第2話

東京は、春になると一気に桜の花が咲いて、こんなにも桜の木がたくさん植っていたことに気付かされてビックリする。そして冬になりかけのこの季節にもパリパリと踏む落ち葉の音で、大都会東京でも案外季節を感じさせてくれるんだなぁとなどと思ってデパ地下のバイト先に向かって歩いている時、ピロンピロンと携帯が鳴った。着信音でも無いしなんだろうと思ってポケットから出した携帯画面を見ると、「誉連絡」と書いてあった。

そうだった、スケジュールのアラーム設定していたっけ。

「月末になったら、とりあえず都合の良い日を連絡ちょうだい。」と派手派手マン誉君が言っていたのだ。

今日、今までやっていたバイト先が閉店してしまうので、次を早々にに見つけなきゃと思っていたのに、中々新しい先を見つける事が出来なかった。自分では、本気で探していたつもりだったけど、もしかしたらあの派手派手マンの店で働きたい気持ちがあったからなのか、本腰を入れて見つけようとしていなかったのかもしれない。よく自分でも分からないのは、時給だって勤務のシフトだって分からない雲を掴む様な話だもん、もっと確実に手元に幾ら入るか分からなきゃ無理だよ。と何度も自分を言い聞かせながらバイトサイトをこのひと月見ていた。でも、応募もせずにこの日まで来ちゃったのは雲を掴んでみたかったの?と自分に問いかける。

「まぁ条件合わなきゃ本気で他を当たれば良いよ。」と声を出して我が身を励ます。

そしてポーチの中に大事にしまってあった店の雰囲気とピッタリ合っている焦茶色にラズベリーレッドの文字が素敵なハウスカードを出してみる。立ち止まって裏に書いてあるアドレスへメールを入れた。


「いつから来られる?」

そうメールがすぐに返ってきた時には、面接の日だろうと思ったから、「明日にでも」と気楽に答えたら、

「じゃあ明日の10時な」

そっか10時ね、了解の返事をしてバイトに向かった。

半年弱働いたバイト先では、友達も出来たし、パートのおばちゃんにも可愛がってもらったから、ちょっぴり泣いて別れを告げて学校へ行く。

いつもの調子で、明日にでも皆んなに会える気がしちゃうけど、またみんなに会える日は来るのかな。


そして翌日、やっぱりちょっと道に迷って、早目に出て来て良かったぁと思いながら、店の呼び鈴を鳴らす。小売店なのにドアに鍵が閉まってるなんて変な店。挨拶もそこそこに、店に入るとすぐにコックコートを着て粉を量っていた。

全く条件とか待遇とかシフトとか聞く間も無く。

私、大丈夫なのだろうか。

とりあえず、やれと言われた仕事が上手くこなせるか見るという面接なのかもしれないと思い直し、持ち前の慎重さと小回りのきく動きでテキパキと仕事をこなす。

見たこともない名前の小麦粉の袋。チョコレートの種類。そして展示品の様に並べられた道具たち。とりわけ美しいのは、アンティークなのか銅で出来た型たち。木で出来たクッキーの形に押せる伸ばし棒も可愛らしい。持ち手のところが大理石っぽいのなんて撫でてみたい。いくつあるのか、様々な大きさの泡立て器。とても1人だけで使っているのだとは思えない広い厨房。ある程度仕事の目処が付くと、こんな自分の厨房を持ちたいと周りを見てうっとりしてしまった。

「終わったんなら、そっちの台の卵を卵白と卵黄に分けて入れて置いて。」派手派手マンは、準備の出来たものを一つ一つ確認しながら、そう言った。

卵白を慎重に大きめのボールに入れていく。卵黄はぷっくりと弾力があって美味しそうだ。

「次は何すれば良いですか。」

「ん、グラニュー糖をあと20グラムそこのボール分けて置いておいて。

どうやら私は材料を揃えだけで、何か作業に関われるわけでは無いようだ。それでもこの前食べさせてもらったプチフールの味を思い出したら、近くで腕前を見られるだけでもラッキーな事のように思える。その時ハッと思いつく。えっ!もしかしてコレって修行?無給?無理無理、バイトだよねバイトって言ってたよね。と何の説明とか合意もなく始まった作業は、不安なことこの上ない。最後に必ず確認することと、頭の中でメモを取る。

「よし、やっぱり1人でやるより随分速いな。始めるか。」独り言を呟いて、髪を縛りながら壁にかかっていたコックコートと三角巾に身を包み作業台の前に誉君は立った。

「あっ俺がさ、コレらを作っている間に、先ずはそのオーブンを230℃にセットしてから、店に行って箱を組み立てておいて。赤が5個と深緑の方を20ね。」

えっマジ作業見してくれないの⁈

と慌てて店に行って箱を組み立てなきゃ、まずオーブンか。オーブンは最新式なのかとてもピカピカ光って綺麗だけど、どうやらドイツ語で書いてあるようだ。温度設定位ならと思ったけど電源入れるスイッチさえ見当たらない。

ふーと息を吐いて、目をつぶって落ち着け落ち着けと繰り返してから、目を開けてオーブン全体を見る。学校の業務用オーブンを思い出しながら、もう一度見直すとなんとかスイッチを発見。温度は摂氏で書いてあるみたいだから助かった。

さぁ、箱組み立ててどんな作業するのか見なきゃ。チラリと振り返って作業台を見ると、派手派手マンは、黙々とクリームをかき混ぜていた。

「えっ〜手なの⁈

あんなに良いホイッパー持ってるのに。」と言ってしまいそうになってその言葉を飲み込んだ。


結局、粉を振るとか、少しずつミルクを足すとかの簡単な作業を手伝って間近で段取りを見ることができた。

とっても基本に真面目にしかも段取り良く作る人なんだなぁと、派手派手をコックコートに仕舞い込むと人も変わるのかしら?と感心していると、

「もう帰っていいよん」と派手派手マンが言う。

「えっ」と時計を見ると、もう3時だ。

えーっ昼も食べずに、それすら気にならずに、ぶっ通し働いていたんだ。するとぐグゥ〜とお腹が鳴る。

「そこのラックにあるフィナンシェはじの2つが焼き過ぎだから食っていいぞ。」と言ってくれる。

やったー!

「いただきます。」

先程から厨房の中の美味しい匂いに我慢しきれず、粉のついた手も洗わずにパクリと齧り付くと、幸せ〜と瞬時にエンドルフィンが脳内を駆け回る程美味しかった。

「美味しい〜」つい声が出る。

「あたりメェだ。俺が作ったんだからな。」

派手派手誉さんは、手を洗いながら言って、奥の扉の方に行く。

「おーいちょっと来て」

扉を開けて、呼ばわるとすぐに

「何?」と線の細い憂いのある長髪のイケメンが現れた。

「あっ君?誉のお眼鏡にかかったおチビちゃんて。名前なんて言うの?」

「岡寺 巽です。」

「ふむ、なるほど。」意味ありげな視線を私に送る。

「これから、週にえっと何日来られんの?」と誉君。

「えっ、採用してもらえるって事ですか?」

「何言ってんだよ、合格って言ったよね。それにもう働いてんじゃん。で、いつ来る?それによって注文量セーブするから。」

「えっと、採用してもらえるのか分からなかったら、ちょっとまだ考えて無かったんですけど、今までのバイトが火木金の昼間だったのでそれなら大丈夫です。」

「OKじゃっそれで。また変則シフトになりそうなら連絡するよ。」と言ってイケメンに顎をしゃくると、

「コイツは、丈瑠で大体このうちに居るから何かあったらコイツに連絡してね〜。ウチのマネージャーね。占い師みたいな事もやってるけど、ろくな事言わないから聞かない方が良いよ。」

「なんだそれ、余計なこと言うなよ。俺だって仕事してる時あんだから、いいように使うなよ。」

と丈瑠君は眉間に皺を寄せて、ますます精悍な顔になって言った。

険悪な雰囲気に、何か言わなきゃとちょっと焦って、

「ご兄弟ですか?」って聞くと派手派手誉君は、パタパタと手を振り

「なんつうんだっけ?従兄弟じゃなくて〜」

「ハトコだよ」

「そうそう、それ。」とパチリと指を鳴らして大袈裟にポーズを取る。

それを無視して、こちらに顔を向けた時には優しい笑顔になって、

「俺は砥部占丈瑠。俺が触ると菓子が不味くなるらしいから、店の物には触らないけど、お金のことことか、事務的な事は俺に言って。誉はさ、いい加減そうに見えて仕事はしっかりやるから安心していて良いよ。なぁ。」と誉君に同意を求める。

「何が心配な訳よ、俺はいつだって誰が見ても真面目にやってるっしょ。」と膨れっ面をしたのを見て、丈瑠さんと顔を見合わせ思わずぷっと吹き出してしまった。

「なんだよ、もう仲良くなって俺を笑い者にしちゃう訳?まぁいいや、仕事は今日みたいなことだから。さっきみたいにやってくれたらいいよ。たださ、慣れて手抜きし始めたら、お構いなしにもう来ないでって言うから。突如そう言われてもそれは気紛れとかじゃなくて、そう言う事だって覚えておいて。了解?」

誉君は、さっきのお菓子を作っている時の真剣な顔に戻ってそう言った。

「はい、了解致しました。」とペコリと大きな声で応えると、丈瑠さんが

「いいねぇ君」と誉君と同じ口調で言った。

「だろ⁉︎で今日の分ねぇ〜」と誉君はピラリとポケットから一万円札を出して「はいよ」と私にくれようとする。

「えっ〜多すぎます。」

「良いの良い。細かいのとか後で計算とか面倒だから、日払いにするから。交通費込みで、たまにお使いとか買い出しとか行ってもらう時はさ、領収書キッチリ貰ってきてね。それは丈瑠に渡してくれたら別に払うからさ。」と言うので、

「でも、こんなに貰ったら週3では来れなくなっちゃいます。」

「?なんで?」と誉君はポカンとする。

すると丈瑠さんが

「扶養問題だよね?学生だもんね。」

「あぁ大丈夫、大丈夫。年間80万位にしとくから。なら大丈夫だろ丈瑠?」

「そうだな、今は100くらい大丈夫だったと思うぜ。調べとくよ。」

「そっかじゃそこらへんは夏休みとかで調整しようぜ。なぁ丈瑠、適当な時に休む様に言ってやってくれよ。つーことで、ほら持ってけ。」とまたピラピラとお札を振る。

「はぁ、では有り難く頂きます。ありがとうございます。」とバイト料を貰った。

待遇を心配していたのは、取り越し苦労だった。修行も兼ねていてこんなに条件良いなんてあり得ない。頑張るぞぅと叫びたくなるのを堪えて、

「では、明後日も今日の時間でいいですか。」

「OK」と言うと誉君は、もう私のことは目に入らないような集中力で残っていた作業に取り掛かった。

すると後ろから丈瑠さんが、

「まぁ、あんな感じだから宜しくね。やる時は何事にも真剣手抜き無しだから。ちょっとぶっ壊れてるところもあるけど面白い奴だよ。」と言って、丈瑠さんの連絡先とか、店の方の鍵の開け方とかを教えてくれて最後に

「そうだそうだ、ああ見えてもアイツ人気者だからさ、ここでバイトしてることは誰にも言わないで欲しいんだ。良いかな?学校の友達には特に。菓子に興味のあるやつとか、ロック好きには割と有名なのよこの店。でもさ誉は、仕事選ぶから。君が友達のよしみで、注文頼まれでもしたら、誉のやつきっと激怒するし、断るのも辛いでしょ?」

「あっ。はい。承知しました。誉さんバンドとかやってんですか⁉︎だからあんな派手な服着てるんですね。なるほど〜。」と言うと丈瑠さんは、爆発した様に上を向いて大笑いして

「いいねぇ君。」とまた言った。

何か可笑しな事私言ったかな⁇


後から聞きたい話によると、誉さんはかなり有名ミュージシャンだったらしく、人気絶頂な時レコーディングで行ったイギリスのバビントンティールームってところでスコーンとクロデットクリームに出会い、食の砂漠とも言われるイギリスでこんなに美味い物があるのなら、世界にはもっと美味いものがあるはずだと、サッサとバンドを抜けてお菓子の武者修行に行ってしまった。でも請われて元いたバンドや他の人にも時折楽曲を作り続けて、今でも結構有名らしい。私は音楽の事はからきしチンプンカンだから、何を聞いても「ヘェ〜凄いんですね」とかしか言えないのがもどかしい。

だからなのか、店には時折とても有名な業界人と言われる人がやって来る。そもそも完全予約制だから誰が来るのか分かってはいても物凄い緊張しちゃう。まぁ大体はマネージャーや付き人と言われる人が来て、ホッとすることの方が多いんだけどね。

そんな風に、私はいきなりthe東京っていう感じのアルバイトが始まったのだった。田舎娘で世間にもエンターテイメントにもからきし鈍い私が、誉さんに首を切られずやって行くには、手抜きをせずにとにかく頑張るしか無い。

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