第21話


今上龍王は、滝壺に身を沈めながらも怒り猛っていた。

この日の本を安定させるために身をやつしてきたというのに、誰が私欲のために破壊しようとしているのか。許せぬ。


しかし食い止めようにも、突き止めようにもそれだけの力が残っていない事を、よく分かっていた。

早く代を譲らねばならぬ。

朱巳が、

「主人よ、お鎮まりください。若き継ぐ者は近くにおります。その身をお現しになりますか。ただ、亜流の者どもがこの機を狙っております。」

「その若き継ぐ者が、継承の素質を備え持っておればいずれ此処に現れよう。今はこの山を守る為に今一度力を使うことに致す。噴火だけは何としても食い止めねばなるまい。」


朱巳は苦く歯を食いしばる。

主人が、その力が万全で無い事を知りながら力の限りを出し尽くすそうとしているのだ。


せめて、力の沸く物をお渡ししなければ。

「朱巳よ。まかり間違っても邪悪な物を手に入れるでは無いぞ。」

言い伝えによれば、邪悪なものを口にしたばかりにこの日の本は、荒れた事が何度も有った。今はそれを立て直す力も無いのだから、清らかな物だけを口にせねばならないと、主人は知っているのだ。

この微かに薫る甘い匂いの元へ行ってみるか。

主人を置いて。


コレは賭けだった、朱巳がいない時に敵が現れれば、今の主人ではその手に落ちてしまうかもしれない。怒った主人が山の噴火を促してしまう危険もある。

しかし、と朱巳は思う。このまま此処に隠れていても一向に先には進めない。時が主人の力を奪っていってしまうだけになってしまうかもしれないのだ。

この薫る匂いの先には必ずや次の菓子番がいる。それもごく近くに。行ってみる価値はきっと有る。そう思って朱巳は主人の方へ歩き出す。

すると、脳裏に赤い火が見えた。

ドクリと胸が鳴る。邪悪な炎に包まれた激る目が我等を探している。

息を詰めて気配を消し、脳裏からその炎を追いやった。

今出て行くには危険が多すぎる。


ふと気づけば、焼けるような匂いがする。

主人の背鰭が一枚メラメラと燃えている。

残っていた落雁を一握り主人の方へ突き出す。

「お鎮まりを」

「すまぬ。」

やはり早く供物と継ぐ者の元へ行かねばなるまい。

落雁を噛み砕き水に体を埋めて目をつぶっている主人に、

「この匂いにお気付きですね?しばしば此処でお待ち下さい。せめて菓子番だけでも連れて参ります。」と告げて元来た道を戻ろうとすると主人が、

「もうその先には居ぬ。水に新たなる力の波動を感じた。もう来るやも知れぬから、此処で待てば良い。」

「なんと、来ますか。」

「あぁ来る。もうそこまで来ておる。」


そう言っていたそばから水面が持ち上がり、一塊になった人々が飛び出してきた。


最初にアークが飛び出して、

「危なかったぁ」

「うわぁ、すげー硫黄臭いなぁ」と丈瑠さん

「巽は、どこ?」とマックが言う

青龍も居ない。

丈瑠さんが、

「あの2人にはちょっと避難してもらった。

すぐに場所移って、さっきの赤いのをどうにかしよう。」と言うと。


「お前達は何者だ。」

柱の影に身構えて、朱巳が問う。


「よし、此処で間違い無いな。」

「まず名乗れ。」

「あぁそうか。俺は砥部占だ。此処にはこれを持って来た。」と背負っていたリュックを下ろして中身を開けた。

「コレはお前が作ったものか?」

「イヤ、巽が作ったものさ。」

「お前がか?」とマックを指差す。

「イヤ」

「お前か」

「ノー」とアーク。

「此処にはいない。それよりお前の名前もそろそろ聞かせろよ。」

「俺は、朱巳。」

「朱巳と言うのか。鑑が此処に来いと言ったので、その通りにしただけだ。今上龍王の盾よ。

俺は、正統なる継承者青龍を助ける鑑だ。そしてそこに居る背の高い方が、名は村正つまり剣だ。ちっこい方は、おまけだから気にするな。」

「なにをもってそれを信じよと言う。」

「まずは、この菓子をお前が食ってみろ。コレを作った者が青龍のアイデンティティを培ったのだ。」そう言って丈瑠さんは、薔薇の蕾と名付けられたプチフールを差し出した。

そしてふっと優しく笑って

「毒なんか入っていないから安心しろ。」ともう一度プチフールの箱を前に差し出す。

朱巳がひしゃげた箱の中に、薄緑色の小さなお菓子が一つ入っているのを見つめる。

一度主人の方を見て了解を取ろうとすると、小さな者が主人に次々とリュックの中のお菓子を放り与えている。

主人は躊躇なくそれらを口にしている。すると背鱗の炎が消え、怒りが収まっていくのが分かった。

朱巳は覚悟を決めて薄緑の小さな菓子を手に取って口に入れた。

噛んだ時の口に広がる香り、滑らかな舌触り、これまでに味わった事のない滋味深い味わいに心酔する。

「コレを今度の菓子番が作ったと言うのか。」

「あぁ。」

龍王を見ると、かつての威厳を取り戻したかの様な佇まいで、朱巳を見つめていた。

「待った甲斐があったな。」

「はい。」

「じゃそろそろ行きますか。」

「どこへ?菓子番と青龍を早く此処へ、主人の元へ連れて参れ。」

「その前に片付けなきゃならない事が二、三あるんだ。」

「今上龍王よ、この山を鎮める力を取り戻しましたか?貴方の最後の仕事として山をまた眠りつかせてもらえまいか。」

「望むところ。」

「アーク菓子を置いていく。龍王の手伝いを。なるべくなら見つからぬ様な手立てをしてくれ。」

「分かった。」

「朱巳、我らと共にこの騒ぎを自ら企てる者どもを、退治しに行こう。あの者達を残して龍王の安眠な無いからな。」

「主人を残してか?」

「今の龍王なら自分にかかった火の粉位は払えるだろうよ。」

「行って参れ。悪意に満ちた者どもを根絶やしに出来るのなら、私は此処で時を待つ。」

「心得ました。」

「マック行くぞ。」

「あぁ。でも此処で待たなくていいのか。」と後ろ髪を引かれる思いで振り返る。

「大丈夫だタツミンは無事だから。いざと言う時がお前の出番だからな。不安になるな。」

「分かった。」マックも覚悟を決めてそう応えた。


丈瑠さんは鏡を出して、赤い鱗の片割れをかざす。

そして頷くと、鱗を水面に浮かべ

「さぁ、行くぞ。」

と声を掛けて2人を伴って消えていった。



その頃巽と青龍は、またもや原宿のDélicieux bonbonsの庭に居た。

今度は、心配気なおばあちゃんと誉さんが2人で迎えてくれた。


「巽ちゃん。大丈夫?丈瑠は?」

「スイマセン度々。私も何がどうなってるのかさっぱり分からなくて。本当だ丈瑠さん居ない。どうしよう迷っちゃったんだ。」

すると誉さんが、スマホを取り出して、

「丈瑠から伝言あったよ。チビ助が菓子作るの手伝ってやれって。日本を揺るがす大事だから文句言うなってさ。」

「えっ?メール?あの洞窟の中で?やだ通じるんだ。」と半笑いになって言ってから、

「そうだ、噴火大丈夫だったんですか?地震もありましたよね?もう電気やガス使えるんですか?」と捲し立てると、誉さんが、

「慌てんな。大丈夫だ。」とちょっと怒り気味に言う。

「すみません。おばあちゃんお怪我無かったですか?」

「ありがとう、大丈夫よ。巽ちゃんも無事で良かったわ。」とちょっと涙ぐんで言った。

「そうだ、誉さんどうやって戻ればいいか丈瑠さんにメールして下さい。」

「それより先に持っていかなきゃならん菓子を仕上げてしまいな。大体の準備はしておいたから。」

「えっ誉さんが?すみませ〜んどうしよう師匠に下準備させちゃうなんて。」と困ったなぁと弱り顔をしていると、

「いいよ丈瑠に付けとくからよ。」とニヤリと笑って

「さっさとと始めようぜ。」と厨房の方へ追い立てる。

そんなやり取りを、青龍は不思議そうに見ていたが、巽の師匠という言葉に反応して

「其方、この菓子番の師匠なのか?」

と問う。

「菓子番?まぁな。」

「そうか、腕を上げたのは其方のお陰なのだな。礼を言う。」

「えっ⁈誰お前?なんでお前に礼なんか言われなきゃなんねぇの?」と誉さんが不躾に言うので慌てて

「あのややこしい話は後でゆっくりしますが、あの庭の池に繋がる所にいた龍神様です。どうしてもお菓子を作って先の龍王を助けなきゃならなくなったんです。」

「えっ?全く意味が分からないけど。龍神て何よ?そいつが菓子を作らないと日本を揺るがすとか脅してんじゃ無いんだろうな?」と凄む。

「ち、違いますよ。逆です逆。ああぁなんて説明したら分かって貰えるかな。」と弱り果てると

「何でもいいや、お前と丈瑠が作れって言うんだから手伝うよ。さっさと始めようぜ。」

青龍は、

「すまぬ、手数を掛ける。」と一礼した。


私は、厨房でコックコートを羽織って気を引き締める。

急ぐけど、手を抜かず誉さんに合格点を貰える様に、手を動かし始めた。

クッキーやカップケーキ、マドレーヌに薄く焼いたスポンジを丸めて作るスペインのピオノーノなど、限られた時間の中で小さく小分けにしやすい物で後から飾り付けなどがほぼ無いのと、思いながら次々と作っていく。

「巽、本を」

作業台の横に立っているなら洗い物でもしろと、誉さんに言われた青龍が手を濡らしながら、私に言った、

「本?やだ、何?何でまた光ってんの⁈」

と此処にまたあの赤いのがやってくるのかと下腹が冷えた様になる。

作業台の上本を置くと、またパラパラとページが捲られていき、図が描かれているところで止まった。

米粉、小麦粉を練り合わせ細く縄の様に捻ったものを揚げて作る索餅の作り方の様だ。


顔を上げて青龍を見る。

「索餅か。」

「よくお供えに使われていたものなのでしょうか?」

「私には分からない。」

「でも、きっと本がコレを持っていけと言っているんだと思います。作りましょう。」

頭の中で米粉なんて有ったかなとパントリーの在庫を思い浮かべる。

「米粉なんて作りゃ良いだろ。」

と誉さんがおばあちゃんの部屋の方に行ってお米を取ってきてくれた。

お米はフードプロセッサーにかけられ真っ白な粉になる。

配合を調整しながら綺麗な縄になる様に細く伸ばして揚げてみる。初めて作るので中々上手くいかない。

そういう時はコレだろと誉さんが珍しく自分のレシピ本じゃなく、パソコンでクックパッドを開く。

その手が有ったよね。

小麦粉だけのものが多くて、やっとNHKのグレーテルのかまどのホームページで米粉を使っているものを見つけた。そうか中力粉を使うんだね。

やっと上手く出来て、青龍も一緒に生地を細く伸ばして捻った。

暫く3人で黙々とお菓子を作り続けた。

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