第6話 怪物がいるらしい

家に侵入しようとすると、扉だけでなく窓にもいろいろ罠が仕掛けてあったので、盗賊などに荒らされた形跡はない。




こちらもあちこち、からくりが仕掛けてある戸棚を開き、中から塗り薬の瓶や煎じ薬、包帯などを出す。


 室内には独特の、ハーブの匂いが立ち込めていた。




ラミアは何十年もここで薬草を栽培し、薬を売って暮らしてきた。


 そのため台所にはいくつもかまどがあって、大鍋がかけられ、薬の壺もたくさんある。


まずは塗り薬と包帯を持って、私は横になっているジェラルドの様子をみた。




「ひどい怪我みたいね。いったい、なにがあったの? ほら脱いで、手当をするわ」


「お、お待ちなさい。そのように気安く触れては……」




 なぜかアルヴィンが私を止めようとしたが、ジェラルドがそれをさえぎった。




「よい。治療をしてくれるというのだ。ありがたく、好意を受けよう」


「はい。ジェラルド様が、そうおっしゃられるのなら」


「なによ、貴族だから、私みたいなのに触られたくないっていうの? あなたたちも、そういう面倒くさい人たち?」




むくれる私にジェラルドは、痛みに汗を流し、眉を寄せながらも、弱々しく首を左右に振った。




「気分を害したなら、謝る。すまない。このような境遇に、慣れていないだけだ」




 それはそうでしょうね、と私は肩をすくめる。




「私もちょっと前まで、貴族として暮らしていたけれど、ひどいものだったわ。召し使いと対等に話しているだけで怒られたのよ。意味がわからなかったもの」




 言いながら、私は遠慮なくジェラルドの服を脱がしにかかった。


するとかなりの細身だと思っていたのに、しっかりと筋肉のついた身体に、少しばかりドキリとする。




 だが、あちこちに打撲の痣があったり、出血したりしていて、それどころではなかった。私は急いで、痛々しい傷の様子を見る。




「うわあ、痛そうね。でも、縫わなくてはならないほど深いのは、肩の一か所だけだわ。あとは塗り薬で大丈夫。ラミアの薬は、本当によく効くって評判だったのよ」




 話しながらてきぱきと、私は傷の治療をした。




「貴族として暮らしていた、というのはどういうことですか?」




 背後に立ち、治療を見守っているアルヴィンに尋ねられ、私はことの経緯を話して聞かせた。


 ラミアが死んだ後、子爵家に引き取られたこと。王立歌唱団を追放されたこと。披露会のこと。




「あなたのお歌で、地震が起きたのですか……? それは王族につらなる血筋でもないのに、魔力があったということですよね?」


「そうなのよ。不思議なこともあるものね。だけど追放された今となっては、関係ないわ。さあ、あとはこの、一番傷の深いところに取り掛かるわよ」




 私が言うと、苦しそうに息をつきながら、ジェラルドがうなずいた。




「よろしく、頼む」


「ちょっと痛いけど、我慢して起き上がってね」




 火で消毒した針と糸で、私は上体を起こしたジェラルドの深い切り傷を、ちくちくと縫う。


 ジェラルドは目を閉じて眉間にしわを寄せたが、文句ひとつ言うわけでもなく、じっと苦痛に耐えていた。




「でもいったい、なんでこんな大きな傷を負ったの? 盗賊? この辺りには、大型の肉食獣はいないと思ったけれど」


「それは決まっているでしょう。ビスレムの仕業です。それも、大群だったのですよ」




 背後からのアルヴィンの返答に、私は首を傾げる。




「ビス、レム。ええと、聞いたことはあるような。身体の半分は獣、半分は魔物の怪物、だったかしら。それがこの近くにいたの?」


「聞いたことはある、だと?」




 治療の苦痛にじっと黙って耐えていたジェラルドが、深い青色の瞳でこちらを見た。




「そんなにも、この辺りには、ビスレムがいないのか?」




 ええ、と私はうなずく。




「少なくとも見たことはないし、ダグラス王国の国内にも、いないんじゃないかしら」


「まさか、そこまでとは」




 アルヴィンが、呆然としたような声を出す。




「いいですか、キャナリーさん。どの国もビスレムには、苦しめられているのです。ビスレムは田畑を荒らし、果樹や家畜を食い荒らし、人を襲うことも珍しくありません。そしてときには、群れをなして暴れるのです」


「えっ、そんなに怖いの? 熊ぐらい?」




 私が言うと、そんなものではない、とジェラルドがつぶやいた。




「人の手では、倒せない。撃退できるのは、魔力を持つものだけだ。町人や農民たちは、城から配布された魔力を秘めた道具で、なんとか追い払っているが」


「ダグラス王国にビスレムの出現が少ない、被害がない、というのは、情報として知ってはいましたが。誇張されているのではと思っていました。城下町から離れたこの森にも、ビスレムは出現しないのですか?」




ええ、と私はふたりに重ねて答えた。




「まあ、うちの周りは薬草だらけだし、薬の匂いがぷんぷんするから、寄ってこなかったのかもしれないけれど。町まで薬を売りに行っても、被害の話は聞かないわ。そもそも、ビスレムって、いったいなんなのか、よくわからないんだけど」


「誰も完全には、正体を理解できていないのです」




 私の疑問に、アルヴィンが説明してくれる。




「野獣のように動く、土の化け物、とでも思っていてください」


「野獣みたいな土? なんだかおっかないわね」




 私は想像して、ぶるっと身震いをした。




「そしてふたりは、そのビスレムっていうやつらに、襲われたのね?」




 ああ、とジェラルドがうなずく。




「ここから北へ、馬車で半日ほどの場所だが、大群とかち合ってしまった。我々の一行も、無事に逃げおおせているといいが」




 あれ? と私はその言葉で、自分の勘違いに気が付いた。


どうやらふたりきりの旅行者ではなく、集団からはぐれてしまったらしい。




 立派な身なりをしているから、護衛を雇った大商人の一行か、ダグラス王国の貴族に用のある、


 他国の貴族の使節団だったのかもしれなかった。




まあなんでもいい。感じの悪い人でさえなければ、困ったときはお互い様だ。


 私はそう考えて、ジェラルドの治療を終えると、桶を持って外の泉に、水を汲みに行った。

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