緊急事態


 名人戦は両者共に序盤からギアを上げる展開となった。二人は互いに休むことはせず、水分補給以外はずっと書き続けている。

 三時間が過ぎて観客が徐々に中だるみを見せ始めた頃、特別ゲスト両方姫への質問コーナーが始まったりしていた。

 会場内からランダムで五嶌に当てられた一年らしき女子生徒が初々しく照れながらも「え、えと、えっと……両方先輩みたいな小説家になるにはどうすればいいですか?」と小学生みたいな質問をして一部の嘲笑を買っている頃、トイレから帰ってきた茉希歩と嵐が緊迫した声で綾人を呼びに来た。


「どうした、二人共そんなに慌てて?」

「さっき勝俣君が連絡くれたんだけど、とにかくこれ、読んでみて、綾人君!」


 嵐は眼鏡がずり落ちそうなのを気にすることなく、綾人に自分のスマホの画面を見せた。それはA班の完成した小説が必修試験専用サイトに掲載されていた。


「早いな、A班はもう完成させたのか」

「呑気なこと言ってる場合じゃないよ綾人」

「は?」

「いいから読んでみて」


 綾人はとりあえず冒頭の部分から目を通してみることにした。三十分ほど黙って読んでいると分かったことが幾つかあった。まだ完全に読み切ってはいないが、これは不味いことになってきたということが綾人にも充分なほどに分かってきた。


「似ているな……これは」


 まずジャンルがほぼというか一緒だった。ミステリ仕掛けの学園ものというのはよくあるので、今回嵐は大学受験に悩める高校生の主人公とその家族、友人と元恋人たちに焦点を当てつつ、学園と家族で起きる事件を使って物語を動かしていた。

 A班が書き上げのはそれの女主人公版と言ったところだった。基本的に小説において、男と女のどっちを主人公にするのかというのは、同じ世界観を使ったとしてもかなり見せ方が変わってくるものなのだ。

 ただA班の完成させた小説は事件の起きるタイミングや家族の悩み、友人と元カレの関係性が微細な違いはあれど、構成含めて瓜二つのような作品になっていた。嵐はまだ完成させてはいないが、B班のプロットに書いている結末もA班の結末と類似していた。


「やばいよ……もう試験終了まで一月切ってる……」


 嵐は顔面を蒼白させて頭を抱えている。


「このまま嵐が書ききったとしても、先に完成させたA班の作品を俺たちが真似したと思われるのは明白だな。それに野崎を揶揄するような謎の告発文もクラスの脳裏にもまだきっと残ってる。幾らちゃんと感想を書かないと投票権を失うとはいえ後発が類似作品だったらまずそこを確実に突かれるぞ、嵐」

「けどだからって今から新作を書くなんて無茶過ぎない? 最悪間に合わなくなったら投票権どころか即刻最下位だよ私たち……もしそんなことにでもなったら」


 退学処分。三人の頭の中には残酷な四文字が浮かび上がる。


「とりあえず、B班で今すぐ緊急会議をするしかない、嵐、茉希歩、いいな?」


 二人は盛り上がる会場の歓声とは裏腹に絶望感を含んだ表情で頷いた。


 昼の二時頃。ファミレスでB班のメンバーは集まった。野崎と勝俣も私服でやって来た。


「ごめんね栞菜ちゃん、用事あるって言ってたのに」

「ううん、平気。それより試験の小説やばいんでしょ」

「ああ、俺が名人戦の生放送見てたら両方姫が出てきて今日やばいでしょと思った矢先にクラスの栗谷が知らせてくれてよ。で軽く読んでみたら似てるわ似てるわなんのって」


 勝俣はメロンソーダを一口飲んで、ストロベリーパフェにがっついている。


「嵐、とりあえず今書いている小説はどの程度の完成度だったんだ?」

「実はもう八割以上は書けてたんだ。多分十万字近くまでいってたと思う。後は今書いてる最後の章とエピローグだけだったんだよ。来週の水曜と土曜日に完成させて、推敲を挟んだ後にそこから皆には徹底的に修正をお願いしようと思ってたから……」

「十万文字……」


 勝俣は騒然としてパフェを食べるのを止めた。そう、物書きにとっては十万文字というのは何も特別な数字ではないが、決して楽観視するほどの小さな数字でもない。十万近くの文字があれば何が出来て何が出来なくて、どれほどの労力と計算、それを繋ぎ止める集中力と時間が必要なのかは痛いほどに分かるからだ。

 その組み上げた文字の羅列が締め切り一月もない状態で、一気に剥がれ落ちていくかもしれないというのは、ただ恐怖だ。そして何とも言えない絶望感と無気力が脳みそを支配する。嵐は今その気力と体力を根こそぎ持っていかれてそうになっている。

 その先にある未来は早々にこの学院を去ること。つまり学院にとって、貴方は相応の実力を持ち合わせていないことを突きつけられたも同然なのである。


「どうするの……雷電? 完全に一から書き直すの、それともA班の類似する部分をある程度修正していくやり方もあるにはあるけど……」


 野崎は恐る恐る聞いたが、嵐は何も答えず、ずっと下を向いていた。野崎が言った前者は言葉の通りで完全にゼロからの新作となる。つまり四月の頃の振り出しに戻るのだ。だが後者の修正というのは非常に厄介で、一つ何かを変える、それが発言だったり、設定だったり、構成だったりと色々な所を少しでも変えると物語は、途端に辻褄が合わなくなっていくものなのだ。更に今回の修正となれば相当変更を加えなくてはいけない。

 確かに今回の創作は五人もいるので、プロット修正は一人でやるより相当心強いのは間違いない。後は嵐か茉希歩の執筆が期限ないに間に合うのか。

 そして何よりも五人の頭の中にあるのは、物語にとって出来るだけの最適解を書いていたはずなのに、それをA班の類似部分に合わせて修正した小説が果たして本当に面白いと言えるのか、ということだった。


「あーちゃん……」

「嵐、しっかりしろ」


 綾人は嵐の肩を掴んだ。


「……綾人君……どうしよ……どうすれば……」

「B班の班長はお前なんだ。確かに、嵐を班長に選んだのは俺たちかもしれないが、最終的に班長になることを選んだのもお前だ。だから俺たちは班長の判断を信じるし、全力でサポートするしかない。だから選べ。後悔しない方を、自分で」


 嵐は目を瞑って一度、深呼吸をした。


「みんな……」


 嵐は真剣な眼差しでみんなを見てから、頭を下げた。


「書き直すよ、一から全部。もう、やるしかない……でも、僕ひとりだけじゃ絶対に間に合わないから……どうか皆の力を貸して欲しい……勝ちたいんだ……このB班で」


 頭を下げる嵐をみんなが見つめている。その中でも勝俣は嬉しそうに笑って、嵐の肩に腕をおいた。


「へっ、正直最初は雷電みたいなのが班長なんてどうかと思ったけど、見直したぜ雷電! 俺に出来ることなんてあんまり無いかも知れねぇけど、読む係とか雑用でも何でも言ってくれ」

「あ、ありがとう……勝俣君」

「あーちゃん……なんか立派に成長したね……」


 茉希歩は涙ぐみながらよちよちと前の席から手を伸ばして嵐の頭を撫でている。野崎は茉希歩の頭をチョップする。


「茉希歩は雷電のお婆ちゃんか。まぁ班長がやるって決めたならアタシも協力するしかないけどね」

「じゃあ今からやるんだな、嵐」


 嵐は眼鏡の奥に潜む闘志に燃えた瞳を綾人に向けてから頷いた。

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