第12話
菓子屋12
納屋の裏には、山の斜面を利用した昔防空壕に使ったこともある室が在る。温度が一定なので、お芋や味噌の保存場所として使っている。実は奥まったところの岩の隙間からもう少し奥に入ることが出来る所があってその隙間には、お母さんと私だけが入ることが出来たんだけど、今年は何故かマックさんと2人だ。狭い空間を抜けると、祠のみたいなちょっと広い空間が現れる。一番奥に岩肌から流れ出る水が溜まって出来ている池があり、それは山の上の本堂からしか行けない鍾乳洞や鏡池の水脈と繋がっていると言われていた。当主がお水取りをするときは、山の鍾乳洞の池で禊をするが、私達は此処で毎年禊をしている。
白装束を着て水の中に入る。外の寒さを考えると、返って温かいくらいだが、それでもこの季節水に入るのには覚悟がいる。
小さな時は母におぶられて、1人で入れるぐらい大きくなった時も、此処でよく泣いたと毎年の様に母は思い出して言っていたな。
四畳半くらいの空間の半分くらいが池で奥の岩の方は足が届かないくらい深い。その深い底には川のような流れがあるので水が溢れ出ることは無い。
下げて来たランタンを、足元に置いて、余り奥まで行かないようにマックさんに注意してから、水に入っていく。
水に足を浸けると、ピリピリと頭の先まで冷たさが駆け上る。
「大丈夫ですか?」と声を掛けると、
「大丈夫。」と静かにマックさんが答える。3歩も進むともう水は胸のところまであるので、そこで足を折って肩まで入り更に頭を沈める。横でマックさんも私を真似て水に体を沈めている。背の高い彼はもう一歩奥に踏み出して頭で浸かろうとすると、グイッと何かに引かれるように体が奥へと持って行かれる。慌てて腕を掴んで引き戻し、そのまま水から上がる。
「奥に入ると川のよう流れが有るんです。」と言うと
「いや、何かに掴まれて引っ張っられた様な気がする。」とちょっと怖い事を言う。
「とりあえず禊は、終了なので此処を出ましょう。」
とそのまま腕を引いて戻ろうとすると、ランタンとは違う光で祠がほんのり明るくなる。
光源は、なぜか私のようだ。
「ちょっと後ろを向いてみて。」
私の頸の辺りから、青み掛かった淡い光が漏れ出ているとマックさんは言う。
襟元に手を掛けて、少し引き下げると、
「印だ」と呟いた。
2人の濡れた身体から体温でもうもうと湯気が上がり、それが光を受けて祠は海の中の様にブルーに染まる。頸に掌を当ててマックさんが、
「僕の諱を言ってみて。」
「諱?」
「昨日、本を読む前に教えたよね」
あのセリフの様な言葉の中に確かに名前を言っていたことを思い出す。
「マッケンロー・龍臣・村正?」
すると、地響きがして足元が揺れた。池の水が盛り上がり波のように勢いよく私達に降り掛かる。
思わずマックさんが私を強く抱き寄せる。一瞬水の底にいるような感覚に襲われて目を開けると、目の前にはマックさんが居るけれど、周りには見たこともない情景と空にはそれはそれは大きな鳥?自分の両脇に誰かが立っているが顔が見えない。
「何これ?」と頭を振ると、ランタンの光で仄暗い祠の中にマックさんの腕の中でさっきと同じ様に立っていた。池の水が微かにさざ波を立てているだけだ。
「見ましたか?」
「あぁ、水面が何かに共鳴したのか、かなり盛り上がったね。」
「それだけですか?」
「えっ?」
マックさんには見えなかったんだ。白昼夢の様なものかしら。辺りをぐるりと見渡すと、青い光も無くなっていた。
「お母さん、盆の窪より指三本上って言っていたけど、下だったね。」と可笑しそうに言うマックさん
「確かにぃ、本当にいい加減なんだから。印ってどんなのでしたか?」
サッと当てていた掌を返すと薄っすら雫型の中に五芒星が入っているような痕が紅く見える。そこを指で辿ると、また手の中から光りが湧き起こる。慌てて手を離すと、何事もなかった様に掌の紅い痕さえ見えなくなった。
「これで僕達が言い伝えの2人だのったと確認出来たね。どんな事が起こるかは、まだ分からないけど助け合わなきゃならない時が来たら、巽を呼ぶ。巽も必ず僕の諱を言って助けを呼ぶんだよ。必ず巽の元へ行く。」
本当に助けが必要になる時なんかが来るのかは、大いに疑問だったけど、必ず助けに来ると言ってくれたことが嬉しくて
「はい、必ず貴方を呼びます。」と寒さで歯の根も合わなくなってきた震える声で答えた。
いつもは、室の方にアラジンのストーブを置いて温めておくので、そこでは着替えるのだけれど、よく考えたら、マックさんの前で着替えるわけにも行かないので、一旦家に戻って着替える事にする。
夜明け前に濡れた身体で外に出ると、体の芯から凍ってしまうかと思うほど寒かった。
髪も乾かして、登山のフル装備の上に更に修行僧が着るような白い袈裟をかける。
詰めたお菓子でかなり重いリュックを持ち上げて、
「コレを持っていくの?」とマックさんが聞く。
「これで足りるかなってくらいなんですけど、今回はお母さんが居ないから。」
「僕が持つよ。」
「駄目です。初めての山を舐めてはいけません。マックさんの荷物に私の合羽とかザイルとか入ってますからそちらをお願いします。」
私のリュックに比べたらかなり軽そうなリュックを持ち上げて、
「もう少しは持てるよ。」と少し怒った顔で言うので、しまった自尊心傷付けちゃったと思い
「では、少しお願いします。」
と袋を幾つか移して、
「さぁ夜が明ける前に行きましょう。」と胸にあの古文書があるのを確認して登山靴の紐を締め直して立ち上がると。
チリチリンと膝から何かが落ちて音がした。足元を見ると誉さんのおばあちゃんがくれたペンダントが光っている。
「なんでここに、、、」
裏玄関にポイと置いていくのも憚られて、首から下げて服の下に仕舞い込んだ。
ばあちゃんだけが起きて来て、
「気を付けてね。」と私達2人に伯父さんの手書きの短冊型の守り札の束をそれぞれにくれた。
「使わなきゃ一番良いんだけど、御守りだからポケットにでも入れておきなさい」と独り言の様に言って、
「さぁ、早く日が昇り始めちゃうわ。」
言われた通りポケットにお札を仕舞うと、
「ばちゃんありがとう。行って来ます。」と手を振って外に出た。
ヘッドランプの明かりを頼りに、家の裏の獣道を分け入って、最初の鏡池に着いた時、空が明けてきた。
吐く息が、白く尾を引く。
手順通りに四方にお菓子を置き、三礼をして三番叟鈴を鳴らす。お菓子を一つ池に落とし代わりにお水を頂く。これを十ニの池を順番に廻って行う。
本を取り出して地図を確認しながら、南に登る道を分け入って二つ目の池を目指す。着いた時には、足元が霜でぐっしょりと濡れていた。頬は冷たく凍る様なのに、ジャケットの中は汗ばんでいる。始めは話しながらの登山も息を整える事にし集中して2人とも無口になっていた。三つ目の池のお水を頂いた後、岩を削ったほぼ垂直に感じる階段で四つ目の池を目指す。マックさんは右足の小指にマメが出来てしまい、一度靴を脱いでキズパワーパッドを貼ってもらった。
霜の溶け始めた岩は滑りやすくて、登山靴の上から草鞋を付ける。マメが潰れなきゃ良いけど。
マックさんは。白い息を吐きなら黙々と付いてくる。四つ目の鏡池に着くと、眼下に町が見えた。見慣れた変わる事の無い川に沿った小さな集落だ。
池にお供えのお菓子としてカヌレと素甘とブールドネージュをマックさんのリュックから出して置く。今年の御礼と来年も平穏な日々でありますようにと心で願ってから、カヌレを落としお水を頂いた。
すると、近くの岩に座っていたマックさんとは逆の方から声がした。
「おっ今年も何やらイイ匂いがするなぁ?」
声の方を見ると、小さな男の子、いや男の人?おじさんみたいな人がこちらを見ている。ビックリして尻餅をつくとマックさんが寄ってきて、「どうしたの?」と聞くので指を指して
「あそこに変なおじさんが。」
目をすがめて私が指差した方を見る。「どこ?」
着ているものと森が迷彩の役割をして確かに見えづらいが、今もそこに居るじゃない。
「見えないですか?いますよそこに、太々しく笑っています。」
小さな男は、仕方ないと言って池の縁にあった大きめの石の上に乗ってクルリと一回転した。
「よう、剣のにいさん此処だよ。コレなら見えるだろ。」
「オマエは何者だ?何故剣の事を知っている。」
「まぁそいつはおいおい教えてやるよ。それより思ったより時間が掛かっている。まだ出てくる予定じゃなかったが、仕方ねぇ。俺が案内してやるから着いて来な。」
そう言ってヒョイとカヌレを口に放り込んでトコトコと前を歩いていく
「あっ食べちゃ駄目。」
「よう、ちび助腕を上げたな。あはは俺にちび助とは言われたかねぇか。」とひとしきり笑ってから、
「俺は味見係だから良いんだよ。」
何者かも分からないが、確かに次に行く方向へ行くので、
「とりあえず時間も無いし、行く方向は間違ってないので行きましょう。」
とマックさんを促す。
やっぱり潰れてしまった足のマメが痛むのだろう少し右足を引きずっている。
暫く進むと「さぁこっちだ。」と前にある雑木林に入ろうとする。本を取り出して地図を見る。
「でも、いつもなら右のあの木の間を通って行く筈だけど。」
「僕達を迷わそうとしているかもしれない。」
「何をごちゃごちゃ言ってんだ。あの木の間の道を行けば倍の時間が掛かっちまうんだ。まだ半分も廻ってねえってのにこの日の高さだ、早く着いてこい。」なんでこんなよく分からない奴に威張られなきゃならないのかと腹が立ったが、確かにこのペースでは間に合わなくなるかもしれないし、コイツの正体だって知っておきたい。
「分かったもし嘘ならタダじゃおかないからね。」と言うと
「オォこわ」と嘯いてスタスタと歩いて行ってしまう。
「行きましょう。足大丈夫ですか?痛みますか?」
「足は大丈夫。でもアイツには気を付けよう。」と私を後ろに庇って歩き出す。
初めて通る森の中は、夏なら下草が生えて歩く事は難しそうだが、今は落ち葉が積もってちょっと足を取られるが、なんとか歩ける。
暫く行くと岩場に出たがよく見ると登れないこともないルートが有るのが分かる。
マックさんが登れるかちょっと心配になったが、今から後戻りしている暇は無い。私の方向音痴では当てにならないが、五つ目の池はこの真上な筈だ。
先に得体の知れない、おじさんが登ってしまったので、次に私が行こうすると、マックさんはそれは駄目だと言う。
自分が下にいる間に何かあったらどうするんだと真剣に心配している顔で言うので本当は先に行って、マックさんにはザイルを使って欲しかったけど、仕方なく先に行ってもらった。
下から確保する位置をアドバイスしながら肝を冷やす羽目になったが、マックさんはどうにか上がってザイルを下ろしてくれた。
「チビ助にそんなもんは要らねぇよ」と声が聞こえたが、とりあえずカラビナにザイルを通して、マックさんの半分の時間で登り切る。
やはり目の前には、五つ目の池が在った。本当にかなりの時間の短縮になった。
「ほら、早く着いただろ。」
この先は、尾根伝いに在る三つの池を廻って行く。
なだらかな稜線を歩きながら、
「あなたは一体誰なんですか。名前は、何で私達が此処へ来ることを知っていたんですか。それに目的は何ですか?お水取りの儀式を何故知っているんですか。」と矢継ぎ早に聞くと
「おいおいチビちゃん、そんなにいっぺんには答えられねぇだろ。質問は一つずつだ。」
「まず名前は?」
「俺か?久しく呼ばれてもいないが、洞窟の守り人アール。」
「じぁアールさん、何故此処にいるの。」
「時が来たから迎えに来た。」
「あなたは鑑なの?」
「いや違うね」
「じゃあ、何者なの?」
「何者かと聞かれたら、洞窟の守り人というしか無いが、まぁ主人をお守りするために遠い国からここまで着いて来た者だな。」
「主人?それは誰?」
「そこの剣のにいさんに聞いてみな。あぁ、まだ思い出していないのか。そいつもその為にこの国へ来たんだ。おい、そろそろ思い出しても良いんじゃねぇか。」
マックさんは、そう言われて驚いた表情になった後、眉間に皺を寄せて考えていたが、頭を振って
「口から出まかせじゃないのか?」と呟いた。
「お水取りの儀式をどうして知ってるんですか?」
「それは複雑な話さ。古来この国でやっていた儀式なんだろ?この国の事はまるで知らない。何せ俺は余所者だからな、、」その後何か言おうとしていたようだが、声にならない
「俺はお喋りが過ぎるから遠い昔に呪いをかけられたんだ。時が来るまではこれ以上は何もお前さん方には言えないらしい。まぁ、そのうち分かるさ。」そう言うと前を向いて歩く速度を速めた。
マックさんを見るとかなりバテている様だ。トレーニングで鍛え抜かれた身体は、重い。山を長く歩くのにはコツも要る、本当は少し休んであげたいけれど、アークの姿は更に小さくなって行く。
八つ目の水取りを無事に終え、後は降りながらの三つだ。
荷物はかなり軽くなったけれど、山は案外下りの方がキツい。それに禊後は、飲み物以外口に入れてはならないと言われて来た。空腹は体力を奪う。池にお供えを置くたびに摘み食いをするアークを横目に見ながら、お腹が鳴る。
道を逸れて下った先に小さな滝がある。鏡池と名のついた滝壺に手順通りに供物を置いて祈る。コレが終わればあと二つだと、次に行こうと立ち上がると、滝が割れてそこからギョロリと大きな目が見えた。
「ひゃーなになに?」と大きな声を出してポケットに仕舞っていたお札を出して滝から出ている目に向けて投げつけようとするとアークがやって来て、小さな手にしては強い力で腕を掴まれた。そして滝に向かって
「明日皆が揃うまで、待って下さい。」と頭を下げている。
アークが、こちらを向いて
「早く‼︎札じゃなくて、お菓子をそうだなスコーンを、スコーンを一つ出すんだ。」
「何なのコレ?えっスコーン?何で今?このままで良い?クロテッドクリームも付ける?」と混乱した私は余計なことまで後退りしながら聞く。私が、「クロテッドクリーム」と言ったところで地響きに近い唸り声がきこえた。「分かりました今つけてあげます、あげますからちょっと待っててね。」とリュックから慌ててスコーンを出してたっぷりとクロテッドクリームを塗った。アークにそれを渡すと弧を描いて滝の方へ投げ入れる。すると滝の隙間から覗いていた目は居なくなり、あっという間に元の流れになって水飛沫をあげてるだけになった。
「何なの?コレ?さっきのは何?」アークに詰め寄ると
またパクパクと口を動かしているが声が出ない。もう、イライラする。
アークは、地に耳を付けて音を聞き、空を見上げて様子を伺う。
「大丈夫だ、見つけられはしなかった様だ。」とほっと胸を撫で下ろしている様だ。
「どう言う事」と半ばキレ気味に詰め寄るが、口を指差してパクパクと首を振る。何て都合の良い呪いなの。
胡散臭い事この上ない。
そうだマックさんは?と振り返ると座り込んで寝かかっている。駄目よ寝ては!近くに行って手を取るとひどく冷たい。低体温症になりかけているのかもしれない。やはり何も食べていないのが良く無いのかも。水筒からカップにお湯を注ぎその中にこんな時のために持って来たプロテインの粉を入れた。飲み物って事でどうか神様許してください。とお願いしてからマックさんに少しずつ飲ませる。ホカロンの封も切って、ジャケットの中のおへその下あたりと肩甲骨の間に貼ってみた。大きな厚い手を擦って、白い氷の様に冷えた頬も擦って、瞑った瞼を見てまたなんて長い睫毛と今の状況には似つかわしく無いことを思ってこちらの頬が赤くなる。
「起きてください、寝ては駄目です。もう出発しますよ。あと少しです。」と呼び掛ける。
すると横で
「世話が焼けるなぁ」とアークがつまらなそうに言う。
「何だ喋れるんじゃ無い。さっきのは何?」とすかさず聞くと
「後で、そこの本を読んでみるんだな。」と私の胸のあたりを指さした。
すると、マックさんが目を開けて
「王は、我が龍王はいずこに。」
と、うめく様に言った。
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