第五章「選択の刹那」

ドラゴン


「何をしている?」綾人は野崎に言った。


 驚き果てた野崎は何も言えずにただ呆然としている。

 綾人は黙って野崎に近づいたが、その横を通り過ぎ眠っている嵐の前に立つ。瞼を無理やりこじ開けて無機質な眼で確認したあと、真っ白になっている原稿を見た。

 更に机の上に置いてあったスポーツ飲料のペットボトルを見つめて「睡眠薬か」と呟いた。

 もう一度白紙の原稿を見てから、部屋の隅の畳まれたパイプ椅子をPC前に運びはじめた。野崎は目の前に綾人が立ち塞がったのでそろそろと端によろける。


「野崎、嵐のノベルレンズを貸してくれ」


 綾人はパイプ椅子に座り、自分のノベルレンズを瞳から外して専用ケースにしまいながら言う。


「あ、あんた……アタシが何やったか」

「いいから黙って貸せよ。それとも、通報されたいか」


 向けられた虚無の瞳に怯えた野崎は、人差し指で瞳からレンズをとり、慎重に綾人に渡した。野崎の指は微かに震えている。


「嵐はどれくらい起きない?」


 綾人は直接、レンズを装着し、何度か瞬きを繰り返した。

 目薬を胸ポケットから取り出して両目にさす。

 ノベルレンズは元々、医療用目的で造られているので、嵐のものであっても、装着者である綾人の視力にピントが自動調整されるようになっている。


「……個人差はあるけど多分、三、四時間は起きないかも」

「そうか」


 綾人はモニターに表示された午後17時26分の数字を見つめたあと、キーボードをゆっくりと打ち出しはじめた。

 野崎は綾人の意味不明な行動に理解できず、動揺が隠せない。


「なにしてるの!? 無駄よ、諦めなさいよ! 原稿は全部消えたのよ? もうB班は最下位確定なの! 二人は退学処分なのよ!?」

「まぁ……そこに座れよ、野崎」


 抑揚のない綾人の声に怯えて、野崎は何も出来ず立ったままでいた。


「ちょっとの間、俺の話を聞いてくれないか?」


 野崎は沈黙したまま器用にキーボードを打ち続ける綾人の姿を見つめている。


「実は俺さ、お前達が探しているドラゴンなんだよ。ついでに言うと同じクラスの片桐もドラゴンなんだよ」

「は……? は?」


 突然の告白に沈黙を守っていた野崎の声が漏れる。


「四月に謎の告発文あっただろ? あれも最初から俺と片桐が全部グルなんだよ」

「は? ちょっと待って」

「一度班長決めるためにB班みんなの小説を読む機会があっただろ。俺、その時にお前の手抜き文章読んですぐに気づいてたんだよ。だからまず先にお前を警戒した。特進クラス出身の野崎栞菜」

「は? 読んだだけ? 嘘でしょ……?」


 野崎は一度唾を深く飲み込んだ。


「じゃ、じゃああんたはあの時どうしてアタシを班長に推薦しなかったの? それにあの二人は昔からの馴染みなんでしょ?」

「遠い、遠い、まだ何も知らない、遥か昔のな……。だから是非ともお前たちに退学してもらおうと思った。別にそれはお前が先でもあいつらが先でもどっちでも良かったんだ。どのみち千集院に関わる者は遅かれ早かれいずれ全員潰す予定だったからな」

「ほんとに、あんたがドラゴンなの……? アタシはあの時、宮風、あなたを推した。二人以外なら本当は勝俣でもどっちでも良かったけどあんた推すのが自然だった。千集院と関わりのある二人はなるべく命令で守らなくちゃいけなかったから……でも正直、アタシにとっては二人もあんたたちもどうでもよかった」

「知ってたよ。だからお前は二人が班長と副班長になることにも強く反対しなかった。だが名人戦で村咲四季子に対抗しようとしたお前が、迷いの狭間に押しつぶされそうになっていることにもな。世界を歪んだ目で見ている癖に甘えが見える嘘くさい文章が全てを物語っていた。でもそんなことより俺はな、嵐と茉希歩や勝俣の小説を読んだ時に驚いたんだよ」

「……どうして?」

「心の底から楽しそうな文章を書いていることに。終始文章が不安定で危なっかしくて子供みたいに踊ってるんだよ……吐き気がするだろ?」


 野崎は原稿を書き続ける綾人の口元が歪んだ笑みを浮かべていることに気づいた。


「同じ人間なのに、俺やお前にないモノをあいつらは当たり前に持っていて、だから告発文でB班を動揺させて、片桐にわざと同じような小説を書かせて潰してやろうと思った」


 野崎は全身の力が抜けていきそうになって壁に背を預ける。


「おかしいと思わなかったか? 告発文にしてもわざわざN・Kなんてイニシャルまで出して、明らかにお前を集中的に動揺させようとしている事がまる分かりだ。どうして考えなかった。なぜ自分が疑われるような告発文がクラスに発行されたのか。ただのいたずらだと思ったのか? 馴れない情にでも絆されたのか? そんなことをするのはお前の過去を知る何者か、または第三者くらいだろう。この学院は隔離された島でさらに限定的な人しか存在しない。お前の過去を知りかつ、恨みを買っている人物なんているのか? 仮にいたとしてもその人物と出会う確率は異常に低い。じゃあ次に疑うのは第三者の存在だ。そしてわざわざご丁寧に自分のアリバイが無い日付や時間まで知っている人物となると相当容疑者は絞られる。しかしお前はクラスの誰ともつるまない。だが唯一、お前の生活を意識する存在となれば……B班の誰かだろ? それにA班の小説にしてもそうだ。たかが女主人公になったくらいで殆ど瓜二つの作品が八つしかない小説にたまたま、偶然、二つも揃うなんてあり得ると思うか? まああり得ないことはないがまず俺ならA班と自班の誰かを怪しむ」


 顔を真っ赤にさせた野崎は甲高い声で叫んだ。


「あ、あんたこそなに小説なんて呑気に書いてんのよっ!」

「落ち着けよ……なあ、俺たちここ三ヶ月くらい、結構楽しくなかったか?」


 腑抜けたように笑ってしまう野崎。


「は? なに言ってんのあんた……この三ヶ月が、楽しかった? 笑わせないでよ」

「野崎、お前もこれから茉希歩と仲良くしていきたいだろ?」

「……アタシは別に、そんな……」

「まぁ聞いてくれよ。色々と考えたんだけどよ、俺はお前たち特進クラスも臥龍書院も皆で卒業すればいいと思ってるんだよ」

「マジであんた先からなに言ってんの? 正気? あんた達はアタシ達を潰すし、アタシたちはあんた達を潰す未来しかないのよ!」

「聞けよ、俺たちは特進クラスを潰さなければ鳳凰社とは縁切りだ。お前たちは俺たちを潰さなければ、千集院から縁切りだ。きっと卒業してもエージェント契約すらされない。出版さえさせて貰えないだろうな。人生の大半を小説に預けた結果、小説を書く能力しかないのに小説家になれない。仮に弱小出版社で何とか出せたとしても大手含め鳳凰社と千集院が人海戦術で畳み掛けるように潰しにかかるだろう。だからみんなで卒業して全部、自分たちで一から作ればいい。本も本屋も出版社も全部。貯めたノベルポイントは卒業時には現金にもなる。まあそうと決めたからには、お前んとこのお坊ちゃま文豪もいずれ文壇から引きずり下ろさなくちゃいけない。それにこのクソみたいな代理戦争で勝って喜ぶのは少なくとも、馬鹿なクライアントたちだけだろ?」


 速くもなくただ終止一定速度のまま、正確にキーボードを叩き続ける綾人の姿に、野崎はただ呆然としている。


「……は? あんた頭おかしいって……脳みそイカレてんの?」

「そのノウハウを学ぶ為の三年間や仲間が全部ここにあるんじゃないのか? そうだな、お前んとこの文豪流に言うならば……それこそ小説ドリームってやつか?」


 皮肉げに口角をあげる綾人を見た野崎の脳内は混乱している。


 ――先から一体この男は誰なんだ?

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