第16話 怪物が来た
異変が起こったのは、ダグラス王国に滞在して、五日目の夕方のことだった。
午後のお茶のあと、私はゆっくりと部屋でくつろいでいた。
しかし妙に王宮全体がざわざわしているのを感じ、ジェラルドの部屋を訪ねようと立ち上がる。
そのときちょうど扉がノックされ、取り次ぎで入ってきた小姓の背後から、アルヴィンが顔を出した。
「キャナリーさん。ジェラルド様がお呼びです。急いで」
慌ててふたりでジェラルドの部屋を訪ねると、部屋の主はこちらに背を向けて立っていた。
「正式な伝達はないが、どうもなにか町の方で騒ぎが起きているらしい」
ジェラルドは、窓の外を見つめて言う。
庭園でもある広場では、騎士たちが忙しく駆けまわっていた。
「あら、珍しい。馬術や武術会、訓練でもなくて、騎士たちがあんなふうに完全武装で動いてるところ、初めて見るかもしれないわ」
私は言って、ジェラルドの隣で窓にはりつく。
「アルヴィン、どうだ。なにか感じるか」
「はい。やつらで間違いないと思われます」
「やつら? なにか悪いこと?」
「ビスレムだ、キャナリー」
ジェラルドの声に、私はハッとした。
最初に出会ったとき、瀕死の大怪我をしていたジェラルド。
その傷を負わせた怪物が、いよいよ
ダグラス王国にも襲来したというのだろうか。
その私の予想は、不幸にも当たってしまっているらしい。
「思っていた通りですね、ジェラルド様」
冷静な声で、アルヴィンが言う。
「やはり聖獣は、少し前までここにいたのです。ところが、なにかをきっかけに、逃げてしまった」
「ああ。そこで早速、天敵がいなくなったことに気付いたビスレムが、この国にやって来たんだろう」
「ど、どうなってしまうの。町の人たちは、大丈夫なのかしら」
私は怪物を直接は知らないが、それでも恐ろしい。
ジェラルドを死の寸前にまで追いやった相手、ということがわかっているからだ。
アルヴィンは懐から、鏡のようなものを出した。
そして平べったい面に、指でなにやら魔法陣のようなものを描いてから、じっと見つめる。
「それを使えば、見たい場所が見られるの?」
「はい……まだ姿まで確認できませんが、気配からですと、数は多くないと思われます。おそらく、一体か、二体。この程度でしたら、グリフィン帝国では物の数ではないでしょうね。ただ」
アルヴィンの言葉を、ジェラルドが継ぐ。
「そうだ。ここはグリフィン帝国ではない。帝国騎士団もいないし、魔道を駆使した武具もなさそうだ」
「いやいや、まさか」
アルヴィンは、眉を八の字にした。
「いくらなんでも、完全に無防備ということはないでしょう。いずれにしてもこの段階で求められてもおらぬのに、他国の我々が手を貸すのは、かえって非礼ではないかと思います」
「そうだな。ダグラス王国のお手並み拝見だ」
「お手並みもなにも、ないと思うけど」
ふたりの話を聞いていた私は、身もふたもなく言う。
「私は半年間、子爵家に居候していただけだから、もちろん、全部知ってるとは言えないわ。でも森にいたときも、町の人とは商売を通じて話したりしていたけれど。王家が魔力でなにかをしたって、一度も聞いたことがないのよ」
ランドルフ王子や、他の王族たちなどはどうでもいい。
しかし町の人々の安否が気掛かりだった。
「ここの王家が、怪物を追い払えるようには思えないわ」
「そこまで無能なのか、この国の王族は」
悪口ということではないらしく、ジェラルドは心底、驚いた表情になる。
「怪物と戦う必要が、なかったからじゃないかしら。私も、ビスレムっていう怪物がいました、っていう昔話としては知ってたわ。だから昔の王族なら魔力で戦っていたのかもしれないわね」
「きみは十五歳だからな。そのころから聖獣がこの国のどこかにいたなら、ビスレムが来なかったのは当然だが。王族がそれをわかった上で無防備でいたというのなら、それは怠慢すぎる。王家としての資格すらない」
アルヴィンは鏡を仕舞い、なにかを確信した目でジェラルドを見る。
「ともかく、ジェラルド様が絵を描くふりをされてまで、滞在を延長していた理由はなくなりましたね」
そうだな、とうなずいたジェラルドに、アルヴィンは続けた。
「聖獣はなんらかの方法で、ダグラス王国に捕らえられていた。そして少し前に、逃げた。それが確実になった今、我々がするべきことは、ここで見守ることではありません。聖獣の行方を追うべきだと思います。すぐに出立の準備をいたしましょう、ジェラルド様」
「待って!」
今にもこの国を出ようとしそうなふたりに、私は必死に言う。
「少しでいいから、様子を見て。もし町に怪我人が出たりしたら、放っておけないわ。ラミアと私の薬で、元気になった人も大勢いるんだもの」
初めて見る怪物に、町や村の人々が恐怖におちいっているのではないかと考えると、不安が胸に押し寄せてくる。
「ろくでもない王国だけど、真面目に働いている人たちや、赤ちゃんや子供に罪はないわ。できることがあったら、助けてあげたい。薬が必要になるかもしれないし」
もちろん、他国の問題だ。
グリフィン帝国の皇子であるジェラルドには、まったくなんの関係もない。
むしろもっと大事な役目がある。
私はそう思いながらも、無理を承知で頼んだのだが。
「もちろんだ、キャナリー」
拍子抜けしてしまうほど、ジェラルドはあっさり了承した。
「えっ、いいの? そんな簡単に?」
「きみが辛い気持ちでいることは、俺にとっても心地よくない。救助の求めがあれば応じよう」
ふう、とアルヴィンが溜め息をつく。
「数は少なそうですから、万が一ジェラルド様が戦いにおもむかれても、さほど危険はないでしょう。援護を求めて来るかどうかわかりませんが、少し状況を見守りつつ待機していましょう。案外、彼らもうまく戦えるかもしれませんよ」
「私も、本当はそれを一番、願ってるわ」
けれどそれは、希望的観測でしかなかった。
ビスレムたった二体の討伐に、王族と親族の関係にある公爵家を含め、魔力を持つ十人の青年が駆り出された。
さらにはそれを守るべく、騎馬兵士たちの、一個小隊がビスレムとの戦いにおもむいた。
そしてなんとか、二体のビスレムを追い払ったらしいのだが。
無傷で帰って来たのは、王子を含むふたりだけだった。
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