第7話 怪物がいるらしい

水を汲みに外へ出ると、もうとっくに日が沈んで暗くなっていたが、慣れた道であることと、月明りがあったので、さほど苦にはならない。


 戻ると早速、煎じ薬のために湯を沸かす。




「ありがとう。こんな、誰ともわからぬものたちのために、水まで汲みに行き、治療を施してくれるとは」




 治療を終え、再び横たわっていたジェラルドに、私は振り向いて微笑む。




「いいのよ。貴族か商人か知らないけど、あなたたち身なりからして本当は、偉い人なんでしょ? それなのに、人をアゴでこき使わないなんて、それだけでもいい人って思うわ。私、こんなふうにまともな人たちと会話ができるのが久しぶりで、それだけでも嬉しいのよ。ただ……」




 私はちらりと旅行鞄と、台所を見る。




「もしかして、お腹空いてます? さっき説明したとおり、私は帰ってきたばかりだから、ろくな夕飯は出せないんだけれど」


「お構いなく。勝手におしかけてきた、我々が悪いのですから」




 アルヴィンが謙虚に言う。そんな態度をとられると、逆にもてなしたくなるものだ。




「多分、その傷だとジェラルドさんは、数日は寝ていたほうがいいと思うわ。服の様子からして、出血もひどかったみたいだし。今日はチーズと携帯食の固いケーキで、夕飯にしてちょうだい。明日からは、私が外で調達したキノコや山菜になるけれど、それは我慢してね」




残りわずかな、子爵家からの食糧。森の暮らしでは、もうあんなにたっぷり卵やドライフルーツやバターの入ったケーキは、食べられないかもしれない。


 でもそれならば、この身分の高そうな人たちの口には合うだろう。




「もちろん、いいが。キャナリーさん。きみの食べる分は、あるんだろうな?」


「無理をしなくてもよいのですよ。金貨も銀貨も持っておりますから、それでお支払いはさせていただきますが」


「気にしないで。怪我人は、早く治すことだけ考えるべきよ。それからベッドはひとつだけで、私は屋根裏に寝るから、悪いけれどアルヴィンさんは椅子で寝てね。毛布を貸すわ」


「椅子で充分です。あれもこれも世話をかけて、申し訳ありません」




 しきりに恐縮そうなジェラルドとアルヴィンに、ただし、と私はつけくわえた。




「その代わり、ジェラルドさん。煎じ薬は、しっかりと飲んでちょうだい。この木のボールに、なみなみいっぱい。それが条件よ」




「うっ……ぐ、っう、ぐぐっ」




 煎じ薬の入った木のボールに口をつけ、ジェラルドは私が言った意味をわかったらしかった。


 この煎じ薬は、傷のための発熱や化膿を抑えるが、とにかく、恐ろしく不味いのだ。




 たとえるならば、蛇の皮と蜘蛛の巣、それにラミアの足の指を、同時に口に入れるくらいに不味い。


ジェラルドは治療のときより、ずっと苦しそうな表情と声で、なんとか少しずつボールの中身を飲んでいく。が、途中でとうとう音を上げた。




「な、なんだ、いったいこれは。匂いからして覚悟はしていたが、苦くて、すっぱくて、ひどい味だ」


「なんだ、ってお薬よ。効く薬ほど舌はいやがる、ってことわざがあるでしょ」




 言って私は、ジェラルドの高い鼻を、むぎゅっとつまんだ。




「うぐっ、なっ、なにを」


「キャナリーさんっ! ジェラルド様の尊いお鼻に、なにをなさいます!」


「形はいいと思うけど、尊いなんておおげさねえ。私が子供のころ、ラミアはよくこうして、薬を飲ませたものだわ。さあ、もっと、ぐいっと飲んで」




うう、とジェラルドは顔をしかめたが、それでも渋々と木のボールを、再び口へと運ぶ。


 間近で見ると睫毛が長くて、すごい男前だなあ、と私は思った。




 ダグラス王国の王子とはまったく違い、頬から口元は精悍に引き締まって、気品もある。


 その彼が子供のように、必死に薬を飲んでいるのを見ていると、なんだか微笑ましくなってしまった。




「ま、まだか。全部でなくてもいいんだろう?」


「駄目です。決まった用量があるんですから、すべて飲み干して下さいな」




 そうして苦戦しながらも、ジェラルドはすべての煎じ薬を飲み干した。




「よくできました。それじゃあケーキと、お茶を用意するわね」




 私は言って、空になった木のボールを持って台所へ行く。


 それからもう一度湯を沸かし、一番上等の、ラミアがなかなか使おうとしなかった、とっておきの茶葉を取り出した。






 やがて夜が更けて、そろそろ眠くなってきたけれど、ランプの灯はつけたままにしておくことにする。


 もし夜中に、ジェラルドの体調に変化があったりしたとき、すぐに様子を見られたほうがいいと思ったのだ。




長旅で、相当に疲れていたのだろう。


 ベッドの足元の椅子で、アルヴィンは首を垂れ、すうすうと寝息を立てている。


 ジェラルドも目は閉じていたが、時折苦しそうな声を出して、荒い息をついた。




「……痛みで眠れないのね」




 今夜は私も屋根裏でなく、傍につきそって様子を見守ろう、と考えていた。


 枕元の近くで、踏み台代わりにしている丸太に座った私が囁くと、ジェラルドはかすかにうなずく。




私は濡らしてしぼった布で、ジェラルドの額の汗をぬぐうと、虫の音より小さな声で静かに子守歌を口ずさむ。


 ラミアがよく、聞かせてくれとせがんだ歌だ。




「あおきつきの ひかりのもと ねむれおさなご こよいはしずか ゆうれい けもの ようまのすべて ねむれねむれ やみをまくらに」




 三番目の歌の途中で、ジェラルドはようやく健やかな寝息を立て始める。


 私もそのまま毛布に突っ伏して、いつの間にかうとうとしていた。








 ふと気が付くと、窓の外が薄明るい。小鳥たちの声が聞こえ、夜明けがきたことを知った私は、そっと身を起こした。


 ジェラルドはまだ眠っていて、その額に、触れてみる。




(よかった。傷からの発熱はないみたい)




 それから私は急いで籠を持って外へ行き、キノコや木の実を集め始める。


 朝食の支度をしなくてはならない。水もまだ足りないので、大きな水瓶をいっぱいにするべく何度か泉を往復するうちに、裏木戸が開いた。




「おはようございます、キャナリーさん。早くから働かせてしまって、申し訳ありません。よろしければ、お手伝いさせてください」




 それはアルヴィンだった。この人も、ジェラルドほどではないにしろ、昨日はやつれて見えたのだが、よく眠れたのか顔色がいい。




「おはようございます。でも、もう水は大丈夫ですし、それならかまどの火を見ていてくださいな。私、ジェラルドさんの血で汚れた服や道具を洗っておきますから」




 私は言って、飲み水にはできないけれど、生活用水として使っている小川で、ざぶざぶと洗濯を始める。


アルヴィンは了承して、かまどの番をしてくれた。


 これも洗ったほうがいいかな、と大剣も持って行ったが、正解だった。




 刃先にはべったりと、なんだかよくわからない液体が付着して、すごく汚れていたからだ。


 もしかしたらこれがビスレムという怪物の、体液なのかもしれない。そんなことを想像したら、背中にぞくっと悪寒が走った。


 明日まで放っておいたら固まって、容易に鞘から抜けなくなってしまっただろう。




 やがて洗濯も終わり、台所へ戻るといい匂いがしている。


 キノコと山菜どっさりのスープ、豆イモというとても小さなイモをたくさん炒ったものが、今日の朝食だ。




どちらもラミア特製『これをかければ大体のものは美味しく食べられるハーブ入りの塩』で味付けがされている。


それに、とっておきの茶葉のために新たにお湯を沸かし始めると、私のお腹はぐーぐー鳴っていた。




 そのころには、朝の陽ざしが室内にまで入って来て、商人や町民たちにとっての朝食の時間だ。


私は忙しく動き回っていたけれど、ちらりと見た様子ではジェラルドはすでに起きていて、アルヴィンと話をしている。


 あの様子では、随分と回復したみたいだな、と私は安心した。




「おはようございます、ジェラルドさん。すっかり元気そうに見えるけど、具合はどう? もうご飯、できましたけど、食べられるかしら」




 台所から声をかけ、ベッドのほうに歩いていくと、なぜかふたりとも困惑した顔をして、こちらを見ている。




「あのう。どうかしたの?」




 尋ねるとジェラルドは、腕の包帯を外しながら言う。




「ああ。いや、悪いことではないんだが。つまりその、傷が……あまりにも痛まない」


「本当に? よかったじゃないの」


「よかったのは確かだが、この治りの速さは異常だ」




 言いながらジェラルドは、くるくると包帯を外した。


すると、浅い傷はほとんど消えてしまったかのように、薄く痕が残るだけになっていた。


 青黒くひどい有様だった打撲の部分も、うっすら黄色くなっているだけで、確かに私も驚いてしまう。




「いったいきみは、どんな薬を塗ってくれたんだ?」


「どんなって。だからラミアが作った、普通に町に売りに行ってた薬よ」




 私はひたすら首を傾げる。




「よく効くって評判だったけど、確かにそこまで効くとは聞いたことがないわ。ジェラルドさんの体質なんじゃないかしら?」


「それは違います、そしておそらく、薬だけの効果でもないでしょう」




 言ったのは、アルヴィンだ。




「言いませんでしたが、実は私も、怪我をしていたのです」




 アルヴィンは、上着を脱いで、そこに下がっている薄い金属の板を見せた。




「これは、首から下げていた護符です。このように、へし曲がるまで打撲を受け、もしかすると肋骨をやられたかもしれない。そう思っていました」


「なんだと。アルヴィン、そのようなこと、俺にも黙っていたのか」




 驚いて言うジェラルドに、アルヴィンは謝った。




「申し訳ございません。昨日は、それどころではありませんでしたから。けれど……レディの前で失礼ではありますが、見て下さい」




 アルヴィンは、シャツの前を開く。


 すると上半身の半分ほどが、うっすらと黄色くなっている。


 が、言われなくてはわからないほどだ。




「昨晩、私が自分で確認したときには、黒に近いほどに内出血していたのです。それがたった一晩で、薬もつけずにこれというのは、不思議で仕方がありません」


「本当にねえ。いったい、どうしちゃったのかしら。よくなったのはいいことなんだけれど」




いくら言われても、私にもわけがわからない。


 三人でしきりに首をひねるうちに、ぐうう、とまた私のお腹が鳴った。




「と、ともかく、ご飯を食べましょう。待ってて、少し温め直すから」




 まだジェラルドの体力は、完全に回復はしておらず、少しふらつくようだった。


 そのため、彼の分はテーブルではなくお盆にのせて、


 ベッドまで運ぶことにした。


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