第10話 ジェラルドの正体
「ジェラルド殿下! アルヴィン様もご無事でなによりでございました!」
翌朝、ふたりの傷も体力も、驚くほど完全に回復していた。
ジェラルドに至っては、縫うほどだった深い傷まで、ほとんど痕も残っていないくらいだ。
そして家を出て間もなく、森を抜けた街道に、複数の馬車が止まっているのを私は見た。
飛び出すようにして、駆け寄ってきた大勢の従者たちが、ふたりを見て涙を流さんばかりに喜んでいる。
(な、なんだか、すごく大きくて立派な馬車。子爵家のより、何倍も豪華で立派に見える)
そして私には、気になったことが他にもあった。
(ジェラルド殿下、って言ったわよね? 殿下って、普通の貴族には使わないんじゃないの? 従者の数も多すぎよ。それに、馬車に打ち出された金の紋章。ダグラス王国は花だったけど、これは大きな鳥みたいね。結局聞きそびれていたけれど、どこの国の人たちなんだろう)
ぽかんとして見ていると、ジェラルドが歩み寄ってきた。
「キャナリー。きみには、女性用の馬車を用意した。軽食もある。到着したら、部屋は近くにしてもらうよ」
「え、ええ。ありがとう」
私はそう言ったが、彼らと離れて馬車に乗るのは、少しだけ不安だった。
「ところで、行き先はどこなの?」
漠然と、あちこち旅をするのだろう、とだけ考えていた私の問いに、ジェラルドは言う。
「ダグラス王国だ」
もしや王国に用事があるのでは、と思ってはいたが、悪い予感が当たってしまった。
私は自分の顔色が、さっと変わるのがわかる。
なにしろつい先日、追放を告げられた国なのだ。
そんな私を安心させるように、ジェラルドは穏やかな表情で言う。
「大丈夫。事情は聞いたが、きみはもう俺の大事な友人だ。誰にも文句は言わせない」
「ジェラルド、でも……」
なにしろ、私は王子から直々に叱られた人間だ。
うっかり城下町をうろうろして、万が一にもお忍びで遊びに出ている王子に見られたら、その場で首をはねられかねない。
けれどジェラルドは、大勢の臣下たちに急かされるようにして、一番大きな馬車に乗り込んでしまった。
(どうしよう。ううん、ジェラルドが大丈夫、って言ったんだから信じよう。あれこれ難癖つけるのがいたら、走って逃げればいいのよ)
追放された場所に戻ることへの抵抗より、ジェラルドと一緒にいたい、という気持ちのほうが勝った。
私はそこで、従者に親切に手を取られ、しずしずと可愛らしい、女性用の馬車に乗り込んだのだった。
♦♦♦
(ちょっと、なんなのこれ。すごいことになってる)
窓につけられた、馬車のカーテンの隙間から、私は目を身開いて辺りを見ていた。
城壁の番兵から、城の門番にいたるまで、凄まじい腰の低さと歓迎ぶりだったのだ。
(なんだか知るのが怖いような気がして、あんまり突っ込んだことは聞かなかったけど。ジェラルドとアルヴィンって、なにものなの)
そう考えつつも、私は従者がくれたおやつのボンボンを、パクパクと食べていた。
「うーん、美味しい。携帯用の保存食のケーキも、子爵家でもらったのより、ずっと風味が濃厚で美味しかったわ」
美味しいものを食べると、たいていのことはどうでもよくなってしまう。
そんな私ではあったが、王宮の馬車止めに入り、そこで降ろされると知って緊張した。
(えええ! なんか王宮前に、王族が出迎えに出てるんですけど。まあ、お付きの人達の人数も多いし、後ろにいれば大丈夫かな)
私はそう考えて、こそこそと従者たちの背後にいた。
ジェラルドが先頭に歩いていき、王子や王妃、それに体調が悪いはずの国王まで宰相に支えられ、出迎えて握手をしている。
国王が、なにか挨拶をしているが、弱々しい声はここまで聞こえてこなかった。
私は思わず、近くにいる従者のひとりに、そっと耳打ちをする。
「あの。失礼。ちょっとお聞きしたいんだけど」
「今、国王陛下がお話の最中ですよ。どうされたのですか」
親切そうな従者に、私は小声で囁いた。
「あなたたちって、どこの国の人?」
「は?」
「ジェラルドって、誰なの?」
「はっ、えっ、はああ?」
こぼれそうに目を身開き、仰天した様子の従者は、慌てて自分の口をおさえた。
そして珍獣でも見るような目を、私に向けつつ答えてくれる。
「わ、私どもは、グリフィン帝国から参りました。ジェラルド皇子殿下は皇帝のご子息、第三皇子であらせられます」
うえええええええ!
私は全力で自分の右手に噛みつき、大声を出すのを必死にこらえた。
♦♦♦
「えー、あの、ジェラルド皇子殿下にあらせられましては、いろいろと大変な失礼をば、いたしめされまして」
王宮の、従者用ではあるのだろうがやたら立派な部屋に通された直後、私はジェラルドに呼び出された。
私を呼びに来た小姓の後ろについていくと、招かれた一室は、もしかして国王陛下の部屋よりすごいのではないか、と思うくらいに豪華な内装がほどこされている。
部屋に入り、舌を噛みそうになりながら挨拶する私に、やめてくれ、とジェラルドは苦笑した。
「これまでのように話してくれ、キャナリー。急に距離ができたように感じて、悲しくなる」
「そ、そう言うけれど、だって、でも、帝国でしょ? 皇子様でしょ? それってつまり、お父上が皇帝陛下ってことでしょ?」
「そうだが、かしこまっても今さらだろう。きみは裸足で走ってきて俺に鞄を投げつけ、鼻をつまんで薬を飲ませてくれた」
「……本当に、前と同じでいいの?」
「変わるほうがおかしい」
「あー。よかった。私にだって、ちょっとは偉い人を敬う気持ちはあるのよ」
私はようやく安心してにっこり笑い、
ジェラルドに座るよううながされた、華奢な椅子に腰かける。
その正面にジェラルドが座り、背後にはこれまでと同じように、アルヴィンが控えていた。
「詳しいことを聞いてなかったから、びっくりしちゃった。話せない事情があったのかもしれないけど、もう少し説明して欲しかったわ」
「すまない。本当ならば、身体が回復さえすれば、きみにはお礼だけをして、出て行くつもりだったからな。キャナリーだって、そうだろう?」
「ええ、もちろん。ふたりの怪我が治ったら、お別れだと思っていたわ」
「でも俺は、そうしたくなくなってしまった。その自分の気持ちにはっきり気が付いたから、剣の誓いもしたんだ」
はああああ? という大声が、ジェラルドの背後から聞こえた。アルヴィンだ。
「ちょっ、待っ、えっ、剣の誓いをされたんですか? キャナリーさんに?」
「そうだが。なにか問題でもあるか」
「ジェラルド様、あなたは皇子殿下なんですよ!」
アルヴィンは愕然とした顔で言う。
「普通の騎士や貴族とは違うのです。そしてその剣は聖なる剣、帝国の剣なのですから。た、確かにキャナリーさんは素晴らしい女性ですが、だからといってうかうかと、簡単に」
「なにが簡単だ。何度でも言うが、キャナリーは俺の命の恩人だ。あそこで俺が死んでいたら、聖なる剣もなにも、あったものか」
あのう、と私は恐る恐る尋ねる。
「剣の誓いって、そんなに大変なものだったの?」
当たり前です! とアルヴィンが頭を抱える。
「精霊に誓う、正式な契約なのです。ああもう。終わってしまったことは仕方ない。キャナリーさん、これだけは胸に刻んでおいてください。あなたを守ると誓ったこの方は、偉大なる帝国の皇子です。どうかその意味を、価値を、理解してください」
「わ、わかったわ。なんだかすごいことなのね。ありがとう、ジェラルド」
私はぺこっ、とジェラルドに頭を下げ、感謝する。
地位はともかく、ジェラルドの人柄に好感を持っている私は、そんな神聖な誓いを私と交わしてくれていたことが嬉しかった。
「いや、だから、その。そんなのは、当然のことだ。それより、ここに来た経緯を聞きたいのだろう? アルヴィン、頼む」
ジェラルドは、男らしく引き締まった頬を少しだけ赤くして、アルヴィンに命じる。
アルヴィンは両手を広げ、複雑に指を組んでから、小声でなにかを唱えた。
「結界を張りました。盗み聞かれる心配はありません」
「よし。では話そう。……今回、我々が帝国から使わされたのは、表向きにはランドルフ王子の誕生祝いだ」
「ああ、そういえば誕生日とか言ってたわね。でも、表向き?」
「裏は違うと言う事です」
アルヴィンが、話を継いだ。
「我々は、聖獣を探しているのです」
「聖獣?」
首を傾げると、アルヴィンは服の内側から、羊皮紙を取り出し、広げて見せた。
そこには純白の、足が太く毛のふさふさした、鳥のようなものの姿が描かれている。
「あら、ちょっと可愛いじゃないの。この聖獣が、ダグラス王国にいるの?」
「はっきりとはしていないが、アルヴィンは気配を感じる、と言っている」
ジェラルドの言葉にアルヴィンはうなずいたが、私は不思議に思った。
「アルヴィンにも魔力があるの?」
「そうですね。明かりをともすくらいの簡単なものならば、このようにジェラルド様から授かった魔法陣を通して可能です」
言ってアルヴィンは誇らしげに、手のひらを見せる。
そこには不思議な、丸い模様が刻まれていた。
「そして私は神官ですので、精霊の力を借りることによって、一般の方々よりも魔道具を使いこなすこともできます。つまり工夫によっては魔道を使えますが、皇族や王族の方々のように、生まれながらの魔力をもっているわけではありません」
「アルヴィンは神官の中でも、突出した才能を持っているんだ。昨年神職についてから、日夜魔道具で探索し、ようやくダグラス王国に、聖獣の気配を探り当てた」
なるほど、とふたりの説明に納得した私だったが、疑問はそれだけではなかった。
「ところでその聖獣っていうのを、なんで探しているの? ものすごーく、お肉が美味しいとか?」
そうじゃない、とジェラルドは笑って否定した。
「もともと聖獣は、帝国近くの山奥に住んでいた。人里に舞い降りても人々に懐き、皇族も聖獣を大切に扱った。なぜなら聖獣は、ビスレムの天敵だからだ」
「ビスレムって、あなたたちを襲った怪物よね」
「そうだ。俺が物心つくころまでは、聖獣がいたために、ほとんど我が国にはビスレムの被害がなかったという。周辺国を飛んで回っていたから、近隣国も同様だ」
「それが、いなくなってしまった……?」
「そうなのです。十五年ほど前に。それ以来、私たちは常にビスレムの脅威にさらされ、魔力を持つ皇族たちが、最前線で常に危険に身をさらしているのです」
ううん、と私は難しい顔をして、窓の外を見た。
「でもこの国で、聖獣が飛んでいるのなんて、見たことないわよ。森の中でも」
「しかしこの国には、ビスレムが襲って来ないのだろう?」
「そうよ。だからここの王子に、怪物を追い払える魔力があるのかも知らないし、鍛錬してるって話も聞かないわ」
「我が帝国は今のところ大丈夫ですが、国によっては王族が何人も、ビスレムとの闘いで、命を落としています」
アルヴィンの言葉に、私はゾッとする。
「戦えるのが王族と皇族だけなんて……その上、聖獣がいなくなっちゃったら、農民や商人だって、怖くてとても普通になんて暮らせないじゃないの」
そのとおり、とジェラルドが肯定する。
「だから我々は、一刻も早く聖獣を見つけたい。聖獣の意志で、我が国から遠ざかったのならば、仕方がないとあきらめもつく。しかし、そうとは思えない」
「ジェラルド殿下にも、懐いておられましたからねえ」
懐かしむような、切ない表情でアルヴィンが言う。
「単にビスレムを追い払う天敵、というだけではないのです。我が国の民と心を通わせ、人間への愛情を持ってくれている、愛すべき生き物でした」
「俺は子供のころ、あいつが可愛くて仕方なかった。元気でいてくれるといいんだが」
ふーん、と私は改めて、聖獣の絵を見る。
確かに目がパッチリとして、ふかふかで可愛らしい。
「私も会ってみたいなあ」
つぶやいたそのとき、部屋の扉がノックされる。
「失礼いたします。ジェラルド皇子、およびグリフィン帝国ご一行様の、歓迎の宴のご用意が、できましてございます」
小姓が告げて、ジェラルドはうなずく。
「わかった。しかしその前に」
青いジェラルドの目が私に向けられ、小姓の視線も一緒に私に移る。
「この、私の大切な友人に似合うドレスをみつくろい、宴に相応しい装いにして欲しい。必要な費用は、こちらで用意する」
「かしこまりましてございます」
小姓が頭を下げ、私はきょとんとしながら誘導されるままに、用意された自室へと戻った。
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