第18話 真夜中のカナリア

(血と薬の匂い。なんて苦しそうな声に満ちているんだろう)




 深夜、私がこっそり忍び込んだのは、兵舎の近くにある救護棟だった。




 すぐ隣には教会があって、いつもならば長く寝付いている病気の患者さんが多いのだが、今日は様子がまったく違っている。




 ビスレムとの闘いで傷ついた兵士が、


とりあえずの板のベッドに横になり、傷の痛みに呻いていた。




 白い装束の医師と、手伝いの侍女たちが、わずかなロウソクの灯りを頼りに、必死に治療に当たっている。




 私はだだっ広い部屋の壁際を、腰を低くしてそろそろと進み、なるべくロウソクの灯りも届かない隅っこに縮こまって座った。




(もしかしたら、とんでもない見当違いかもしれない。無意味でふざけたことをした、とののしられるかもしれない。でも、そんなのは私が叱られればいいことだわ。やってみなければわからないことは、やってみるべきよ)




 私はそう決意し、すう、と息を吸い込む。


 それから静かに、囁くように、ラミアやジェラルドたちに歌って聞かせたのと同じ、子守歌をうたった。




 大勢の怪我人たちは薄暗がりの中、かすかに歌声が聞こえ始めても、最初は特に反応がなかった。


 眠っているものもいただろうし、痛みでそれどころではないものが、大半だっただろう。




 気がついても、侍女か看護にあたっている修道女が、なぐさめに歌っている、と思ったものもいるかもしれない。


 けれど二番目まで歌い終えると、医師がまず最初に指摘した。




「歌っているものは誰だ。そのようなひまがあるなら、こちらを手伝ってくれ」




 と、少しずつ救護棟全体が、ざわざわとし始める。


 ついに私の姿をみとめたものが、こちらを指差した。




「おい、そこの女! 誰だ、なんでそんなところで歌を……ああっ?」




 男は包帯を巻いた手で、反射的にこちらを指差し、突然大声を出す。




「お、折れたはずの手が上がった!」


「うるさいな、やっと、眠っていたのに……っなに、目が、目が見える! ロウソクの灯りが、やつらに目を潰されたはずの俺にも見えるぞ!」


「あの化け物にざっくりやられた傷が、ふさがっちまった!」


「奇跡よ、この騎士様の出血が止まっている! ああ神様、彼は助かるわ!」




 喜びの声が上がる中、もしやと思って試した私は、自分の歌の威力に呆然としてしまっていた。




(ジェラルドたちが言っていたから、まさかと思ってたけど、本当だったんだ。よかった……!)




「あ、あなたは誰だ」


「今の歌を聞くうちに、どんどん痛みがひいていったぞ」


「ああ、優しい、綺麗な歌声だなあと思っているうちに、嘘みたいに傷が治っちまった」


「聖女様だ。そうだろう? イズーナがつかわされた女神の化身か、そのものだ」




 自分の歌の魔力の効果に安心し、笑顔で立ち上がった私に、兵士たちの賞賛が集まった。




 ここで治療している騎士や兵士たちは、私が追放された、元『四音の歌姫』であることも、ゴミ捨て場と呼ばれ、貴族たちからさげすまれていた、元子爵令嬢であることも知らない。




 だから私はただ、キャナリーです、とだけ名乗った。




「キャナリー……金糸雀。女神イズーナが、俺たちのもとによこしてくれた小鳥か」


「そうだ、神々の庭から飛んできて、俺たちを助けてくれたに違いない」




「念のため、もう一曲聞いてもらえるかしら」


 私が言うと、救護棟に拍手が巻き起こる。




「歌ってみてくれ! すごく身体が楽になったんだ」


「まだ少し、足が痛む。お願いします、女神イズーナ」


「女神なんかじゃないわ。森の薬売りに育てられた、ただの小娘よ」




 照れくさくなって私は言い、それから疲れ果てるまで、そして兵士たちが心地よい眠りにつくまで、何度も子守唄を歌って聞かせたのだった。




「キャナリー! どこにいたんだ。夜中の見回りで姿が見えない、と侍女が言うものだから、探し回ってしまったじゃないか!」




 明け方近くまで歌っていた私は、さすがに疲れ果てていた。そして飢え死にしそうなほど、お腹が空いていた。




 ふらふらとよろけながら部屋へと戻ると、そこに心配顔のジェラルドがいて、びっくりしてしまう。




「ど、どうしたの? こんな早くから。まだ寝ていればいいのに」


「きみがいなくなったと報告を受けて、寝ていられるわけがないだろう!」




 椅子から立ち上がったジェラルドの声には、はっきりと怒りが含まれている。


 どうして、と私は驚いてしまった。




「だってジェラルドたちは昨晩、仮眠とはいえ寝室で休むと思っていたし。私は自分のことは、自分で決めて動くわよ。なにかいけなかった?」




 本気で不思議で尋ねると、ジェラルドは溜め息をつく。




「……いや。いけなくない。いけなくはないが、キャナリー。ビスレムが出てこんな危険な状況で、きみの姿が見えなくなったら心配する。それは当たり前のことだろう?」


「そ、そう? 私、森では夜中でも泉に水を汲みに行くこともあったし、ラミアに雪が降る中、家から叩き出されたこともあったから」


「しかし、今は事情が違うんだ。わかってくれ、キャナリー」




 ジェラルドの表情が、なんだか悲痛に見えてしまい、私は思わず謝った。




「ごめんなさい。そうよね、せめて一言、侍女にでも伝言を残しておけばよかったわ」


「それできみは、夜更けにベッドを出ていったい……ひとりでなにをしていたんだ?」


「ひとりじゃないわ」


「ひとりじゃない? で、では誰と」




 ぎょっとしたように、ジェラルドは目を見開く。




「誰と、って言われても。相手はひとりじゃないし」


「そ、それは、その、相手は、女か。まさか、男か?」




 ますますジェラルドは、焦った顔つきになった。私は正直に答える。




「男の人たちよ。夜中からついさっきまで、ずっと一緒にいたの」


「キャ……キャナリー……」




 ジェラルドはなぜか眩暈がしたように、額に手を当てふらっとなった。


 もう片方の手を椅子の背もたれについて、身体を支える。




「えっ、なに、どうしたの、大丈夫?」




 慌てる私にジェラルドは、苦悩をにじませた声で言う。




「き、きみは。……複数の男と、一夜を……共にしたというのか」


「ええ。それがどうかしたの?」




 明るく答えると、ジェラルドはさらに絶望的な表情になる。




「お……俺は、きみという人のことを、わかっていなかったんだろうか。いや、森の中で自由に暮らしていたくらいだ。そういうことがあってもおかしくないかもしれない。いやいやそんなわけがない。いや、どちらにしても、簡単に俺の気持ちが変わるということはないが、しかしそれでも、信じたくない」


「もう、なにを言ってるのか、わけがわからないわよ、ジェラルド。あのね、私が行っていたのは救護棟よ」




 救護棟? とジェラルドは顔を上げる。




「教会近くの、怪我人のいるところか?」


「そうよ。ビスレムに怪我を負わされた人が大勢いたの」




 私は昨晩のことについて、すべてジェラルドに話した。


 聞いているうちに、ジェラルドはなぜかどんどん落ち着きを取り戻し、目つきから鋭さが消え、表情も晴れやかなものになっていく。




「夜中にふっと思いついたから、試しに行ってみたの。歌ってみて、よかったわ。歌の魔力にも自信が持てたし」




 そうだったのか、とすでにいつもと同じになったジェラルドは、穏やかに言う。




「きみという人には、本当に驚かされる。そして、悪かった。妙な勘繰りをしてしまって」




 勘繰り? と私が眉を寄せると、なんでもない、とジェラルドは慌てて話を変える。




「それより、夜中にそんなに活躍したなら、キャナリーはお腹が空いたんじゃないのか? いつもの朝食の時間には早いが、なにか作って持ってこさせよう」




 小姓を呼ぶため、ジェラルドは呼び鈴を鳴らす。




「それよ!」




 私は魂の叫び声をあげた。




「なんだかもう、お腹がおかしくなりそうなくらい、ぺこぺこなの。今なら木の枝だって、ばりばりかみ砕けるわ!」




 間もなく、大至急用意してもらった軽食が、ワゴンに乗せられて運びこまれる。


 私はもう、わき目もふらず、湯気の上がっている焼きたての丸いふわふわパンにかぶりつき、ガラスの大瓶から直接ミルクを飲んだ。




 ジェラルドはその横で、せっせとパンにバターやジャムを塗ってくれている。


 そうして私が早すぎる朝食を食べていると、アルヴィンも寝不足な顔で部屋に入って来た。




「キャナリーさん! どこにいたんですか」




 ジェラルドから説明を受けると、ホッとした顔になる。




「なんにせよ、よかった。私も心配したんですよ! それはともかく……ジェラルド様! バターを塗る役目は、私が代わります」


「いや、皇子たるものなにごとも経験だ。こういう機会は滅多にない」


「そ……そうかもしれないですが」


「ごめんなはいね。一曲らけじゃ、すまなくて、時間がかかって。れも、おかげでみんな、元気になれたみたいよ」




 私はもむもむと、頬を限界まで膨らませ、食べながら言う。


 アルヴィンは苦笑した。




「キャナリーさんの歌に、回復の魔力があることは確実となったわけですね。でも不思議ですねえ。王族に近い血筋というわけでもないでしょうに」




 アルヴィンの言葉に、五つ目のパンに切れ目を入れてたっぷりジャムを詰め込んでいたジェラルドが言う。




「ああ。しかしたとえば、密かにおしのびで遊びに出た王族と庶民との間の、隠し子、ということもありえなくはない」


「それはないと思うわ」




 私は口の中のものを飲み込んでから言う。




「だってラミアが、せめてそういう赤ん坊だったら、金目の護符かお守り代わりの宝石なんかがあってよかったのに。お前は丸裸で、木の幹の間にひっかかっていたんだからいやになっちまう、ってよく言ってたもの」


「木の幹の間? それはそれで不自然だな」




 ジェラルドが首を傾げたそのとき、部屋の扉がノックされた。


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