第18話


私の名前は乾長船。家は戦後一代で財を成し、創立者のお祖父様がお亡くなりになられた事によって、ジワジワと落ちぶれてしまった。

潮流に乗れなかった父は典型的な二代目で、財は湯水の様に湧いて来ると信じて疑わ無いマヌケだ。使う事に心血を注ぎ増やす運に見放され、我が身から出た錆によって人々が離れていった事さえ、金が無くなった途端に取り巻きが居なくなったと嘆いて憚らない。


私がお祖父様の子として産まれてきていれば、こんな事にはならずに済んだはずだ。きっといつか父の子と言うだけで、私を見下した者たちを平伏してみせる。その想いだけで生きて来た。 


お祖父様が亡くなって20年、創立者の妻らしく、賢く賢明で無口なお祖母様が12月の声を聞いて亡くなった。

自分の息子達に食い荒らされた財をまた新たに争い奪い合うのを見なくて済むのは、ある意味幸せな事なのかもしれない。 


小さな箱にまとめられたお祖母様の遺品は、古ぼけて価値のないものとして家族から忘れられて来たものだ。でも私は知っている。お祖母様が時折その箱を開けて懐かしげに一つ一つを手に取って愛でていた事を。

皆が、宝石や債券の取り分を話し合っている時、私は形見にこの箱を中身ごと貰うと宣言し、弁護士に遺品受け渡し一覧に書き加えてもらった。


幼い頃よく遊びに行った祖父母の家には、大きな池があり夏になると蓮の花が鮮やかに咲いた。早朝ポンという音共に咲く花が面白くて、よく無理を言って泊めて貰い池に一番近いお祖母様の部屋で寝たものだった。

朝は早く起き出した私にお祖母様は決まって、

「コレを池に放っておくれ」と時には羊羹、時にはサブレ、練り切りやマドレーヌなどテーブルに乗った菓子器の蓋を開けて私に手渡渡した時のお祖母様の穏やかな顔は忘れられない。

池には鯉などの魚を飼ってい無いのに不思議に思ったが、どこまで遠くに飛ばせるか投げるのに夢中で、深く聞いたこともなかった。


10年ほど前に事業の損失を埋める為に売られてしまった屋敷。あの池の上には今はタワーマンションが建っている。

その時のお祖母様の怒りや落胆を忘れはしない。

それから、あの池事を何故か時折夢に見て、その後タワーマンションを思い出す度息苦しくなる。


箱の中に入っていたのは、古い鑑、穴の空いた石、ボロボの本。

本を開くと薄い墨で書かれた文字は、草書と言うのだろうか、全てが繋がって見えてまるで読めなかった。パラパラとページを捲ると、何ら一枚の便箋がハラリと落ちた。

そこには、馴染みのあるお祖母様の気質をよく表した読みやすい綺麗な文字が並んでいる。


「この本を手に取って読もうと思った方へ

コレは我が家に幸福をもたらした夫と龍神様との契約書です。

どうか大事にお持ちになって、鏡池と呼ばれるところへ夏至に必ずお菓子をお供えして下さい。丹精を込めて作った本物のお菓子を御供えする事。

次の代へと繋げていけば、平穏が訪れるはずです。どうぞ宜しく頼みます。」

と書いてあった。


鏡池?菓子?もう屋敷の池はない。

あの池は鏡池と言ったのだろうか。

それにしても、幸福?我が家に富をもたらしたのは、龍神に菓子を供えたから?そんな簡単な事で富を得られるのか?まさかな。

中身を箱に仕舞って、鞄に入れた。さて此処にいる意味はもう無い。年も押し詰まったこんな時、親達の醜い争いは見たくもない、帰るとしよう。


その夜夢を見た。

埋められた池の底で蠢く龍が、怒りをはらんだ目でこちらを見ている。

ハスの花がポンと咲いて、嬉しそうに声を上げて笑っているのは5歳の私だ。

池の底を流れる川。その流れに乗ってクルクルと身を任せていると、燃え立つ様に赤く爛れた鱗が見える。此処は何処だ。


ゴゴゥと地面が鳴って、家が揺れる。

ハッと目を覚ます。夢か。そう思った瞬間地面が滑る様に激しく揺れる。立つことさえできない。ベッドの端を掴んで、落ちない様にするのが精一杯だった。

部屋の隅に置いた棚からバサバサと本が落ちる。

キッチンの方からはグラスが落ちた音が響く。

揺れは一旦収まったので、テレビと携帯ををつけて地震速報を見ようとするが、停電していてテレビはつかない。携帯のネットもクルクルと検索中のマークが出るだけだ。

地震だろうが、他に何が起きているのか確認しようとカーテンを開け街を見下ろす。車の光と非常灯が光る、慌てふためいた人々がわらわらと外に出て来ていたが、見える範囲では火事や倒壊はなかった様だ。しかし、眼の端にオレンジ色の光がチラチラと見える。顔を上げて西の空を見ると、富士山の途中から、オレンジ色の噴煙が上がっているのが見えた。そんなまさか、富士山の噴火なのか?

すぐに煙って山の形すら見えなくなった。


素早く着替えて、必要最低限の貴重品をリュックに詰める。目に付いたお祖母様の箱も手に取った。


いつも休みの日に乗る自転車と共に階段を20階分降りる。会社の建物は免震構造だし、地下には非常食などの防災グッズも揃えてある。落ちぶれてもまだ会社の機能は果たしている。無くなってしまう前に私がお祖父様の意思を継いであの馬鹿どもを排除しなければと、明かりが消えた街を走りながら思った。

この混乱が好機になるやもしれない。頭を働かせろと自分を鼓舞する。

車が増え、路は渋滞し始めて来た。歩く人々も増え出す。

自転車にして正解だ。

コンビニがまだやっているのを目に止め、手当たり電池と次第に食料を買った。

レジ前にあった羊羹やどら焼きさえも今必要な気がしてカゴに入れた。


乾長船は、誰も居ない会社に入り込み地下へと降りた。

備蓄の救援物資の在庫を充電式のラップトップで確認する。ついでに携帯のBluetoothでインターネットに接続して今の災害状況を検索した。

コレは、この会社の変わり目になるかもしれない。


階段を降りて来る音はしなかったしまだ停電中でエレベーターは動いていない。玄関の扉も非常口も施錠されてるのを確認したにも関わらず、部屋の入り口に女が立っている。赤い体にフィットしているヤケに女を誇示した服を身に纏っているのが、この災害時に似つかわしくなかった。

「誰だ。誰の許可を得て此処にいる。」威圧する様にワザと腹から声を出す。

「あら、あなたが私を呼んだのよ。」と赤い髪を耳にかけながら、琥珀色の目で見つめて来る。

眉を顰めて

「何をバカな。」席を立って追い払おうと女に向かって行くと。

女はバカにした様な顔つきになって、

「いつからお前の家はこんなに落ちぶれたのさ。こんな小さな所で蹲っているとはな、元重が泣くぞ。」女の怒りが肌を伝わってくる。

元重は、お祖父様の事だ。何者だこの者は。

「お前は元重から、受け継いだ物を持っているな。それを持って今日という日に此処へ来た。それならば仕方あるまい。私と行こうではないか。」

「何処へ行くというのか。何が目的だ。」

「ふん、わかりきった事よ。

この国を手中に収める為日の本の直中に行くのだ。」

その時、バタンとお祖母様から受け継いだ箱が机に置いたバッグの中から落ちて中身が散乱した。

穴の空いた石を拾い上げると光り出す。メラメラと燃え上がる様な赤い光だ。

女は鑑を拾い、中を覗き込む。

「道は開かれるぞ、さぁ行こう私に菓子を与えし者よ。」

「菓子?」

「忘れたか?まぁ良い。行くぞ。」

返事を待たずにず、女は箱から飛び出した本に足を乗せる。

「手を取れ。長船。」

教えもしていない名前を呼ばれたせいなのか、何故か疑いも無く言われるままに手を繋ぐ。

奈落の果てに落ちて行く。そう感じた。

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