第23話 聖獣あらわる
「ジェラルド様! 急に退却されたから、どうしていいのか、困ってしまいましたよ」
馬からふたりで降りた途端に、アルヴィンが駆け寄って来る。
「すまん。どうしてもキャナリーの翼を、直接この目で確かめたかった」
「ここからだって見えましたよ」
「しかし、小指ほどの大きさにしか見えなかったじゃないか」
「それくらい、我慢してくださいよ。まったくジェラルド様は、キャナリーさんのことになると、分別がつかなくなってしまうんですから。時計の蓋の裏の絵の依頼も、キャナリーさんの肖像画でしょう? わかってるんですからね」
「しっ、アルヴィン! 聞かれたら恥ずかしいだろう」
「ねえ、あれって、どうなってるの」
なにか言い合っているふたりの後ろから顔を出し、前方の黒いビスレムの大群を指差して、私は言う。
「ここから見ても、不気味だわ。動かなくなったのって、本当に私の歌のせい? 止まってよかった、と思っていいのよね?」
「ビスレムは、常に泥が全身を巡っているような魔物だ。循環が止まると乾いて、土の塊のようになってしまう」
ジェラルドが説明してくれるが、私にはピンとこなかった。
泥でできた怪物が、生き物と言えるのだろうか。
「それって、生きているの、死んでいるの?」
「そもそもが、操り人形のようなものではないか、と考えられている」
「お人形?」
「うん。なにものかが、よこしまな黒魔道で野獣の遺骸を泥に混ぜ、仮の命を吹き込んで造った怪物ではないか、と、帝国の研究ギルドで仮説を立てているんだ」
「ビスレムの残骸を調べても、骨のようなものはあっても、内臓とか、ありませんからね」
アルヴィンも難しい顔で、ビスレムの群れを眺めて言う。
「泥と野獣の混合した、あやしい怪物だとしかわかりませんが。ともあれ、今はもう危険はないと考えていいでしょう」
「そ、そう。だったらちょっと、観察させてもらうわ」
「きみは物好きだな、キャナリー」
「だって、今後の参考になるかもしれないじゃない」
私は怖いのと好奇心との間で迷いながらも、そろそろとビスレムに近づいた。
初めて近くで接する怪物を、まじまじと上から下まで眺める。
「……うわあ。グロテスクで、匂いも強烈……。こんな怪物に襲われて、逃げずに戦うなんて。あなたってすごいわ、ジェラルド」
心から感心してそう誉めると、ジェラルドは少し照れたようだった。
「これでも皇子としての誇りはあるからな。ひるんでなどいられない」
その言葉に、私はちらりとアルヴィンよりもっと後ろに待機していた、ランドルフ王子一行を見る。
そしてますます、ジェラルドを尊敬してしまったのだった。
これでひとまず、ビスレムの群れの脅威は去った、と思われたのだが、これだけではすまなかった。
後片付けが、大変なことになったからだ。
ビスレムたちは、あるものは家の戸口で、あるものは水車の前で、そしてこれから向かってこようとしていた大半は、畑の中で突っ立っていた。
この、動かなくなって固まってしまった泥の怪物を、そのままにはしておけない。
といって、簡単には排除できなかったのだ。
「とりあえず、俺が細かく切り刻もう」
シュルルッ、とジェラルドが剣を一閃すると、ビスレムは十等分ほどに切り刻まれ、ドサドサと落下する。
「この大きさなら、片付けやすいわね。……って、重ーい!」
私は転がった塊のひとつに手をかけたが、あまりに重くて持ち上げられない。
「無理をするな、キャナリー」
「無理してないわよ。森では毎日、水を汲みに泉まで何往復もしたし、結構、力があるのよ私。でもこれは、三人がかりくらいじゃないと、運べないと思うわ」
傍にいたアルヴィンが、腕を組んで考え込む。
「荷車に乗せて、どこかに廃棄場所を作って捨てるとしても、そうとうな日数がかかるでしょうね」
「魔道具で、なんとかできないの?」
「どうでしょう。岩や切株ならともかく、黒魔道で造られたビスレムの身体ですから、どこまで魔道が通用するか……」
ジェラルドは、かなり遠くにまで続いている、今は動かないビスレムの群れを見て、溜め息をついた。
そして、深刻な顔で言う。
「魔道具を使ったとしても、この数だ。もちろん、襲って来るよりはるかにましとはいえ、厄介なことになった」
「このままじゃ、村の人たちみんなが困るわ。畑だって耕せないし」
私の言葉に、アルヴィンがうなずく。
「それに街道の一部が塞がれてしまったので、馬車も通れません。物資が入ってこないと、誰もが困ることになると思いますよ」
周囲を見ると、村人たちもなんとかビスレムを排除しようと、突いたり、倒したり、棒で叩いたり、必死に頑張っている。
けれどこのままでは、もとの状態に戻るまでには、何か月もかかりそうだった。
「どうしよう。私が調子に乗って、歌ったせいだわ……」
呆然としてつぶやくと、とんでもない! とジェラルドが大声で否定した。
「この大群だ。もしもきみが歌ってくれていなかったら、襲われ、殺しつくされて、困る人間さえいなくなっていたぞ」
「そうかもしれないけど……」
なおも罪悪感を覚え、私が唇を噛んだそのとき。
「ジェラルド様!」
アルヴィンがなにかに気が付いたというように、ハッとした顔をして周囲を見回しながら言う。
「どうしたんだ、アルヴィン。まさか」
「その、まさかです。気配を感じます……しかも、どんどん近くなってくる」
「えっ、またビスレムが来たの? 私もう、なにか食べないと、お腹が空いて一曲さえ、歌えるかどうかわからないわよ」
うろたえる私に、違います、とアルヴィンはなぜか、嬉しそうな顔で否定した。
「私が感じているのは、聖獣の気配です!」
アルヴィンはベルトについている小物入れから、鎖のついたペンデュラムの水晶を取り出した。
「あっ、すごい、綺麗!」
私がそう叫んだのは、水晶がまぶしいほどに強い光を放っていたからだ。
そして鎖に繋げられ、垂れ下がっていた水晶は、いきなりビン! と上に動いた。
「上?」
私たち三人は、水晶につられたようにして顔を空に向ける。するとそこには。
「ああっ! 絵で見たのと同じ鳥!」
真っ白でほわほわして、足のむっちりと太い生きものが、ばっさばっさと羽ばたきをして、青空を旋回していた。
「シルヴィ!」
ジェラルドが驚きと、喜びに満ちた表情で、両手を上に差し上げ、そう呼んだ。
「やっぱり、あれが聖獣なのね! シルヴィって名前なの? あっ、降りて来るわ。ジェラルドに気が付いたのよ。うわあ、お日様の日差しを受けて、白い羽がきらきらしてる。わあ、可愛い! すっごく可愛……、お、大きい!」
私は絵を見て勝手に、七面鳥くらいの大きさを想像していた。
けれど、ばさっ、ばさっ、と羽ばたきの音をさせて舞い降りてきたシルヴィは、馬三頭分くらいの大きさがあったのだ。
「きゅぴぃ」
地面に降り立ったシルヴィは、ジェラルドを見ると甘えたような可愛い声で、そう鳴いた。
「シルヴィ! 心配していたぞ、どこでどうしていんだ!」
ジェラルドが駆けて行って、そのまふまふした身体にしがみつくと、シルヴィは首を下げ、頬をすり寄せている。
「なにあれ、すっかり甘えちゃってるじゃない。大きいけど、やっぱり可愛いー!」
私は両手の指を組み合わせ、うっとりしてしまった。
シルヴィの目は真っ黒でくりくりしている。
くちばしは薄い桃色で丸く、銀色のトサカがついていた。
翼の部分の羽はしゅっとしているが、身体や頭の羽毛は、ふわふわと密集していて尾が長い。
「キャナリー。来てくれ。きみにも聖獣を紹介したい」
喜んで! と走って行ったそのとき、すっとシルヴィの頭部の羽毛の中に、なにか黒いものが隠れたのが見えた。
「ねえ、ジェラルド。今シルヴィの、わっふわっふの羽毛の中に、なにかいたわよ? 黒い小さな生き物に見えたけど」
あれがシルヴィを操り、グリフィン帝国から逃げ出すようそそのかしたのではないか。
なにか悪い魔物に、乗っ取られているのではないか、と私は心配したのだが。
「大丈夫。それはサラだ。というか、むしろ大きな力を持つのはサラのほうで、同じ聖獣でもシルヴィは乗り物に近い」
「えっ、そうなの?」
「はい。シルヴィは風を、サラは火を司る聖獣なのです」
アルヴィンが、詳しく説明してくれる。
「サラはとても小さくてすばしこい上に、人には滅多に懐きません。だから画家も、サラを絵にすることはできなかったのです。シルヴィは、懐いた相手に対しては、おとなしいのですが」
へええ、と私はふわふわすべすべした、シルヴィの羽を撫でながら、サラのいるであろう付近を眺めた。
「せっかく聖獣と出会えたんだから、シルヴィだけじゃなくて、サラとも触れ合いたいわ」
「簡単に言うけれどな、キャナリー。きみがこうして、シルヴィをいともたやすく撫でていることさえ、珍しいことなんだぞ」
「あら、そうなの?」
「うん。警戒心が強いからな。俺だって最初は、くちばしで突かれた」
「とてもそうは思えないけれど」
私はシルヴィに抱き着くように、両腕を羽毛の深くまで差し入れて、わっふわっふの感触を楽しんだ。
(サラも出てこないかな。どんな子だろう、仲良くなりたいなあ)
シルヴィはそんな私をつぶらな黒い優しい瞳で、じっと見守ってくれていた。
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