と心配そうに言った。
皆んなでその言葉に頷いて、
「行ってまいります。」と本当にこの池から山に戻れるのか疑心暗鬼ながら、そう言うと丈瑠さんが鑑を出して顎をしゃくるのでペンダントを上着の襟元から出す。よく見るとガラスを取り巻く金具は、龍を象った物だった。鑑の光を受けて乱反射して私達を照らす。
マックさんは両腕にスコーンの箱を抱えている。丈瑠さんと私が鏡とペンダントを水につけて空いた手をマックさんの腕を掴む。
さらに光が増したと思った瞬間、ドサっとみんなが床に投げ出され倒れ込む。そこは山の本堂の祭壇の前だった。
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