第9話 剣の主になったらしい

 午後になると、もうすっかり元気になったからと、


 アルヴィンが水汲みをすると申し出てくれた。




 泉までの道のりは、少し遠いがわかりやすく説明も簡単だ。


ありがたく手伝ってもらうことにして、


私はジェラルドにお茶を淹れる。




「お茶菓子が、なにもなくってごめんなさいね。前なら保存用のジャムがあったんだけど、この家に戻ることは滅多にないと思って、残していなかったの」


「そんなに気を遣わなくていい。それよりここへ来て、きみも一緒に飲んでくれ」




本当なら、長く留守にして汚れた部屋も掃除したかったのだが、どちらにしてもジェラルドがいては、ほこりはたてられない。


それにジェラルドと話すのは、なぜか楽しいと感じていたので、私は素直に従って、ベッドの傍でお茶を飲むことにする。




 そうして改めて、まじまじとジェラルドを見た私は、


 思わず感嘆の声を出してしまった。




「窓からの光に、銀髪が光ってるわ。それに瞳が本当に、宝石みたいに青くて綺麗ねえ」




 するとジェラルドは、なぜかうろたえたような様子になった。




「そ、そうか? 俺の家族はだいたいそうなので、自分ではなにも思わなかったが。そんなふうに言われると、嬉しいものだな。ありがとう」


「お礼を言われるようなことじゃないわよ」




 私は笑う。




「きみこそ、キャナリー。つややかな黒髪がとても綺麗だ。それに俺は、きみのような、暖かな瞳の色が、その……す、好きなんだ」


「本当? 私も嬉しいわ、そんなふうに言ってもらえると」




 はしゃいでしまう私に、なおもジェラルドは言う。




「それからきみの声も。昨晩の子守歌は、本当に胸の芯からいやされる思いがした。いつまでも聞いていたいと、俺は思った。──この先、ずっと……年老いても、いつまでも」




やった! と私は、両手の拳を握りしめる。




「私、歌った後にボロクソに言われて自信をなくして、とても悲しかったのよ。でもジェラルドがそんなにほめてくれるなら、それでいいわ!」




 よかったー、と上機嫌で私は喜ぶ。




「だけど、いつまでもずっと歌うのは無理よ。だって声が枯れちゃうもの」




 私が言うとジェラルドは、なぜか不安そうな顔になった。




「ええと、キャナリー。きみは十五歳だったな。もしかして、もう恋人はいるのか? あるいは、言い交わしてはいないが、心に決めた相手は」




 なあにそれ、と私はきょとんとしてしまう。




「だってずっと、ラミアとふたりきりでここにいたのよ?」




 私は薬で埋め尽くされた、ラミアの古くてせまい室内を指差した。




「王立歌唱団に、男性はいなかったし。それに貴族の男性はツンツンしていて、誰も私なんて目に入らなかったみたい」




するとジェラルドは、表情を和ませる。




「そうか、それならいい。焦る必要はないわけだな。しかしバカな男どもだ。……ところで、きみの淹れたお茶はすごく美味しいな。料理も上手だし」


「そう言ってもらえるなら、ラミアに木の枝で叩かれながら、鍛えられたかいがあったわ」




 私は笑って答える。




「いろいろな意味で、すごい人だったみたいだな、きみの育ての親は。昨日はあまりよく見られなかったが、外に薬草園もあったようだ」


「ええ。ラミアは他の国の生まれらしいんだけれど、そこでは薬草に詳しいと、魔女と呼ばれてつかまったり、嫌がらせをされることもあったんですって。でもダグラス王国は、薬草が一番の生産品でしょ。悪くいう人もいなくて暮らしやすいから、この森に住んだらしいわ」


「ダグラス王国といえば、腹痛の白い丸薬、頭痛の黒い粉薬、で有名だからな」


「有名なのはそのふたつね。でも、睡眠薬や、昨日使った化膿止めだってよく効くのよ。まあ、街中で出回っているものの中には、もしかしたらインチキだって混ざってるかもしれないし、ラミアが作ったものは別格に効くけれど」


「特別に田畑の土がよいわけでも、軍事力があるわけでもない王国が、豊かなのは薬草のせいだろうな。それに、ビスレムが出ない」


「そんなに他の国は、その怪物に酷い目にあっているの? こっちに来なくてよかった。だってダグラス王国の王族って、本当に頼りないのよ」




 私はあの、甘ったれた王子の顔を思い出し、げんなりして言った。




「その怪物を倒せるのは、魔力だけって言ってたわよね。女の子の歌にちょっと魔力があるくらいじゃ、とても無理でしょう? だったら王族が魔道で戦うことになるんでしょうけど、あそこの王族たちじゃ無理よ。怪物なんか見たら戸棚に隠れて、震えてるに決まってるわ」




 言ううちに、私は心底心配になってきてしまう。




「そんな怪物が、こっちにまで来たらどうしよう。現に、ジェラルドたちは大群と戦ったんですものね」




 不安になって、セカンドテーブル代わりにしていた丸太にカップを置く。


 と、その手にジェラルドの手が触れた。




「あら、お代わり?」




 尋ねた私はジェラルドの顔を見て、ハッとした。


 深い青い瞳が、ひたと私を見つめていたからだ。


 どういうわけかわからないが、首から上がぼわっと熱くなってくる。




「えっと、あの、ジェラルド?」


「きみのことは、俺が守る」




 低い、真剣な声で言われて、私はドキドキしてきてしまった。




「そ、そう言って下さるのは嬉しいけれど。でもあの、ずっとここに、あなたにいてもらうわけにもいかないし、こん棒もほうきもあるから、怪物くらい私がひとりで」




 わたわたと説明していると、真剣だったジェラルドの表情が、ふっと和んだ。




「では、キャナリー。預けた剣があるだろう。それをちょっとここに、持ってきてくれ」


「いいわよ。汚れが気になるの? でも昨日、小川で洗っておいたから、綺麗だと思うわ」


「そんなことまでしてくれていたのか、きみは」




「ええ。あっ……でも、騎士の剣に勝手に触るって、いけないって習ったかも。ダグラス王国では、騎士に会う機会がなくって忘れてたわ。もしかしたらジェラルドって騎士? いけないことしちゃってたら、ごめんなさい」


「いや。きみならば、まったく問題ない」


「そ、そう? じゃあ、よかった」




私はまた顔が熱を持つのを感じつつ、立って行って、戸口の傍に立てかけていた、大きな黒塗りの鞘に入った剣を手にする。




「重たいわよねえ、これ。よくこんなのを振ったりできるわ」




言いながら持っていくと、ジェラルドはベッドから、少しふらつきながらも降りた。




「まだ休んでたほうがいいわよ。あなた、重症だったのよ?」




 なにをするつもりだろう、とうろたえる私の前で、ジェラルドはすらりと剣を鞘から抜いた。




「えっ、なに」




室内でも、ぎらりと光る刃に私はさらに動揺する。




「ごめんなさーい! か、勝手に触ったこと、怒ってるんでしょ? 悪気はないの、ちょっと汚れを落とそうとして」




あわわと頭を抱えて座り込んだ私に、優しい声がかけられた。




「違うんだ。怒ってなどいない。立って、キャナリー」


「ほ、本当に? 頭を薪みたいに、かち割ったりしない?」




 顔を上げるとジェラルドが、優しく微笑んでいるのが見える。


そこで私は立ち上がり、頭一つぶんくらいこちらより背の高い、ジェラルドの正面に立った。


 その頭が、すとんと私より低くなる。私の前に、ひざまずいたのだ。




「この剣の柄を、両手で持って欲しい」




 なんだかよくわからないままに、私はそのずっしり重い大剣の柄を持った。


 ジェラルドは器用に指先で、刃には触れないようにして、その切っ先を自分に向ける。




「この位置で留めて、しっかり持っていてくれ」


「わかったわ。でも、なにをするつもり?」




 尋ねる私を見上げ、ジェラルドは静かに言う。




「風も水も土も火も聞け。我は今この剣を持つものを主とし、忠誠を誓う。この約束たがえたときには、その四つの威力をもってして、我を罰すべし」




(なになに、なんなのこれ。やっぱりまだ具合が悪くて、幻覚でもみてるんじゃないの。もしかして、寝ぼけてるのかな)




 おたおたしていると、静かな声でジェラルドは続けた。




「キャナリー。剣を受け取った、と言ってくれ。それから、柄を額につけて」


「えっ。……け、剣を、受け取った……」




 私は言われたとおり、次に剣を持ち上げて、柄の部分を軽く


 額につけた。一瞬、パッ、と目の前が明るくなった気がする。




「なっ、なにこれ。はい、返すわよ」




 物騒なものを持っているのが怖くて、私は急いでジェラルドに剣を渡した。


 ジェラルドは妙に嬉しそうに、剣を鞘へと仕舞う。




「キャナリー。今のは、『剣の誓い』だ。国によって正式な作法に違いはある。けれど騎士も戦士も、剣を扱うものにとって、この誓いは神聖なものだ」


「そうなの……。ええと、それを誓うとどうなるの?」




混乱している私に、ジェラルドは微笑む。




「つまり、俺の剣の主は、きみということだ。危険があったときには、俺はなによりもまず、キャナリーを守るという約束だよ」


「そ、そう、なの」




 私はどう返事をしていいか、わからなかった。嬉しいのと、なんだかわからない恥ずかしさで、どうにかなってしまいそうだったのだ。




「でも、あの、そうだ! それじゃあ私も、なるべくジェラルドを守るようにするわ。一方的なのって、不公平でしょ」




私の言葉に、ジェラルドは笑った。




「面白いなあ、きみは。本当に、これまでこんな女性に会ったのは始めてだ」




 なんだかよくわからないままの私だったが、気に入られたらしいというのは理解できる。




「じゃあ、お友達と思っていいの?」


「そうだな。当面はそれでいいことにしよう」


「当面?」




 それはとりあえず今は、ということだろうか。


 先々は違うのだろうか。


 どうも時々ジェラルドの言うことは、遠回しでよくわからない。




「とにかくキャナリー、きみは俺の大切な、特別な友人だ。だからできれば、俺たちの旅に同行して欲しい」




 えっ、と私は驚いたけれど、まったく抵抗はなかった。




「ジェラルドたちがいいのなら。私は居場所がないから戻ってきたけど、ここで特にやりたいこともないし。ラミアくらいの年になったら、薬草を作る毎日も悪くないけれど。あちこち旅をできるなら、そのほうがずっといいわ。だけど」




 私はチラ、と旅行鞄を見る。




「旅するためのお金は、まったく持っていないのよ。それに、通行手形だって」


「大丈夫だ。それはこちらで用意しよう。それでいいな、アルヴィン」




 ちょうど戻ってきて、ドアを開いたアルヴィンに、ジェラルドが言う。




「はい? なんのお話ですか」


「キャナリーを、一緒に連れて行くという話だ。手形のための書類と、彼女のための馬車が必要になるが」


「ジェラルド様が、そうされたいというのであれば……キャナリーさんは、ジェラルド様の命の恩人ですから、私にとっても大切な方です。けれど、そのためにはまず、はぐれたものたちと合流しなくては」


「うん。無事でいてくれるといいのだが」


「ジェラルド様も、明日には魔力も回復されるでしょう。私の魔道具も、力を取り戻し始めました。特に悪い予感もしないので、おそらく、みな無事ではないかと思われます。泉に出かける途中、この場所を示した伝令魔道具を飛ばしておきました」


「では明日には合流できるかもしれないな」




魔道具? 伝令? とよくわからない話に首を傾げる私だったが、気分はずっとうきうきしていた。




(でも、昨晩はもちろん、今日もずっとバタバタしていたし、じっくり考えたりしてなかったけれど。ジェラルドはビスレムと戦える、っていうことは、魔力があるの? さっき、魔力が回復とかどうとか言ってたし。じゃあどこかの王族?)




 考えかけた私は、まさかね、と首を振った。


旅に同行するよう誘われた後ではなおのこと、そんなことがあるわけない、としか思えない。




(まあ別に、ジェラルドが王様でも、妖精でも、なんでもいいけど)




 ただ明日からもジェラルドと一緒に居られるのだ、


 と思うと私はそれだけで、嬉しくて仕方なかった。




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