第8話 歌の秘密と彼らの目的
「はい、あーんして下さいな」
私はスープを木のスプーンですくい、上体を起こしたジェラルドに食べさせようとする。
「い、いや、大丈夫だ。ひとりで食べられる」
「だって、さすがに縫った肩の傷は、まだ塞がってなかったじゃないの。それにスープの入った木のボールって、結構重いのよ。零して汚したりしたら、きっとラミアが怒って化けて出るわ」
そう言って、私はなおもスプーンを差し出した。
ジェラルドは、今度は口を開いて食べてくれる。
「ん。うん。なかなか、美味しいな」
「よかった。貴族のお料理に比べたら質素すぎて、口に合うか心配だったの。でも具材はどれも新鮮だし、なんたってラミアの調味料はすごいのよ」
「質素などということはない。充分だ。ありがとう」
「ジェラルド様。このご様子でしたら、もう一晩、こちらで休息されれば、万全の体調に戻られるのではないですか」
テーブルのほうで食べながら、アルヴィンが言う。
いや、とジェラルドは首を左右に振った。
「一刻も早く、合流せねば。俺がいなくては、彼らが難儀する」
「なにを言っておられるのです。ジェラルド様になにかあったほうが、我ら一同、よほど困るのです。どうか御身を大切にすることを、第一にお考え下さい!」
熱心にアルヴィンが言い、ジェラルドは仕方ない、とうなずく。
「では、キャナリーさん。もう一日、我々が留まることを、許していただけるだろうか」
その、きりっとした顔に、私はまたスプーンを近づけた。
「洗濯物も乾いてないし、もちろんそうして下さいな。キノコのスープが、嫌いでないならね」
ジェラルドは、ふっ、と綺麗な歯を見せて格好よく笑ったが、
スプーンが唇につくと、あちっ! と言って顔をしかめた。
朝食後、またも私は彼らの昼と夜の食材を調達しに、森の中を駆け回った。
キノコや山菜だけでなく、果実、木の実、食べられる様々な草や根菜。
幸い実りの季節であったのと、しばらく手付かずの状態だったので、たくさん収穫できた。
けれど一年を通してとなると、気候によってはまったく収穫できないし、ラミアとならば節約して半月は、ほそぼそと食いつなぐ分量だ。
戻ると乾いた洗濯物を取り込み、ジェラルドの傷の様子をみる。
「本当に不思議ねえ。明日には本当に、全快してしまうんじゃないかしら」
つぶやく私に、ジェラルドも自分の身体をしげしげと観察する。
「痛みはもう、まったくないんだ。正直昨日は、もう駄目かとあきらめかけていたんだが」
「私もです。体力の限界で、疲れ果ててもおりましたからね。なにせ一昼夜、ほとんどジェラルド様おひとりで、ビスレムの大群を相手にされていたのですから。それがこうまで回復されるとは、 まさに奇跡としか」
「だが、朝から考えて、ひとつだけ思い当たることがあったんだ。キャナリーさん」
呼ばれて私は、これまで感じていた違和感を口にする。
「お話に入る前に、ちょっと待って欲しいの。多分だけどジェラルドさんも、アルヴィンさんも、本当なら『様』をつけなくてはならない人たちでしょう?」
その言葉にジェラルドは、とんでもないという顔をした。
「もしそうだとしても、この家の主は、キャナリーさんだ。つまりこの場ではきみが一番偉い。そんな気遣いはしなくていい」
「ううん、それだけじゃなくて、年だって、ジェラルドさんたちのほうが、ずっと上じゃないの? ちなみに私は、十五歳」
「ずっとというほどではないが、俺は十九歳、アルヴィンは二十歳だ」
でしょ? と私はさらに言う。
「だから、私に『さん』なんてつけなくていいわ。キャナリーって呼んで下さい。なんだか、あんまり丁寧にされると、背中がもぞもぞ痒くなってきちゃうの」
すると本当にかなり元気になったらしいジェラルドは、明るい笑顔を見せた。
「痒いのはよくないな。それなら俺のことも、ジェラルドと呼び捨てでいい。いや、ぜひそうしてくれ」
「ジェラルド様!」
アルヴィンが悲鳴のような声を出した。
「さすがに、それはあまりにも、無礼、いや、不敬……」
「アルヴィン」
吸い込まれそうな、濃い青い瞳がちらりとアルヴィンを見てから、私に向けられる。
「この人は、俺の命の恩人だ。無償でどこの誰ともわからない俺たちを助け、家に入れ、寝床をゆずり、食料を提供し、服を洗ってくれたのだぞ。これまでの人生で、俺が出会った中で、一番素晴らしい女性だと思う」
そこまで感謝してくれているのか、と私はなんだか照れてしまった。
そんなに言ってくれるなら、もっとたくさんキノコを採ってくればよかった。
「べ、別に、そんな。私は、当然のことをしただけよ。ふたりとも、 悪い人には思えなかったし」
「それだけではない。では呼び捨てにさせてもらうが、キャナリー……」
ジェラルドは一度言葉を切り、その深く青い瞳を私に向ける。
「俺は昨晩、目は閉じていたが、痛みでなかなか寝つけなかった。ところが、きみの優しい、透き通るような歌声を聞いた途端、すーっと苦痛が収まっていったんだ」
「私の、歌?」
「それは確かに、私も同じです」
テーブルのアルヴィンも言う。
「椅子でうつらうつらしながら、子守歌を耳にするうちに、打撲の鈍痛が消え、いつの間にか眠っておりました」
関係ないわよ、と私は照れるのを通り越して、少し呆れてしまう。
「昨日話したとおり、私の歌は披露会で、小さな地震を起こしただけだったのよ。それに、この家でも毎晩みたいにラミアにせがまれて、子守歌を歌っていたわ」
しばらく考え込むように、ジェラルドは難しい顔になった。
やがてアルヴィンが、思いがけないことを聞いてくる。
「その、ラミアさんという方は、かなりお年を召していたのですよね。持病などは、なかったのですか?」
うーん、と私はラミアとの日々を思い出す。
「私が物心ついたときには、もうおばあちゃんだったから、曲がった腰が痛いとか、目がかすむ、とはよく言ってたわ。歯もなかったし。 でもなにしろ薬作りの名人だから、すごく長生きだと自慢してたっけ」
「きみが物心ついたときに、すでにそんなご高齢だったのか?」
ジェラルドの問いに、私はうなずく。
「ええ。おばあちゃんていくつなの? って初めて聞いたのが、私が十歳くらいだったかしら。そのとき、ちょうど百歳じゃよ、って言われてお祝いしたのを覚えてるわ」
「「百歳?」」
ふたりは同時に叫ぶ。
「待ってくれ。ラミアさんが亡くなったのは?」
「一年は経ってないわ。私が十五歳になって間もなく」
「キャナリーが十歳のときに、百歳。ということは、亡くなったのは百五歳ということか?」
「そんな! 信じられません。我が国に記録してある、歴史の中の最高齢でも、 百一歳。それも魔道を駆使して、かなり延命されたはずです!」
そうなの? と私は驚く。人間の寿命がどれくらいなのか、知る機会がなかったのだ。
子爵家の家庭教師からは、基本は上流階級の令嬢としての行儀作法と言葉遣い、それに簡単な王国史、教養のための詩や芸術を習うばかりで、そんなことは教えてくれなかった。
「自分が歌うようになったのは、何歳くらいか覚えているか、キャナリー」
なんでそんなことを聞くのだろう、と思いつつ私は答える。
「え、ええと、そうね。あ、思い出したわ。木こりのおじさんに、森の魔除けの歌だよ、って教えてもらった歌があったの。ラミアがそのころずっと毎日寝込んでしまって、初めてひとりで水汲みに行ったとき。確か五歳くらいだったわ。覚えたての歌が嬉しくて、毎日のように歌ったものよ」
「寝込んだ後、ラミアさんは回復されたのか?」
「ええ、あのときは。いつの間にかすっかり元気になって。去年までは、キノコ採りにも行ってたのよ」
ということは、とジェラルドは、重要なことを打ち明けるように言う。
「キャナリーが赤ん坊のときに、ラミアさんは九十歳。長生きとはいえ。すでに身体はあちこち弱っていた。そして九十五歳で寝込む。もしかしたら、そのまま天寿をまっとうする可能性もあったかもしれない。そのとき五歳のキャナリーが、歌を歌い始めた。そしてラミアさんは回復して元気になり、さらに十年生き、百五歳という驚くべき年齢に達した」
で? と私がきょとんとしていると、
アルヴィンがガタンと席を立つ音がする。
「そ、それでは、もしや彼女の歌に、治癒や回復の魔力が秘められている、ということでしようか?」
「ないない、それはないわ」
私は思わず、笑ってしまった。
「言ったでしょ? 貴族出身でもないし、なんでか知らないけれど、地震が起きたのよ。あるとしたらそれが私の、おかしな歌の魔力なの」
「だが昨晩もその前も、この家で歌っていた時には、地震など起きなかったのだろう?」
「え、ええ、そうだけど、ダグラス王国には地震って、ほとんどないって聞いたわ。少なくとも、王国の歴史書に記載がないそうよ。いくらなんでもそんな滅多にないことが、私が歌うと同時に起きたなんて偶然は、あり得ないんじゃないかしら」
「もしかしたら、歌と地震も無関係とは言えません」
アルヴィンの言葉に、私はびっくりしてしまう。
「人を元気にして、地震を起こす魔力? ちょっと理屈がわからないというか、変な魔力すぎません?」
笑いを含んだ声で言ったが、ジェラルドは妙に真剣な顔を、アルヴィンに向ける。
「そう感じるのか?」
「はい。なにか、微妙に事態が変わったことはわかります。国境を越えれば、もっと詳しいことがわかるのではないかと思いますが」
ではやはり、ダグラス王国に用事がある人々なのだ、と私は悟る。
商用か、それとも交流のある貴族がいるのか。
興味はあったが、 あまり事情に立ち入るのはよくないと思い、詳しくは聞かずにおいた。
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