第9話
東京と比べると何度くらい違うんだろ、寒い。ダッフルコートの前をかき合わせて肩をすぼめて手袋をはめた手に息を吹きかける。去年もこんなに寒かったっけ?いつの間にか身体は、環境に順応してしまうだなぁと改めて思う。
長距離バスも発着する駅のロータリーだけど、朝早いせいかタクシーも1台位しか停まっていない、長閑な広場っていう風景だ。前は、家からここに来ると街に来たと思っていたのに、東京に1年も暮して居ないのに、ここの景色が田舎町に見えてしまうなんて、東京はやっぱり魔物が住んでいる。私の住む隣町までのバスの時間をチェックしていると、携帯が鳴って「何時に着くんだ?」と父さんからメッセージが入る。
「もう着いたよ、7時のバスで帰るね」
とメッセージを返した。
「バス停まで迎えに行くから」とすかさず返信が来た。
お父さんスマホにしたら、お菓子の写真送ってあげられるのになぁと、ぼんやり考えてバス停に座っていると、目の前に車が停まったので目を上げる。するとさっき瀬田駅まで乗っていたポルシェのSUVがあった。
立ち上がって
「どうしたんですか?」と間の抜けた声を出すと
「忘れ物、お菓子の紙袋乗ったままだったよ。お土産でしょ。」と妙に嬉しそうな声で言う。
「ヤダ、ぼんやりしちゃってすみません。」
それにしても。この田舎町にこの車は目立ち過ぎる。高校生が急に増えた感じに見えたのは、この車のせいに間違いない。
「ありがとうございます。遠回りさせちゃってすみません。」
と言うと、
「遠回りついでに家まで送って行くよ」
「イヤイヤ、それはなんでも申し訳ないです。」
と狼狽していると、駅の方から
キャーと女子高生の声が響く。冬休みなのに制服姿の子がどこからこんなに湧いて来るんだろう。
コレはまずい、このロータリーから出られなくなる前に車を出さないと、
「ほら乗って。見つかっちゃったみたいだし。」
「えぇ。でも」と躊躇するけど、ワラワラと、どこから集まってくるのか、高校生以外の若い子達までこちらに向かって走って来るのが目に入った。Twitterというやつが発動してしまったのだろうか?
「すみません。」ととりあえず乗ることにした。
昨日の葉山へのランチデートは、2人きりとはいかなかった。
待ち合わせした六本木ミッドタウンの駐車場に現れたのは、不機嫌そうなマックさんを乗せた、大和さんのエルグランドだった。
それでも、紳士なマックさんは後部座席のスライドドアを開けてくれて、乗るのに手を貸してくれる。自分も後から乗って私の横に座ると耳元で
「コート可愛いね。」とちゃんと褒めてくれる。癖になりそうだな。ちょっと機嫌を直した声で「ごめんね、大和さんに店に予約取るの頼んだら、誰と行くのかって話になって、今は大事な時だから2人きりはダメだって言われちゃって。隠す必要なんて無いって言ったんだけど、大人には大人の事情があるみたいだから、今回はこんな感じで許して。」と謝りながら、手をつないで肩がピッタリとくっつく。
「全然大丈夫です。」と答えるのがやっとな位動揺してしまった。
道路は年末らしく渋滞していて、予約の時間を大幅に過ぎての到着だったにも関わらず、お店の人はにこやかに迎えてくれる。
3階の個室に先に大和さんと入ると、しばらくしてからマックさんが来て大和さんは、
「ごゆっくり」と出て行った。
本格的なフレンチは初めてで緊張気味だったけど、学校でテーブルマナーは習っていたし、マックさんがちょっと白々しと思えるほど、コレが魚用かなとか言いながら、カトラリーを持ち上げるのでオロオロして恥ずかしい思いをする事も無かった。
ランチのお客様が殆ど帰った頃デザートはテラス席になさいませんか、とお店の人が声を掛けてくれる。
もう西の空がオレンジに染まリ始めている。こんなに時間が経っていたなんて、全然気づかなかった。私がどんなところで育ったのかとか、マックさんの高校時代の話とか、他愛も無い事を言い合いながら本当に一瞬みたいに時間が過ぎる。勿論お料理は物凄い美味しくて、初めて食べるものばかりだった。地元では、こんな本格的なフレンチに出会える訳がないし、学生が気楽に本格的なフレンチなんてなかなか行けるものでも無い。
デザートがワゴンで運ばれて来ると、全部少しずつ貰えるかとマックさんは聞いてくれて、彼女はDélicieux bonbonsで修行中のパティシエなんですと私のことを紹介する。
「それはそれは、是非召し上がってみて下さい。」と一度奥に戻って、小さく切り分けたケーキ達を綺麗に盛り付けられたお皿が運ばれて来た。
沢山食べてもう食べきれるか心配だったけれど、たっぷり時間をかけて食事をしたからか、全てをペロリと食べる事が出来た。
厨房から、コック帽を被った人が出て来て
「パティシエの中村です。誉さんは、お元気ですか?」と聞く。
誉さんのこと知ってるんだぁ。
「はい、とても元気です。」
「いかがでしたか?ご満足いただけましたでしょうか?」にこやかに尋ねる。
「はい、とても美味しかったです。あの緑色のソースは、小松菜ですよね?レモンとあんなに相性が良いなんてとても勉強になりました。それから、クリームプリュレに入れたチーズはなんと言う種類ですか?それが分からなくて。もし良かったら教えて頂けませんでしょうか。」と言うと、目を開いて
「あの量でチーズが入っていたのが分かったんですか?あはは誉さんの仕込みはさすがだなぁ。でも、コレは企業秘密ですから、お教えしません。色んなものを召し上がってから、また当てに来て下さい。」と嬉しそうに言った。
中村さんがブリュッセルでお勤めしていたお店に、派手ななりをしたギターを抱えた誉さんが、無給で良いから働かせてくれと突然やって来た時に出会ったとか、その店であっという間に誉さんが腕を上げて出ていった話、デザートを作るときの心構えなどの話をしている間に、夕陽は静かに落ちて行き、テラスも私達もすっかりオレンジ色に染まった。
なんて素敵な時間なんだろう。
そろそろディナーのお客様がやって来る時間なので、席を立った。
おばあちゃんと善美さんにレストランでは、自分の分を支払うなんて野暮は絶対言わない事って約束させられていたので、店を出たところで
「ご馳走様でした。美味しかったです。」と言うにとどめた。まぁきっと出したくても出せなかっただろうけどさ。
それにしてもこんなに長く大和さん待たせてしまって大丈夫だったのかなと心配になりながら、駐車場までの短い距離を歩く。
「タツミンは、お菓子の事となると物怖じしないんだね。」
「あっ、まぁえっと、普段はあんまり物怖じする方では無いんですよ私。気も強いし。」
「えっ。」
とちょっと背筋を伸ばしてマックさんの目をちゃんと見て
「これ、クリスマスプレゼント。頂いたものに比べたら、なんか申し訳くらいなんですけど、今の私にはコレくらいしか出来ないので。」と昨日帰ってから慌てて作ったビスコッティと、善美さんと別れてからラフォーレで買ったニットの手袋を渡した。
「さっきテラスで渡せば良かったですよね。気が回らなくて。」ってまたちょっと照れて下を向いて言う。
「開けて良い?」
「もちろんです。」
出した手袋をすぐにはめてくれた。深いブルーが白い肌にとてもよく似合う。
「ありがとう、嬉しいよ。こっちはお菓子かな?」
「はい、暫く会えないから長持ちする様ビスコッティにしてみました。」と言うと、
「ヤダなぁ、会えないなんて。」
と言って抱きしめてられた。そしてこの間の時よりずっと本格的なキスをした。
もう膝の力が抜けて、立っているのがやっとだったの分かっちゃったかな。
駐車場には、大和さんのエルグランドは無くて、マックさんのポルシェのSUVが待っていた。
帰りは2人でも良いって事らしい。
そして、帰りもやっぱり凄い渋滞で思っていたより帰るのに時間が掛かってしまった。アパートに帰って着替えて荷物を持って深夜バスの時間まで間に合うか心配になったけど、こんな素敵なデートをセッティングしてくれたマックさんに嫌な思いはさせられないから、その事はおくびにも出さないように気をつけていた。それでも、予約していたバスにギリギリ下手したら乗り遅れるかもと言う時間になって、「一本遅い方に変更出来るか電話してみる」と言うと、明日からどうせ同じ方面へ行く予定なんだから、何時間か早く出て車で最寄り駅まで送って行くというマックさんに押し切られてしまう。大和さんに怒られちゃうなぁ。家の近くの24時間営業のスーパーの駐車場で降ろしてもらってから、3時間後にまたそこでピックアップしてもらうことになった。
わざと渋滞している道を遠回りしていたかどうかは、土地勘の無い方向音痴の私には分からない事なので、考えないことにした。
そして、高速を降りて1番アクセスの良い瀬田駅まで送ってもらった。そこで降りて始発に乗って最寄りの駅まで来たはずなのに、結局家まで送ってもらうことになった。
これは、マックさんの陰謀なのかな?
お父さんに連絡入れるのをすっかり忘れていた。焦ってとりあえず玄関を入ると何故か
「おかえり」とお父さんが迎えてくれた。
「母さんがさ、行かなくて大丈夫だって言うから。あの人たまに予言するでしょ。今回は当たったね」そう言って私の後ろに男の人がいるのに気付いて、お父さんはかなり狼狽している。目で誰?誰?と聞いてくる。目線だけ説明出来る程簡単にはいかない。それなのにお母さんは、私達が来る事を知っていた様に、ごく当たり前にマックさんを家に招いた。しかし異様に着飾って見えるのは気のせいだろうか。
「まさかとは思ったけど、本当にね」とか呟きながら、マックさんをリビングに招き入れる。
「ようこそいらっしゃいました。余りにも田舎でビックリしたでしょ。」
私の家は、駅から25分バスに乗って、更に自転車なら10分、歩いたら20分は優に掛かる山の麓にある。母の実家は、そこから少し山に上がったところにある寺だ。
此処も、寺の敷地内であるらしいが、寺の敷地は山全体なので、寺の中という感じは全くしない。
「いえ、巽さんからお話は伺っていましたので。」となんだかとてもお行儀がいい。
「思ったより早くお会いできることになって少し驚いていますが、いずれお会いできると思っていましたよ。でもまさか貴方だっとは、考えもしなかったわ。」とお母さんが言う。
ちょっと意味が分からんなぁと思っていると
「改めまして、こんな朝早くから押しかけてしまって申し訳ございません。私、仕事で野田マッククイーン村正と名乗っておりますが、マッケンロー・村正と申します。先日よりお嬢さんとお付き合いをさせて頂いております。よろしくお願い致します。」と仰々しく言って頭を下げた。
お父さんは、私が男の人と帰って来ただけでも腰を抜かしそうなのに、今の口上を聞いて初めてゲーノー人のマックイーンだと気付いて仰反る程驚いている。だよね〜私も改めてこんな口上を聞いてびっくりちゃうもんね。
そう思いながら、へぇマッケンローって言うんだと忘れないようにしなきゃと書くものを探して間の抜けた顔でキョロキョロしているのに、お母さんは全て知っているという顔をして
「いきなりですけど、あなたはセカンドネームじゃなくて、諱をお持ちよね。それを貴方がこの子だと確信しているのならこの子にだけ、他の誰にも知られ無い様に教えておいて下さいね。きっとこの子が貴方を助ける時が来るはずだから。」
そう言うと、今度は私に向かって
「貴方の頸の、盆の窪から指三本上に時が満ちる時に現れる印があるはずなの。私も言い伝えだからはっきりした事は知らないし分からないけれど、コレを伝えるのが私の役目だから、伝えるね。
その印を剣の名を持つ龍神の使いに見せる事。それによってお互いは共鳴出来、助け合う。
だから、村正さんと2人の時に見せてあげてちょうだい。」
いったいお母さんはなにを言い出すのか、昔からちょっと天然で変な事を言い始めるところはあったけど、こんなこと突拍子も無いことを言うは初めてだった。
「どうしちゃったのお母さん、何か新しい小説か、映画にでもハマっちゃってるの?」
と聞くと。笑い声を上げて
「そうよねぇ、ビックリしちゃうわよね。私もよ。だってこんなにハンサムさんな有名人を急に連れて帰って来るんだもの。慌てちゃうわ。掃除大変だったのよ。」といつもの母に戻ってバタバタと手を振って話し始めたので、なんだドッキリ返しかと思ってホッと胸を撫で下ろしかけると
「クリスマスイブだったかな、夜に裏の鏡池の水が騒いでこれは何かあったんだと思ってはいだけど、昨日貴方達が来るのがハッキリ分かったから、うちに伝わる三番目娘しか読んではいけない古文書を読み返したのよ。」と真面目な顔をして言った。
私だってまさかマックさんと帰宅する羽目になるとは、今さっきまで思いもよらなかった事なのに、なんでお母さんが分かったの⁈
確かにうちには、伝承されている話がある。
三番目の娘に三番目の娘が生まれた時、節目がやって来る。三番目娘は、新たなる龍神を助けよそれこそが、世の中の安泰に繋がるというものだ。ただの言い伝えだと思っていた。だって、お母さんは普通に暮らして、普通に結婚して主婦してる。
大晦日の行事以外は。
「この本には簡単に言うと、三番の娘の三番目の娘、つまり貴方ね。世の中の安寧を保つ為に剣の名を持つ者が娘を連れにやって来る。
そして鑑と共に辰と巳を繋ぐ。って書いてあるの。」
ふっと息を吐いて
「本当は、明後日大晦日に二十歳になる貴方に渡す予定だったものよ」
と和綴じの古い乱暴に扱ったら壊れてしまいそうな本をお母さんは、私に渡した。
三番目の娘は、婿を取る。その娘は外界に出る。そう言われきたから、すんなり東京へも出してもらえた。でも、世の中の安寧って何?辰と巳を繋ぐ、鑑とともに?私が誰と?お菓子しか作れない私が?無理だろ?と言う以前に、そんなの話御伽噺か、ゲームの中だけだろとか思っていると。
横でマックさんが、居住まい正して
「お受け致します。」と言った。ぎょっとした。
剣の名をお持ちなんですか?と突っ込みたくなった時「村正」ってもしかしたら名刀村正ってことかぁいって気付いた。
私の名前は巽。それだから辰と巳を繋ぐって訳じゃなくて、三番目の娘だから巽って名付けられたって事?
何で、言い伝えとか予言て分かりづらく書いてあるんだろう。もうノストラダムスの大予言もビックリだ。
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