夏休み

 

 よく晴れた夏休みの朝。

 綾人は待ち合わせ場所である公園の日陰に逃げ込むように佇んでいた。セミがみゃんみゃんと泣き喚き、鼓膜に響いてくる勢いだ。


「……おはよ」


 そう言ってまずやって来たのは野崎。赤と薄緑の上品なチェック柄ワンピースに、麦わら帽のようなストローハットを被って腕にはストローバックを提げている。

 綾人はうつむき加減の野崎を見つめていた。


「な、なによ……変?」

「いや、別に。高そうな服だなと思って。何処かの令嬢みたいだな」

「し、仕方ないでしょ! 屋敷で着てたときの服装しか知らないんだから!」


 野崎は近くのベンチに腰掛けた。この暑さの中、十分待ったが元B班の三人はまだ来ない。

 二人は沈黙したままなので逆にセミがみゃんみゃんと喧しいくらいが調度いい。

 先から野崎はハットの影からチラチラと綾人を伺っているのだがこの男、真っ直ぐ一点だけを見つめたまま微動だにしない。流石に銅像みたいで気持ち悪いので野崎は喋りかけた。


「あ、あのさ、必修試験の結果、宮風はどう思った?」


 銅像みたいな綾人はやっと首を動かして野崎を見た。


「どうって?」

「B班の順位とかよ」

「まあ、妥当じゃないのか?」

「本当にそう思ってるの?」

「もちろん小説の内容だけならB班は上位に入れただろうな。でもこれは必修試験だ。謎の告発文の影響で、間違いなくB班にはマイナスのバイアスが掛かっているから、幾らそれを防ぐ為の感想制度を取り入れていたとしても、目に見えない不信感はどうしても拭いきれない」

「拭いきれない……って全部あんたのせいじゃない!」

「お前の原稿デリートも大概だけどな」


 野崎はぐっと押し黙る。


「まあ、何の世界でも同じように実力だけが全てじゃないんだ。会社なんて人事が全てともいうだろ?」

「そうかもしれないけど……なんか納得したくない」


 野崎は足元にある小さな石ころをつま先で軽く蹴った。


「例えば俺が書いた作品がネット上ではすごい褒められた感想ばかりだとするだろう。でもその作品を読んだお前は面白くないと感じた。お前はネット上になんて感想を書く?」

「面白くない、二度と書くなって」

「フッ……ま、お前は極端な奴だけどだな。案外ネット上では自分の思ったことを素直に書けない奴の方が多いんだ。自分は面白くないと思ったけどこれだけ大勢の人が面白いと思っているのなら、やはり自分は何か間違っているんじゃないか、見落としているんじゃないか、そういう心理になる。そうなると自分の意見をはっきり言う奴らの方が、ネット上では強い意思が反映される」

「それでいいじゃない。ホントのことなんだから」

「それと今回似たようなことが起きた。俺たちB班の作品は面白くない、または不正を働く悪者を認めたくないという無意識のバイアスがクラスの連中に掛かった。同様にネット上の多数派に感想が捻じ曲げられるということは、本当にその小説が面白いのか面白くないのか、分からなくなる。感性というのは生き物なんだ。それを利用した商売は出版業界では日常茶飯事だ。今回の告発文は真逆だがな、先に面白そうだったり内容とは違う場所での魅力的情報をネット上に出来るだけ誘導、拡散して埋めこむように先手を仕掛けるだけで、少数派は声を出しにくくなるし、例え声をあげたところで多数派に飲み込まれ、初版の売上は大きく変わる。もちろん作品自体の自力がある程度いるから魅力がなければ長くは続かないがな。でも一時の収入と読者の時間を他社から奪える。この二つを奪えるか奪えないかはかなり重要だ。特に小説みたいな個人の時間を大きく奪う媒体は時をどれだけ奪えるかが鍵になる。だが読んでみなければ分からないのが小説だ。だからバイアスを掛ける。だけどこれも商売。創作とは思考が違う。覚えとくといい」

「そんなの、面白くなかった時に読者の信用を失うだけじゃない」

「それを防ごうとしているのがお前んとこの親玉の思想なんだろ? 完全無欠な小説だけを世の中に流通させる。一ミリのミスも許されない。楽園小説の世界。個人から集団へ。創作は大学小説へと転換するって聞いたが」

「アタシもあれ意味分かんないだよね……なんか物書き側の気持ちなんてもうどうでもいいって言ってるみたいで。客が喜ぶか喜ばないか、プロの世界にはそれしか必要ない…………ってどうして? あの時もそうだったけど、どうしてそこまであんたがそのこと知ってるの?」

「お前たちが俺たちの情報を何故か知っているように、その逆があっても何も不思議ではないだろ?」

「はぁ……ほんと面倒くさいそういうの」


 再度、野崎は短いため息をつく。ふと思いついたように口を開いた。


「あのさ、もしあの時アタシが原稿を消してなかったらどうしてたの?」

「何もしなかった。する理由もないだろ?」

「まぁそうかもしれないけど、あんたの幼馴染二人が退学になる可能性だってあったでしょ」

「そうだな」

「それでいいの?」

「ああ。所詮その程度の実力ならいずれ何処かで退学になるからな。だが何の偶然かお前がB班にいた」

「ほんとアタシって昔からついてない。ドラゴンがクラスに二人もいるなんて」


 野崎は嘘っぽくため息をつく。


「お前は運がいい野崎」

「は? どこがよ」

「片桐ではなく俺に先に見つかったことがな。あいつがお前を特進クラスだと見抜いたら容赦なく潰しにかかる。それにあの性格だ」

「フン、上等よ、どうせあんたよりは格下なんでしょ?」

「ああ。だが片桐はドラゴンの中でも少し特殊なんだ」

「特殊?」野崎は眉をひそめながら綾人を見た。


 相変わらず涼しい顔をした綾人はただ真っ直ぐ一点を見つめて微動だにせず口元だけを動かす。


「無能なんだよ。あいつは」

「無能……? どういう意味?」

「ドラゴンに選ばれる条件は幾つかあって能力―『共感覚』―の覚醒は前提条件なんだが、あいつは共感覚を持ち合わせていない。いや、正確には自分では顕現出来ないと言った方が正しいか。まあ共感覚は本来そういうものだがな」

「は? 嘘でしょ、アタシら特進クラスだって共感覚を皆それぞれ持ってるのよ。あんたみたいな全文復刻させる奴なんて流石にいないけど……。でも無能なんて格下どころかただの雑魚じゃない。瞬殺よ」

「小説家にとって本当に必要なのは、能力じゃない」


 その言葉の意味が分からず、訝しむように野崎は首を捻った。


「小説を書くには様々な能力が必要だが、共感覚はオマケみたいなものだ」

「オマケって……」

「違和感を覚えなかったか? お前が嵐のレンズを奪い原稿を弄ることを学院側が本当に想定しないとでも思うか? わざわざ通路側にだけ監視カメラを設置して部屋ではレンズの認識だけで済ますことの意味が」

「……どういうこと……?」

「今回の必修試験は明らかに班長と副班長にリスクとボーナスが比重しすぎている。色々とルールで縛っているように見せて詰めが甘い部分もある。つまり遊びを残しているんだ」


 野崎は少し考えた後にはっとして、綾人を見てこう言う。


「それって……班員なら誰でも最初から執筆出来たってこと?」

「ああ。つまり班長と副班長の正義感や道徳的な問題を見ているんだ。それに上位に入れば班長と副班長には一人につき20万Nptが貰えるって少々破格すぎると思わないか? もちろん退学処分が付き纏うがそのボーナスをどうやって分配するのもしないのも個人の自由なんだ。但し何故か班全体のボーナスとペナルティーは一律配布と回収なんだ」

「はい? 結局どういうことなの?」

「これをただの必修試験だと思わないことだ。仮説ではあるが未来を想定したシミュレートでもあるということを頭の片隅に入れておけ」

「未来を想定した……」

「話は戻るが、お前がB班になってくれたお陰で、二人を巻き込むように多少の試練を与えつつお前を確実に炙り出そうと考えた。まぁ、今回はお前が実力外の行動に移ったから俺も動いたまでだ」


 淡々とただ事実のように語る綾人を怪訝そうに野崎は窺う。


「あんたは、あの二人について本当はどう思ってるの?」


 それには答えず、綾人は暫く沈黙した。

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