第四章「名人戦」

名人戦決勝


 昼頃から強まり出した雨は、プレハブ塔の屋根を強く打っていた。

 外に造られた二階行きの階段にまで横雨が降り注いできて、滑らないように綾人は慎重に登っていく。

 五月だった月日はあっという間に流れ、現在は六月初週の水曜日に入っている。

 試験期間終了日まで一月を切っていた。


「ありがと。じゃあ本戦は必ず見に行くね。沢山応援するから」

「はい、では失礼します」


 二階から降りてくる村咲四季子は、流し目で綾人を一瞬捉えたものの、すぐ横を通り過ぎて行く。


「あ、来てたんだ綾人。ちょうど話たいことがあったんだよ」

「ああ、それよりさっきの」

「うん? 四季子ちゃんのこと?」

「確かこの前の対戦相手だろ?」

「そうだよ。私たちあれから仲良くなったんだぁ。それに四季子ちゃん三組だからプレハブ塔使える日おんなじなの」


 綾人は首を傾げていた。


「昨日の敵は今日の友だよ。雨すごいから早く中入ろ」


 部屋に入ると嵐はチェアに座りながら呆然と遠くを見つめていた。

 二人が入ってきたのを見ると、死んだ魚のような目で不気味に笑った。


「やあ、二人とも……へへ」

「あーちゃん!?」

「大丈夫か嵐」

「へへ……平気だよ、僕、平気……へっ」


 綾人は差し入れで持ってきていたスポーツ飲料を嵐に無理やり飲ませた。嵐はレンズを外して眼鏡をかけた頃には、何とか正気に戻っていた。


「へぇ、村咲さんが僕たちの分まで」

「うん。三人分しかチケット用意できなくてすいませんってさっき謝られたんだけど、本来なら私がポイント払わなくちゃいけないのに、いいですからって断られちゃって」

「ありがたいけど、でも野崎や勝俣はいいのか?」

「栞菜ちゃんはその日用事あるから元々無理だって言ってたけど、勝俣君は知らない」


 茉希歩はニコニコと言う。


「おい、あいつまた泣くぞ」

「だろうね……なんか僕もう想像出来たよ今」

「で、行くよね、二人共?」


 綾人と嵐は目を合わせてどうすると無言の話し合いをする。


「え〜行こうよ三人で。せっかくチケットくれたんだしさ〜。あーちゃんも少し生き抜きしなきゃ。もしバレたら勝俣君には今度私が食堂でご飯奢るから」

「まあそれなら」

「うん、勉強にもなりそうだしね……」

「やったあ! 終わったらショッピングしてゲームセンター行って晩ご飯も食べて帰るからね」

「茉希歩ちゃん豪遊するのは良くないよ」

「豪遊じゃないよ、ちゃんと一万Nptまでって決めてるから」

「一万も……駄目だよ」

「じゃあこうするのはどうだ。だいたい一人の予算は四千Nptまでって決めて、試合後はそんなに時間がないかも知れないから晩ご飯に行ってから、それでも余裕があればゲームセンターに行く。でショッピングは試験が終わってから行くのはどうだ?」

「うーん……まあ上位に入れば試験と授業の単位ボーナスも貰えるからそれでもいいけど」


 茉希歩は少し不満気に頬を膨らませていた。


 その週の日曜日。三人は本戦を見に中央ホールに足を運んでいた。あいにくこの日も雨が降ったり止んだりの日であった。


「あ〜なんか私まで緊張してきたかも……」


 茉希歩は会場内に入ってから青ざめた顔をしている。会場内は観客で騒々しく熱気に満ち溢れていた。しばらくしてから会場が暗闇に包まれて、一つの場所にスポットライトが当てられた。


「お、お待たせしました。し、紳士淑女のみにゃさま。本日は悪天候のにゃかお集まり頂きありがとうごじゃまいす」


 光に当てられた男のバーコード頭は、快晴の午後のように気持ち良く光っている。痩せ型に眼鏡。灰色のスーツがよく似合い、極度のあがり症を駆使した匠な噛み癖で、千集院のお祭りごとから正式行事には必ずこの男がいる。

 司会進行役だけで名物教師まで成り上がってみせたそのくせ者の名は、五嶌馨。

 普段は創造・発想方基礎の冴えない教員独身人生を歩んでいる。


「私が司会進行役を務めしゃせて頂きまみゅ、ご、五嶌馨でありましゅ……しゃあ先月の白熱した文豪戦はつい最近のことではありましゅが、今月は名人戦を決める三番勝負。そしてなんと今回の挑戦者はまだ入学してまもない一年生。ひょお〜これは大変波乱の予感でごじゃいますね」


 やはり五嶌馨の司会力は凄まじいのか、先まで青ざめていた茉希歩の顔にも健康的な人肌色が戻っていた。今では「なにあの人、入学式のときもいなかった?」などと言ってゲラゲラと笑っている。

 やはり底知れない実力を持っている大物司会者であることは間違いないだろう。この男が司会進行役で引っ張りだこになるのも大変頷ける。


「ではまず審査員の方たちに登場していきましょう〜」


 スポットライトが五嶌馨から七人の人物を映し出す。会場内の観客は歓声をあげて迎える。

 先頭を歩くのは金髪オールバックに派手な赤スーツを着た学院長の碇恭也。

 後ろに続くのは現七豪階級者たち。

 最後に文豪の千集院蓮が登場し、手を軽く会場に振った時には、より一層黄色い歓声が増えた。

 中央に映し出された巨大モニターには審査員【学院長】【文豪】【王道】【探偵】【恋史】【博藝】【詩神】とそれぞれ宣材写真のように撮影された七人が切り抜かれている。


「しょれでは、どんどん行きたいと思います。さっそく挑戦者にもご登場していただきましょ〜挑戦者村咲四季子選手〜どうじょ〜!」


 スポットライトが当てられて登場してきた村咲四季子は、いつもの制服姿ではなく霞色の着物を着ていた。淡い赤紫の色は足元にかけて白のグラデーションになっている。柄には紫陽花が取り入れられていた。薄い化粧を施していて普段より一層大人びていた。


「四季子ちゃん綺麗」

 茉希歩を含め、会場内はその優雅な美しさに目をうっとりとさせながらも拍手に包まれている。村咲は金屏風が立てられた畳の中央壇上に上がる。座布団の上で正座をした。


「さあ続いてはお待ちかね、我らが名人に登場していただきましょう! 名人は初の防衛戦になります、しょれではどうじょ〜!」


 村咲とは逆の方から現れた男は白い着物姿をしていた。村咲に比べると見た目は生真面目さが残る地味な方だ。だが目に映る闘志、その気迫は会場内に伝わってくる。


「一年時に突如として彗星のように現れたこの男は、当時の三年生名人と対戦し三日とまたず二日で完封勝利し、一気に学院内の文壇で地位を築き上げた! 千集院蓮と共に驚異の世代の一人と数えられるこの男の名は〜名人・有瀬〜修司〜!」


 五嶌馨のテンションに合わせて、会場のボルテージが一段と上昇していく。有瀬は壇上に上がり、袖から扇子を取り出し仰ぐ。広げられた扇子には名人と筆文字で書かれている。

 両者のセコンドにはパートナーがそれぞれつき、何やら互いに耳元で声をかけあっている。


「しょれではいつもならさっそくルール説明に参りたいと思うのでしゅが、ここでなんと! なんとっ!」


「お〜?」と野太い声が重なる。


「実はなんと、本日、スペシャルゲストにお越し頂きました! 近年ではあの直木賞を受賞し、更に幾つものベストセラーを叩き出す売上モンスター。更にもう一人の偉大なる七期卒業生、空緒飛華を弟子に持つ今最も忙しい時の人。この場にいる運の良い皆しゃん、もうお分かりでしゅね?」


 会場がじわじわとざわつきはじめる。


「我が学院創設以来、永世称号を持つ者は数えるほどしかいましぇん。そして未だ彼女一人しか存在しえない永世を持つスーパースタア! まさに我が学院のレジェンド!」


 会場内は最高のボルテージに包まれ、感極まって泣いている観客も大勢いる。


「嘘、きっと草むしりの人の師匠だ……」と茉希歩は信じられないと口元を覆っている。

「甦れ! 第六期卒業生!」


 スポットライトが当たる。桜の花弁が艶やかに彩られた臙脂色の袴を着た女が現れた。

 黒髪を三つ編みに結い、二本のお下げを胸元辺りでぶら下げていた。四角縁眼鏡がスポットライトの光を強く反射させていた。


「永世〜文豪〜っ! 両方〜姫〜!」


 会場に手を挙げながら両方は登場した。


「凄いよ、二人共……本物の、両方姫だ……凄いよっ!」


 流石の嵐も興奮状態を全身で現すように立ち上がっていた。


『姫〜』と大勢の声が重なる。


「チャオ〜みんなあ〜」と両方は会場に向かって子供のような元気いっぱいの笑顔で手を振っている。


 中央モニターには、実物より少し幼い彼女の学院時代のタイトル戦出場時などの名場映像や戦績などが、かっこよく編集されて流れていた。


「試合より盛り上がってるけど大丈夫か……」


 綾人は二人に話しかけたつもりだったが、会場内が異常に騒がしいのと二人共立ち上がって、少しでも両方姫を目に焼き付けようと必死に声をかけているので無視されていた。

 両方姫は五嶌馨がいる解説席に座る。流石に会場内が静まる気配を見受けなかったので、五嶌は司会を進めるように学院長に言われた。


「えぇ、みにゃさま大変盛り上がってましゅが、さっそく名人戦のルール説明をしたいと思いましゅ。聞いてくだしゃいね。制限時間は12時間。三日間の三番勝負。それぞれ毎日お題が七つ出されるので必ずそれに合わせて、一つの文学小説を完成させること。審査基準項目は『ストーリー(今回は名人戦などで文学性)』『文章力』『構成力』『登場人物』『独創性』『即興性』『完成度』となります。では審査員、お題の方、カモン!」


『夕方』『きゅうり』『夏』『こたつ』『ペットボトル』『月』『国語辞典』とお題が発表される。

 有瀬と村咲は互いにパートナーと言葉を幾つか交わしたのち、戦いの火蓋は五嶌の掛け声と共に切られた。

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