第5話 森での出会い

当然のことだが、子爵家へ戻った私を待ち受けていたのは、


 激怒した夫妻からの絶縁状だった。




 顔も見たくない、とでも言うように当人たちは部屋へこもり、


 召し使いの少女が書類を持って、私の前にやってくる。




「王立歌唱団から、永久追放の通知が届いたそうです。そして今月のうちには、国内からも立ち去るようにと」




 ああそう、と私は力なくつぶやいた。




「わかってたわ。仕方ないわね」


「そしてこちらの、養子縁組解消の書類に、サインをせよとのおおせです」




私が通されたのは玄関を入ってすぐの小部屋で、訪問者を一時的に待たせる場所だ。


 すでに自室には入らせるなと、夫妻は召し使いに命じていた。




「つまり高価なドレスやら宝石やらを、持ち出すな、ってことかしら。あんなにどっさり、持っていけるわけなんかないのにね」




 苦笑して言うと、困ったように召し使いはうなずいた。




「舞台でのお衣装も、置いていけと言われました。でも、今お召しになっている外出着だけは、そのまま着て出て行ってよいとのことです。それから、これをお持ちになれと」




差し出されたのは旅行鞄で、中には携帯の保存食として焼かれた固いケーキと、チーズの塊がいくつか入っていた。




「だからくれぐれも、子爵家の悪口をよそで言ったりせぬよう告げろと、固く命じられました」


「ふーん、なるほどね」




 書類にサインをしながら、私は溜め息をつく。


 要するに優しさなどではなく、用無しになった養女を、身ぐるみはいで追い出した、という噂を立てられたら困るのだろう。


 この携帯保存食のケーキとチーズは、手切れ金なのだ。


それを裏付けるように、召し使いは続ける。




「それから月内に立ち去れとのお達しですが、その間も王宮や貴族の館付近はうろつかず、一刻も早く王国を出て森の家に帰るのが、キャナリー様のためだ。とも、おっしゃっておりました」


「よくわかった、って伝えておいて。心配しなくても、無慈悲に裸で追い出されたなんて、嘘は言いふらさないからって」


「あの。それから」


「なあに。まだなにか言ってたの?」




 そうではないんですけど、と言って召し使いはうつむいた。




「い、いつも、お菓子を分けていただいて。ありがとうございました。なにかお返しをしたいのですが、私、なにも持ってなくて」




ポロ、と涙を零した召し使いを、私は思わず立ち上がってぎゅっと抱きしめた。




「いいのよ。その気持ちだけで充分。さあ、もう行かなきゃ。私と親しくしているのを見つかったら怒られるわよ。はいこれ、サインした書類。元気でね」




私はそう言うと彼女の身体を離して書類を渡し、旅行鞄を持って、子爵家の玄関を出た。




♦♦♦




用意のいいことに、外には馬車がとめてある。


 子爵家の紋章が入った貴族仕様ではなく、平民用の辻馬車だ。




乗り込むと、町の端までの賃金は受け取っている、と御者が言う。


 よほど子爵夫妻は、私にさっさと遠くまで離れて欲しいらしかった。


 観客たちの前で威勢のいいことも言ったし、表情には出さないが、


 悲しくないというわけではない。




様々なことを、家庭教師から学ばされつつ半年間、必死に練習してきた歌だ。


 上手に歌えたと思ったし、声もよく出ていたと思う。


 それなのに拍手のひとつもなく、暴言だけが返ってきたのは辛かった。


しかし半日ほど馬車に揺られ、町のはずれに近づくにつれ、だんだん心が軽くなっていくのを感じる。




「はー。せいせいした」




 それが馬車から降りた私の、心からの本心だった。




 舞台裏での、レイチェルたちの得意そうな顔は悔しかったが、今となってはどうでもいい。




「でもまさか私の歌で、地響きが起こるなんてね。自分でも驚いちゃった」




 それを考えると怒るより、むしろ笑ってしまった。




「なんでだろう。ラミアの家で歌ってたときには、あんなことなかったけどなあ」




 考えながら、ひたすら私は足を動かす。


王国とはいえ、たいして広い領地を要する国ではない。


 城下町に入るのは、行商用の通行手形など審査が厳しいようだが、出るのは簡単だ。




 城壁を出て宿場の多い町で夜を迎えると、女のひとり歩きでは、盗みや暴漢に合うこともある。とはいえ宿に泊まるお金はない。


 私は石段に座ってむしゃむしゃと、ドライフルーツの詰まった固いケーキを食べ、水飲み場から冷たい水をごくごく飲んだ。




「うん。これはこれで美味しいわね」




そして日が暮れて暗くなると、裏道に入ってそこから宿の屋根に上り、横になりやすい場所を見つけて寝床にした。


 季節が、凍えるほど寒い時期でなかったのは幸いだ。


 便利な宿場の中での野宿は、険しい森の中で育った私にとっては、たいして苦にはならなかった。




(貴族向けのお料理やデザートが、もう食べられないことにだけは、正直、未練があるなあ。でもお腹が空いていれば、なんだって美味しいけれどね。喉がからからに乾いていれば、馬の水飲み場の水だって、ものすごく美味しいものよ)




家々の町灯りが消えていくと、今度は満天の星が浮かび上がる。


 私はそれを眺めながら、いつの間にか眠ってしまった。




そんなふうにして二日目は宿場から宿場へ、三日目は農地から果樹園へと早足で歩いていくと、懐かしい森が見えてくる。


すでに旅行鞄のケーキもチーズも、九割は食べてしまっていたが、ここから先は私の庭だ。


 どの辺りの樹にどんな果実がなり、キノコの群生地があり、美味しい水の沸く泉があるのか、よく知っている。




「ただいま! 帰ってきたよ」




 周囲の木々に明るく言って、私は窮屈な靴を脱ぎ、鞄を持っていない方の手で持つと、裸足で歩いた。


 いずれ着ている外出着もろとも、どこかに売りに行こうと思っているので、捨てたりはしない。


さくさくと草を踏み、もう少しで懐かしいラミアの家、というところで私は立ち止まった。




「……です、頑張ってください」


「ああ、そのようだな」




 青年がふたり、ラミアの家に向かって、よろよろと歩いていたのを見つけたのだ。


どちらも長身だが、ひとりはひとりに肩をかし、今にも倒れてしまいそうだ。


 森に迷うか獣に襲われて、見つけた空き家を避難所にしたいのかもしれない。




「ちょっと待って!」




 私は駆け出して、声をかける。




「ドアに触っちゃ駄目! 駄目なんだってば、手を引っ込めて!」




 青年たちは振り向いて、困惑した顔をする。




「この家の主の方ですか。申し訳ありませんが、こちらの方は怪我をされている。どうか休ませてはいただけませんか」




なおもドアに手を伸ばそうとする男に、駄目―っ! と叫んで私は鞄を投げつけた。


 鞄が弱っているほうの男に当たり、うっ、と呻き声を出す。


 なにをする! とそれまで低姿勢だった青年が、私を睨んだ。




「こちらは礼をつくして頼んでいるというのに、なんと乱暴なことをするのですか!」


「違うってば! ちょっと離れて待ってて!」




 私は駆け出して、ドアを二度、ガタガタと右に動かし、それから同じように、二度左に動かした。




「泥棒よけに、罠が仕掛けてあったのよ。こうしないと毒を塗った矢が、上から飛び出してくるようになってるの。この辺りの人はみんなうちの仕掛けを知ってるから近寄らないわ。あのまま取っ手を引っ張ったら、あなたたち死んでたわよ。さあ入って、ゆっくり休んで」




 目を丸くしている青年ふたりを、私は家に招き入れた。


 どちらも立派な身なりをしていたが、支えているほうの男はローブをつけ、髪が長く、神官か僧侶のようだった。


 怪我をしているもうひとりは、黒い上等の布に銀糸で見事な刺繍のほどこされた、長い上着を着ている。




「どうぞ、ここに寝ていいわ。運がいいわよ、ラミアが死ぬ前に取り換えた寝床だから、布団がふかふかだもの」


「死ぬ前?」




 神官らしき青年は、ぎょっとした顔になったが、他にベッドらしいものはないので、そこにもうひとりを横たえる。




「そうよ、でもシーツは変えたから心配しないで。どうぞ、お腰の物と上着はこちらに。靴は脱いでね」


「すま……ない。世話に、なる」




 怪我をしている青年は、息もたえだえに、苦しそうに言った。


確かに身体のあちこちに布が巻き付けられているが、どこからも血が滲んでいる。


黒い上着を脱いで白いシャツになると、それが一層よくわかった。




身なりからしてふたりとも身分は高そうだが、こんな状態なのに低姿勢で謝罪をできるならば、きっといい人だと私は確信する。


 ダグラス王国の貴族にも、もしかしたらそういう心の広い人も、いたのかもしれない。けれど、出会った記憶はなかった。




「でも、おふたりともこの辺りの方ではないわね? よかったら、名前を聞かせてもらえない? なんて呼べばいいのか、わからないもの。私はキャナリー」




もう私は子爵家とは関係ないし、令嬢でもない。


 まだるっこしい話し方はせず、ただのキャナリーとしてそう名乗る。


神官らしき青年はまず、横たわった青年を指して言う。




「失礼しました。こちらから名乗るのが礼儀でしたね。こちらの方は……ジェラルド様。私の主で、自分は従者のアルヴィンと申します」


「お国はどこなの? きっと旅の方よね」




私がそう言ったのは、衣類の雰囲気がダグラス王国とはかなり違ったし、銀髪に青い瞳という特徴の人も、あまり見なかったからだ。


 特に怪我をおっている青年の瞳は、驚くほどに濃い、真夏の空のような青をしている。




「はい。馬車で半月ほどの国から参ったのです」


「そうだったの。長旅の疲れもあるでしょうね、アルヴィンさんと、ジェラルドさん。ともかく、傷の手当をしましょう。この家には、薬だけはどっさりあるから」




 私は言って、久しぶりに生まれ育った家の戸棚をあさり始めた。


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