第3話

今日は、Délicieux bonbonsのバイト始まりが遅くていいと言われたので、ドラマや映画の中でよく見た外苑の銀杏並木を、初めて歩いてみることにした。

金色に輝く銀杏の葉がヒラヒラと舞い散る並木道を想像していたら、もう銀杏の木はすっかり裸で歩道に踏みしめられた葉っぱが悲しくへばりついていた。わざわざ来たのにとちょっと悲しい。道の端では、その落ち葉さえ清掃員の人が片付け始めていた。とりあえず一往復してから青山一丁目の駅に向かう。

それでも、駅のある青山ツインタワーの中にAルコントが入っていた筈だと思い出し、お父さんお勧めのサバランを食べようと思ったら元気が回復して来た。

持ち前の方向音痴が功を奏して、すっかり道に迷った。

ホンダのビルの向かい側と思いながら歩いていたら、なんだかビルとか無くなってきて、ウエストと書いてある素敵な建物の前に居た。

ウエストってもしかしたらピンクの缶に入ったリーフパイのウエストかな、と思って道路を渡って近づくと当たり。カフェも併設されている。ラッキー。

ここのお勧めは、メモ帳に入れてあるお父さんのリストを開くとあったあったウエストのカフェなら「ココア」ヘェ〜青山限定スフレも有名。なるほど。だけどお父さんはモカケーキが好きらしい。あはは、お父さんどこに行ってもモカケーキ有ると頼むもんなぁ。

店に入ってココアとスフレを頼む。こういう時は、ネットよりお父さん情報の方が、素早く役に立つんだなと父に感謝。

久しぶりに熱々の美味しいココアを飲んだ。ホッとしてコクがあって香り高い。幸せだぁ。甘いものって瞬時に幸福をもたらしてくれるから素晴らしい。

スフレも熱々でこのスプーンで潰す感じ、堪らなく好きだわぁと1人でニヤけてしまった。

時間を見ると、もうこんな時間。今日は12時までに来いと言われてはいたけど、そろそろ行かなきゃ。また道に迷ったらアウトだ。お店の人に駅の道順を聞くと店を出て左に真っ直ぐに行くと、乃木坂の入り口があるし、右に行くと青山一丁目の駅だと教えてくれた。距離は差して違わないけど、乃木坂なら千代田線だから原宿に行くなら乗り換え無しですよってお仕着せのワンピースが素敵なお姉さんが丁寧に教えてくれる。お仕着せって老舗感が醸し出て良いなぁ。

乃木坂に向かう事にして、歩いている人がほぼいない道をとぼと行くと、パァンパァンとクラクションが鳴って、ハッと顔を向けると反対車線になんだか高そうな車の窓から箱乗り寸前に身を乗り出した人が手を振っている。

「おーい」

あんな高そうな車を持っている知り合いはいないので、キョロキョロと周りを見渡すけど、歩道に居るのは私だけだ。

「これから誉さんのところの店に行くの?」と箱乗り男が大きな声で言う。

えっ誰?誉って言ったよね、やっぱり私に話しかけてるんだ。お客さんかな。

「あっはい」

サングラスを外すとその人は、先日お店に来ていた、丈瑠さんとも仲の良いらしい野田さんだった。

「乗って行きなよ、これから行くところだったから。」

とタクシーにクラクションを鳴らされながら無理矢理Uターンしてこちら側に車を付ける。

あんまりにもニコニコしているから、断りづらくて、「では、有り難く。」と助手席に乗る。

車の中は、嗅いだこともない良い匂いがした。絶対ホームセンターで売っている車用の芳香剤では無いなぁ。地元の横を通り抜けるだけで顔を背けたくなる程の臭っているヤンキー車を思い出す。思わずクスッと笑ったのを怪訝な顔して野田さんがこちらを見たので、すかさず

「ありがとうございます。助かりました。私極度の方向音痴で青山一丁目で道間違えちゃってバイト間に合うか、ハラハラしていたから。」と言うと

「極度の方向音痴なの?何処に行くつもりだったの?」

「銀杏の並木見てから、青山ツインタワーに行く筈が、気付いたらウエストの前に居て。えへっ。だけどそのおかげで美味しいスフレとココアも頂けたから、たまには方向音痴も良いかなって思ったりして。それに、ウエストのお仕着せが素敵なお姉さんも優しかったし」

「僕

も会えたしね。」

「あはは、そうですね。歩いている人が少ないから見つけてもらえました。乃木坂に向かって正解でした。」

あっ、そこは有名人だから、会えて嬉しいって言っておくところかな。そういう持ち上げたりするの苦手だから、嫌な思いさせてなきゃイイけど。

と横を向くと、特に不愉快そうでもないようなのでホッとした。

「今日は野田さんのご注文入っていましたっけ?」と昨日見たリストを思い出しながら聞く。

「今日は、別にお菓子を買いに行く訳じゃないからさ。それにその野田さんはやめてほしいなぁ。野田は芸名だし、普段からあまり使われてもいないから、マックって呼んでよ。みんなそう言うからそっちの方がピンと来る。」

「えっ、いえいえ私なんかがそんな気軽に呼べません」と消え入るような声で言うと

「ほら早く一回呼んでみて」と急かす。仕方ないので、

「マックさん」と言うと片方の眉毛をクイっと上げて見つめてくるので、

「前見てください。コレが限界です。マックさんでご勘弁下さい。」と頭を下げる。

「あはは、勘弁してやるか〜まっそのうちね」

と頭にまたポンと手をのせた。

ドキドキしながら、お店に何しに来るのかなと考えて、そうか丈瑠さんに会いに行くのかな仲良いって言っていたしと思っている間に車は、表参道を下る。

「何処で下ろしたら分かる?店の前までは行けないから。あそこの道細すぎるでしょ。」

「ここから先ならもう迷わないので止めやすいところでいいです。あっ、それにあまり目だたたないところがいいですよね?」どうしよう。これでも若い女の子である私を乗せていたらまずかったんじゃないのかな?とちょっと慌てた。腰を浮かせて街の人通りを見ると、いつものように歩道には若い子達がそぞろ歩いている。大丈夫かな?でもマックさんは、周りとか全く気にする様子も無く生活の木の前のところで車を歩道に寄せて

「車停めたら店に行くからって誉さんに言っておいて。」

「はい。ありがとうございました。」とペコリとすると、輝くような笑顔でマックさんは手をサッと振ってスマートに車を発車させた。やっぱり原宿っていう場所柄なのか、大騒ぎになるような事は無かったけど、周りに今のマックイーンじゃねとかチゲーよとか言っている子が何人か居た。

もしかしたら、コレって凄いことじゃない⁈友達に言ったら羨ましいなって騒ぎになりそうな出来事だったよね⁈やっぱ東京ってすげーなぁと改めて思う。地元帰ったら「芸能人に車乗せてもらったぜ。」って自慢しなきゃ。そして小走りに店に向かう。流石にひと月も通った店へは迷うことなく着いた。


マックさんに初めて会ったのは、ハロウィンの注文が沢山来ていた頃、ホームパーティー用の焼き菓子をピックアップしに来店した時だった。

その日は、箱詰めをしたり材料の注文伝票を書いたりしながら、店番をしていて、ドアがカラカランと鳴って開くとあの立ち姿も麗しい色白で彫りの深い優しげな眼差しのマックさんが入ってきた。

マックさんは、入り口付近で棒立ちになり私を凝視していた。目があった瞬間にこの人との深い繋がりの様なもの胸底のところでピリピリって感じたけれど、こんなに都会的でカッコいい人と私と繋がりがあるはずは無いと思い直した。きっとこんなにじっと見ているのは、この間の人みたいに私を誉さんの娘だと勘違いしているんだなぁと当たりをつけて、

「いらっしゃいませ、ご注文頂いてますでしょうか。出来ましたらお名前を頂いて宜しいでしょうか。今月からアルバイトに入ったばかりなので不慣れで申し訳ありません。

私、岡寺と申します。まだ、勤めてから日が浅いものでお客様を存じ上げずに申し訳有りません。」わざわざ名前を明かして軽く頭を下げた。

「あっ野田です。」

と聞いてピンと来た。すんごくカッコいいと思ったら、さっき電車の中で見た広告に出ていた野田マックイーン村正だと気づく。あちゃー存じ上げずって言っちまった。有名人に痛く失礼だよね〜スミマセ〜ンと思ったけど顔には出さず、

「野田様ですね。お待ちしておりました、焼き菓子のセットを12箱とパンプキンのパウンドケーキ、プチフールの詰め合わせ、こちらでお間違いないでしょうかご確認ください。」

と伝票と箱をショーウィンドウの前に置いてあるガレだか、ラリックだかの脚が蜻蛉になっているテーブルにのせていると、野田さんが、

「名前はなんで言うの?」

「中身ご確認になられますか?」と箱を開けようとすると、

「君の名前だよ」

「えっ岡寺です。誉さんの隠し子では無いですよ。」と言ってしまってからしまったと思った瞬間、野田さんは吹き出した。

「あはは、どうしてそんなこと言うの?面白い。あはは」

「スミマセン、前にお間違えになられた方がいたものですから。」

と真っ赤になって冷や汗をかいた。

「下の名前。お菓子のじゃ無くて君のね。」

「たつみです。」

「タツミってどんな字?何でコックコート着てるの?」

「えっと、巽の方角の巽です。撰ぶの人偏じゃ無い方です。コックコートは、いつもほぼ厨房での仕事なので。」

そういうと、ちょっと驚いた風に目が大きくなって

「そうなんだ、誉さんが厨房で手伝いさせてくれるの?殆ど人を厨房に入れないのに凄いね君。」と言ってポンポンと私の頭を叩いて、目線を同じにしてニッコリする。子供かぁと思わず胸の内で突っ込んでしまったけど、白い歯がキラリと輝く美しい顔が目の前にあってクラクラと眩暈がしそうだった。

そんな出会いだった。


クリスマスが近づいてきた頃、店はいつもより忙しくて、毎日の様にバイトに入るようになった。

休憩時間に奥の座敷で丈瑠さんにやっぱりクリスマスシーズンですねと言うと、

「あぁ、珍しく割と注文を断らないんだよね〜誉のやつ。タツミンのおかげじゃ無いかなぁ?

洗い物とか、粉の整理とかやってくれるから、作業に集中出来みたいで新しいレシピも頻繁に上がってくるよ。」

「そうなんですか、私も役に立ってるんだぁ、嬉しい。」とおばあちゃんが入れてくれた美味しいお紅茶を飲む。

「あー美味しい。」

おばあちゃんは、誉さんの母方のお祖母様で、丈瑠さんのお祖母様の儀妹でもあって、このうちの持ち主だ。とは言っても、今この家の名義は誉さんらしい。お祖父様が亡くなられた時に、バブル絶頂で昔から在ったこのお宅の相続税はとんでもない程跳ね上がり、手放さざるおえないと親類一同で結論を出しかけた時、それこそバブルの波にも上手く乗ったロックスターの誉さんが、ばあちゃんの家が無くなるのは駄目だと言って、この家を買い上げて、売らずに済ませた経緯があると、近所の商店街の噂で聞いた。そんな事情を皆んな知っているせいか、ここの商店街では誉さんはとても人気者だ。お祭りや、幼稚園のイベントとかにもお菓子を配るから尚更だ。

「そういえば、裏の幼稚園のクリスマスイベントの時のクッキー今年は私が作って良いと許可が降りました。」と鼻を膨らませて報告すると、丈瑠さんは

「あはは良かったねぇ〜。それだけ誉から信頼されてるって事だよ。まぁ腕試しって面もあるな。何せあそこは毎年誉のお菓子食べているから先生達舌肥えちゃってて結構やかましいかもよと」とニヤニヤして言う。

「えぇ〜テストって事ですか?参ったなぁ」と頭を抱えて、忘れる前に

「予算とかどうしたら良いですか?分量とかそっちのことは丈瑠さんに相談しとけって言われたんですけど。」

「そうね、それ用に買わないなら誉がコレから使うって言うのを除いてどれ使っても良いよ。何せパントリーに使いかけが山ほどあるから、虫出る前に全部でも使ってほしいんだ。」

「あっアレらを使って構わないんですね了解です。」

お茶をすずっと飲んで、

「そう言えばさぁ、この間マックに会ったんだろ。どうだった?」

「どう?って、あのカッコ良かったです。テレビより。それに親切ですよね。ここまで送ってもらったらちゃいました。友達に早く自慢したい。」と何故か顔がほてる。

「なんか言われた?」

「面白いこと言うねって言われちゃいました。誉さんの隠し子ではありませんなんて言っちゃったから。」

「ふぅうん、まぁそんなもんか」

「何か、気を悪くされてましたか?」

「全然、どちらかというと逆だけどな。まぁそれは今は知らなくていいってことなんだろ」とぶつぶつと言っている。最後の方は聞こえなかったけど、気にして無いなら良いや。

「丈瑠さんとも仲良しなんですね。」

「あぁまぁね。」

と言いながら丈瑠さんは何か違う事を考え始めて上の空になったので、もうおしゃべりはおしまい。

丈瑠さんは、とても話しやすくて気兼ねが無いけど、時折自分の世界に没入してしまうので、そういう時はすぐに退散する事に決めている。

さて、クリスマスにはそれ程時間も無いから幼稚園に何を作るか考えなきゃね。

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