第24話 聖獣が可愛すぎる

出会えたことの嬉しさを伝えるように、私が優しく撫でていると、シルヴィはジェラルドにしたのと同じように、頬をすりよせてきてくれる。


 さらには細く長い舌で、ぺろ、と頬を舐めてくれた。




「ふふ、くすぐったい。本当に可愛いのね」


「おい、シルヴィ。お前ちょっと、キャナリーになつくのが早すぎるんじゃないか」




 ほんの少し、拗ねたような口調でジェラルドが言う。


私はなかなか顔を見せてくれないサラに、一計を案じていた。




(私の歌声に特別な力があるなら、もしかしたら)




思いついた私は、町に薬を売りに行ったとき、子供たちがよく歌っていた童歌を、手拍子をとりながら口ずさんでみる。




「いしさん ころころ けってみよ こつんころころ ほらおちた だいじに しまって またあそぼ」




 と、シルヴィの羽毛の中から、黒いゴムまりのようなものが、ポンポンと跳ねてから、しゅっと飛び出してくる。




「あっ、来てくれた!」




 黒い塊はあっという間もなく、私の肩へと飛び移った。




「……この子が、サラちゃんよね?」




 私は黒い毛の塊のような生き物を、そっと肩からつかんで手に乗せ、しげしげと観察する。


 それは片方の手のひらにすっぽりおさまるほど、小さな小さな黒猫の姿をしていた。




 ただし、単に極小の黒猫、というだけではない。


 その尻尾は、ロウソクの炎のように、ゆらゆらとゆらめく深紅の火だったのだ。




「ああああ、かああ、わああ、いいいー!」




 私はほとんど悲鳴に近い声を上げ、サラに顔を近づける。


 するとサラは、後ろ脚だけで立ち上がり、両前脚を私のほっぺたにぺたりと触れて、くんくん匂いを嗅ぐように、鼻と鼻を近づけてきた。




 植物の種子くらいに、小さな小さな鼻がぴとっと触れて、私は自分の頬が、へにょっとゆるんでしまうのがわかる。




「なんなのこの子。なにこの仕草。可愛い。ああもう可愛すぎて辛い、胸が痛い、眩暈がするうー!」




 サラの愛らしさに見悶える私を、ジェラルドとアルヴィンは目を丸くして、口をポカンと開けて見つめていた。




「サ、サラがこんなに簡単に、人に懐くとは……」


「信じられません。姿を見ることさえ、奇跡的だと言われる幻の聖獣だというのに」


「やはりキャナリーの、歌が持つ力なのだろうか」


「そうかもしれません。いえ、そうとしか考えられませんね。シルヴィがここに現れたのも、さっき魔道具でキャナリーさんの歌が広く響き渡り、どこかでそれを聞きつけてやってきたのではないでしょうか」


「なるほど、そう考えれば筋が通る。キャナリーの歌には、想像を超えた効果があったわけだな。さすが翼の一族だ」




 なにやら真面目くさった顔で話しているふたりに、私は可愛い生き物に出会えた嬉しさで、満面の笑みを浮かべて尋ねる。




「ねえねえ、このサラちゃんの尻尾って、面白いわねえ。炎みたいなのに、触ってもまったく熱くないの」


「サラの尻尾は浄化の火だ。不浄のもの、黒い魔道に侵されたけがれたものしか燃えない」




 言いながらジェラルドは歩いてきて、私の手の中のサラを、まじまじと見る。




「という話を、書物で読んだんだが。本当だったんだな」




 ジェラルドが人差し指で、そっとサラの額を撫でた。


 そのときにはサラはおとなしく、目を閉じて気持ちよさそうにしていたが、炎の尻尾に触れると、ふーっ、と毛を逆立てた。




「駄目よ、ジェラルド。そこは触られたくないんですって」


「そ、そうか。それは悪かった」


「むしろ、アゴの下がいいって言ってるわ」


「なんだそれでは、普通の猫と同じ……」




 言いかけてジェラルドは、ぎょっとしたような顔で私を見る。




「きみは、サラと話ができるのか?」


「ん? あ、ああ、そういえばそうね。なんだろう、言葉は交わしてないけど、考えていることは伝わってくるって感じ」


「そうなのか。……しかしきみが翼の一族であるならば、ありえるのかもしれない。我々よりも、精霊たちの存在に近いのかもしれないな」




 自分の存在がどうだこうだと言われても、私は私、キャナリーだとしか思えない。




「うーん、どうなのかしらね。どっちでもいいけど」




「意志の疎通が可能なら、尋ねてみてくれないか? なぜ、我々の国に戻ってこなかったのか。今までどこで、なにをしていたのかを」




 私はうなずいて、そっとサラの頭を指で撫でながら、心の中で聞いてみる。


 すると、ジェラルドたちの予想とほぼ同じ、本来あってはならないような答えが返ってきた。




「わかったか? キャナリー」




 みるみる私の表情がけわしくなっていくのを見て、ジェラルドが言う。




「ええ。いい匂いのする、蜜酒の入った大きなツボが、ダグラス王国の王宮の、裏山に置いてあったんですって。そういうのって、よくあることなの?」


「……祭壇を作り、聖獣のために食事というか、供物をささげることは、我が国でも時々行われていた。他の国も同様だし、さほど珍しいことではない」




「そうなのね。だけどそれを飲んだら目が回って、身体が痺れて、飛べないし、ほとんど動けなくなっちゃって……それから先は、サラもシルヴィもよく覚えていないって」


「やはり、薬を使われたのかもしれないですね」




 アルヴィンが眉を寄せて言い、私も顔をしかめた。




「だとしたら最低よね! 続きをもう少し、聞いてみるわ」


「ふみゃーあ」


「きゅぴいい」




 私はサラとシルヴィから話を聞きながら、人の言葉に訳してふたりに伝える。




「それで、半分眠ったような状態で、何年も何年も裏山の地下に閉じ込められていたのが、あるとき歌が聞こえてきて……それで」




 私はハッとして、顔を上げた。


ジェラルドもアルヴィンも、なにかに思い至ったという顔で、私を見る。




「キャナリー、披露会できみが歌ったとき、地震が起きたと言っていたよな?」


「推測していたとおり、聖獣と無関係ではなかったようですね。おそらくですが。それはシルヴィとサラが目覚め、幽閉されていた地下から脱出したときの衝撃、あるいは脱出しようともがいておきた地響きだったんじゃないですか?」




「みゃおおう、んなお」


「ぴいいい」




「そのとおり、ですって。サラもシルヴィも、私の歌がかすかに聞こえてきて意識がはっきりしたみたい。そのときの歌が、またこっちのほうから聞こえてきたんで、興味を持って飛んできてくれたそうよ」


「これですべて、辻褄が合うな。しかし、ダグラス王国め。聖獣にあやしげな薬を使うなど、絶対に許せん。このままではすまさんぞ」




 ジェラルドは、固い土の塊と化したビスレムの処理に、右往左往している王子一行に、ジロリと鋭い視線を向ける。




 あの連中への怒りはひとまず置いておいて、ともかくよかった、と私は胸を撫で下ろしていた。


 私の歌には、地震を起こす魔力なんかなかったのだ。




 と、アルヴィンがポンと両手を打ち合わせた。




「そうだ、それではキャナリーさん!」


「なあに?」


「このビスレムの大群の後始末を、なんとか手伝ってもらえないか、サラとシルヴィに頼んでいただけませんか?」




 なるほど、と私はその提案を受け入れた。




「いい考えね! でもいくら聖獣でも、そんなことできるかしら」




 確かにシルヴィの、むちむちして見える太い足なら、ビスレムを運べるかもしれない。


 私はそう考えて、サラに心の中で呼びかけてみた。




(この、固まってしまったビスレムが邪魔なの。消してしまうことはできないかしら?)


「んみー」




 サラは小さな口で、可愛く鳴いた。




「やってくれるみたい。みんな、離れてろって」




 私が伝えると、ジェラルドとアルヴィンは、喜びと驚きの表情を浮かべつつ、村人たちを誘導して、その場から離してくれる。


 私も彼らと一緒に、ビスレムの群れから離れた。




 すると、再びサラを頭に乗せたシルヴィが、ばさっ、と翼を広げて飛び立ち、低空を旋回し始める。


 その背から、ポンポンとビスレムたちに向かって小さな火の塊が、雨のように降り注いだ。




 火の塊は、一見シルヴィの背から出ているように見えるのだが、よく観察すると放出しているのは、サラのようだ。




「ああっ、見て。あんなにカチコチだったビスレムが、ボロボロと崩れていく」




 私が指差すまでもなく、ジェラルドたちも固唾を飲んでそちらを見ていた。


 しゅーしゅーと火の塊が降り注ぎ、やがてすべてのビスレムが、砂の塊のようになっていく。


 次に、シルヴィがくちばしを開いた。




「きゅぴいい!」




 ビスレムだった砂の塊に向かって、サラに負けないくらいの可愛い声で鳴くと、驚くべきことがおこる。


 強い風が吹き渡り、一瞬にして乾燥した白い砂のようになったビスレムの残骸は、灰のようにサラサラと、跡形もなく綺麗に吹き飛んでいってしまったのだ。




「うわあ。村も畑も、どんどん綺麗にお掃除されていっちゃう」


「なるほど、ビスレムたちにとって、聖獣が天敵なわけだ。空からこんな攻撃をされたら、どうにもならない」




 しばらくして、農地や村に大量に残っていたビスレムの残骸は、すべて消え去っていってしまった。


 わあっ、と村人や、町の人々が一斉に駆け寄ってきて、拍手喝さいが送られる。




「どこのお国の人たちが存じませんが、本当にありがとうございます」


「聖獣を操るなんてすごい方々だ」


「さぞや立派なお国の、偉い方々なんでしょうねえ。そちらの女性は、聖女様でいらっしゃいますよね?」


「かあちゃん、おいら見た! 光る綺麗な翼があったよ、この女の人」


「こ、これ、指を差したりしたら駄目よ、失礼でしょう。あの、聖女様。この瓶はうちで作ったジャムなんですけれど。粗末なものではありますが、ぜひ、召し上がってくださいな」


「聖女様! おらの家の酢漬け野菜も、どうか持っていってくだされ。町の売り物なんかのより、ずっと美味いんだから」


「この木の実入りのパン、今朝焼いたんです。形は不格好だけども、味は保証します。せめてものお礼に、もらってください!」




 次々に差し出してくれる村人たちの心づくしの食べ物に、私はすっかり感動してしまった。




「本当にいいの? ありがたくいただくわ。とっても美味しそう!」




 私は両腕にもらった品々を抱え、心から感謝した。


 自分が聖女かどうかピンとこないが、せっかく翼があったのだから、やぐらから飛んでみればよかった、と思ったりはする。




 けれど私の心を、なによりも大きくしめていたこと。


 それは全身全霊で必死に歌った結果、とてつもなくお腹が空いている、ということだった。


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