第19話 お腹と背中

『失礼いたします。至急、ランドルフ王子殿下が、お会いしたいと申されております。お通しして、よろしいでしょうか』




 また面倒なのがやってきた、と私たち三人は顔を見合わせたが、さすがに王子を邪険にはできない。




「入っていただけ」




 ジェラルドが言うと、なぜか驚いた顔をしてランドルフ王子が入って来た。




「これはこれは。このような早い時間に、すでに殿下がこちらの部屋におられるとは」


「私がキャナリーの部屋にいたら、なにかご都合が悪いのか、ランドルフ王子」


「そ、そうではないが、びっくりしただけだ。のう、そなた。キャナリー」


「なんでしょう」




 迷惑そうな顔で言ってやったのだが、めずらしく王子は怒らなかった。




「実は起きて早々に、昨晩の話を聞いたのだ。そなたが救護棟で歌い、そのおかげで兵士たちの怪我が回復したと」


「どうやら、そのようですわね」




「では、これから急いでぜひ、頼む! 我が親族、叔父上や公爵たちにも歌ってやってくれまいか。ビスレムとの闘いで、傷ついたものが何人もいるのだ」


「ああ、そうでしたわね」




 どうしようかな、と私は溜め息をつく。




 ここの貴族たちは大嫌いだが、怪我人であれば冷たくするのも気がひける。


 それにこの人たちが戦えなければ、結果として村人や町人たちが、より多くの被害にあうだろう。




「わかりました。けれど、朝食がすんでからにしていただけます?」




 私は言って、もうひとつパンを手に取った。


 別に嫌がらせではなく、どうやら歌うと、通常より何倍もお腹が空くらしい。




 昨晩、長時間歌っていた私は、今にも飢えて死んでしまう寸前のように、いくら食べてもまだ満腹には程遠かった。


 それでも、あまり王子を待たせて、かんしゃくを起こされても困るので、そこそこにして食事を終える。




「じゃあちょっと、行ってくるわね」


「キャナリー。俺も行こうか」




 ジェラルドが言ったが、私は笑って首を左右に振った。




「あなたがいたら、怪我人がみんな緊張してしまうわ。ただでさえ痛がってるときに、それは可哀想よ」




 そう言って、私は小姓と王子に先導されて、各王族の部屋を訪ねて歩くことになったのだった。




♦♦♦




 本当に私の歌には、怪我や疲労を回復させる魔力があるらしい。


 昨晩の出来事に重ねて、次々に歌声で王族たちを回復させたことで、私はさらに確信を深めた。




「おお、奇跡だ。なんという聖なる歌の力だ。あなたは女神イズーナの申し子だ、聖女キャナリー」


「披露会のとき、このようなことと知っていたら、黄色いバラを束にして投げていたのに」


「これまでの非礼を、どうかお許し下さい。この魔力は、普通のものではない。おそらくイズーナが直接、聖女であるあなたに与えた力に違いない」




 まずは今回の件で怪我をしたわけではないが、身体を悪くしている国王陛下。




 次に国王の弟、その子息たち、王妃に連なる親族、王族と近い血縁関係の公爵たちに、口々に礼を言われながら、私はひたすら歌い続けた。




 ののしりと、靴が飛んできたあのときとは大違いだ。


 賛美の声が浴びせられ、まるで女神そのものを見るような目を向けられたのだが。




(ああああ! もう無理もう歌えない、お腹が空いたああ!)




 すべての怪我人の部屋を回り終え、自室に戻って来たときには、私は半泣きになっていた。




 すぐに侍女を呼び、なんでもいいから食べられるものを持ってきて、と頼む。


 だからしばらくして、ジェラルドたちが部屋に入ってきたときには、涙を流しながらチーズパイを頬張っているところだった。




「昨晩から、歌って食べての繰り返しか。可哀想に、疲れただろう、キャナリー」


「大丈夫。だって、出てくるお料理が、どれもこれもみんな美味しいし。それより、聖女ってなあに? このごろ何度か言われることがあるの」


「奇跡を起こせる女性を、そう呼んでいる」


「なるほど、私の歌が奇跡っていうわけね……」


「ところで、満腹になってからでいいんだが、ちょっと頼みがあるんだ。アルヴィンと話して、確認しようと決めたことなんだが」


「なに? 簡単なことだったら、今でもいいわよ。少しお腹が落ち着いてきたから」




 大きな鍋、いっぱい分くらいのシチューをたいらげ、チーズパイを四つ食べた私は、ようやくひとごこちついてそう言った。




「そんなに難しいことじゃない。が、少しだけ、頼みにくいことではある」


「ジェラルドらしくないわね。遠回しな言い方をしないで、言ってみて」




 うん、とジェラルドはうなずいたが、なぜかためらう。


 それから目元をほんの少し赤くして、口を開いた。




「実は、キャナリー。つまりその。ドレスを……脱いで欲しい」




 えっ、と私は手にしていたフォークとナイフを置き、顔を上げてジェラルドを見る。




「どうして?」


「いや、勘違いしないで欲しい。脱いで欲しいだけで、なにもしない」


「見損なったわ、ジェラルド!」




 私は叫んで立ち上がり、首に着けていたナプキンやクッション、花瓶に生けてあった花を投げつける。




「なにもしないけど服を脱げ、って言う男は世界一の嘘つきだ、絶対に信用するな、ってラミアに口癖みたいに言われてたわ! あなたがそんな人だったなんて!」


「ちょっと待て、キャナリー!」


「キャナリーさん、誤解です! 私たちは、背中が見たいのです!」




 背中? と私はものを投げる手を止めた。




「そ、そうなんだ、キャナリー。きみの背中には、アザがないか? 肩甲骨の辺りなんだ。申し訳ないが、それを確かめさせて欲しい」


「そ、そういうこと……えっと、ごめんなさい」




 私は恥ずかしくなって、自分で投げたものをせっせと拾い集める。


 長年のラミアとの喧嘩の経験から、これは危険でこれは大丈夫、というものはわかっているので、壊れるもの、固いものはいっさい投げていない。


 拾いながら思い出し、あっ、と私は顔を上げた。




「そういえば、子爵家で言われたことがあったわ。私を養女として引き取ったのは、背中にアザがある、って話を薪を売りに来た森の男から聞いたからだ、って」


「薪を売りに来た森の男?」




 それまで低姿勢だったジェラルドが、なぜか急に憮然とした表情になる。




「いったいなんだってその男が、きみの背中のアザについて知っていたんだ」


「さあ? でも、知っていてもおかしくはないわ。私、水浴びはいつも川でしていたもの」




 えっ、とジェラルドは固まった。




「川で。それはその、外で、ということか?」


「当たり前じゃないの。グリフィン帝国では、建物の中を流れる川があるの?」


「いや、そんなものはないが」


「でしょ? 泉は飲み水専用で、お洗濯と身体を洗うのは、川でしていたの。夏の暑い日は泳いだりもしてたわ。なるべく人がいないときに川に入っていたけど、絶対に見られていないとは言い切れないわね」


「き、きみは、その場合には、服を脱いでいたんだよな?」


「そうに決まっているじゃない」




 一瞬絶句したジェラルドは、思いつめた目をしてアルヴィンに言う。




「その男を見つけて、縛り首にできないだろうか」




 アルヴィンは、やれやれという顔をした。




「過ぎたことです。あきらめて下さい、ジェラルド様。それよりも、建設的な話をしましょう。ともかく、そういうわけなんです、キャナリーさん。恥ずかしければ、侍女に確認させてもいいですが、お背中を拝見させていただけませんか」


「別に見てもいいわよ。背中だけでしょ?」




 全裸で踊れとでも言われたら絶対に断るが、背中を見せるくらい、なんとも思わない。


 私が立っていって、ついたての裏でドレスを脱ぎ始めると、慌ててアルヴィンが言った。




「わっ、私は退出させていただきます。ジェラルド様、ご確認は任せましたよ」


「う、うん。了解した」




 普通の令嬢だったら、下着のシュミーズだけの姿など、決して人前では見せられない、恥ずかしいものなのに違いない。


 けれど私はラミアの家でも森の中でも、ぺらぺらの木綿の服一枚で過ごしていた。




 だから、これだけしっかりした生地の、丈の長い下着というのは、私としてはもうそれだけで、充分に服を着ている、という感覚になってしまう。




 そのせいで、ドレスを脱いでコルセットをはずしても、別に恥ずかしさはなかった。


 とはいえさすがに正面を向いて、上半身の素肌を異性にさらすほど、無神経ではない。




 ジェラルドに背を向け、大きな襟から腕を抜くようにして、下に布がずり落ちないよう、胸の辺りを手で押さえて言う。




「はい。これで背中が見えるでしょ?」


「……ああ。キャナリーは、自分で自分の背中を見たことはあるか?」


「ないわよ、そんなに首が長くないもの」




 くすくす笑って言うが、背後から聞こえてくる、ジェラルドの声は真剣だ。




「君の背中には、確かにアザがある。肩甲骨に沿って、両側にひとつずつ。百合の花びらのような形をしているものだ」


「へええ、そうなの。でもそれが、どうして子爵家が私を養女にしたい、って話になるの?」


「キャ、キャナリー、もういいから服を着てくれ!」




 なんの気なしに振り向こうとした私を、大声を上げてジェラルドが制止する。




「ん。ああ、そうだったわね、失礼しました」




 きちんとコルセットとドレスを着終えてから、私はジェラルドに向き合った。




「それで、アザがどうしたっていうの?」


「座ってくれ。これから説明する」




 そこで私とジェラルドは、テーブルを挟んで椅子に腰を下ろした。


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