何者


「そんなの……そんなの絶対無理に決まってる。それにそれはドラゴンの総意なの?」

「いいや、俺が今勝手に言っただけだ」

「は? なら余計に信用なんて出来ない。そうやってホラ吹いたあんた達がアタシ達の足をすくって蹴落とす未来しか見えない。どうせあんたみたいな陰の薄すそうな部下のいうことなんて、ドラゴンのリーダーも納得しないに決まってるわよ」

「……まぁそうなる可能性も完全に無いとは言えないだろうな。だがそれでも同意する奴もいるかもしれないし、なるべく穏便にいきたいがもちろん刃向かってくる奴もいるだろう。でもそうなったらなったで刃向かってくるなら容赦なく消えてもらう。たとえそれがかつての味方であってもな」

「あんた先からすごい大口ばっかり叩いてるけど、まずあんたの大事なお友達が消えちゃうんじゃない?」

「そうだな、このままじゃどうしても時間が足りない。主にお前のせいでな」

「フッ、あんたにとっては全部好都合の癖に。もう無理なのよ! 六万文字以上の小説を復刻させる時間なんてないし不可能なの。フッ、じゃあ新作でも書く? もう原稿は全部消えた! 雷電にはもう書けない……ていうかあんたもいつまでそんな無駄な小説書いてんのよっ!」


 何か良くないことが起ころうとしているのではないか、せっかくの復讐のチャンスに突然この男が現れたことに焦りを感じていた野崎は、無意識のうちに声を荒げていた。


「どうだ、気が済んだか野崎? 勝俣走らせて自分で作った世界観と茉希歩が作り上げたキャラクターを長々と嵐に書かせて、最後に自分で全部ぶち壊して。さぁ歪んだ復讐の幕開けだ、と言いたい所だが残念なことに俺の気が変わったんだ。だからこのままにはしておけない」

「あんた……先から何言って」

「まあ、そこで見てろよ。俺たちが独立してプロの世界でやっていけるか、まずは俺を見てから決めろよ。皆で卒業する未来もあるのか。全部、自分で、お前が決めろよ」


 そう言って綾人は一度キーボードを打つのを止めた。

 現在の原稿は2千文字弱程度しか埋まっていない。

 綾人は呼吸を整えてゆっくりと目を瞑った。

 鼻から酸素を吸う。息を細く吐いて、全身が緩やかに虚脱していくのを感じる。

 瞳を開く。レンズのピントがじわじわと視野狭窄のように外側から滲んでゆく。暗黒は視界の中央にまで吸い込まれ、細い中心の点にまで狭まってゆく。

 そして収束、暗転。物語を、一から再生。

 駆け巡る物語は走馬燈のように流れていき、終盤で止まっていた。

 再度、瞳を閉じる。開く。視界は良好。緩やかに打鍵を開始する。


「だから今からあんたが書いたって無駄よ! はやくやめなさ」苛立った野崎が綾人の腕を握ろうとした直前。


 音が変わる。

 先程まで基本に忠実でまるで講座で習うような正確な運指から、今、綾人は全く異なったリズムの運指をはじめる。

 野崎はタイピング音が瞬間的に変化したのを聞き、その眼を疑った。


 ――『刹那』――10=4374.874813122174962187026244×2=52488×0.??=65610.


 野崎が見たこともない猛烈な勢いで、活字の羅列が原稿用紙を埋めていく。


「せつ……な」


 野崎が知る『刹那』と呼ばれるのは修練の賜物である。

 特進クラスでは一般的に5分間1700文字以上のタイピングスピードでキーボードを打鍵出来る者を指す。現に野崎は5分間で1789文字以上は打てるが、それも完全に『没我』に入っている状態なのであまり自分ではよく分からないのが実情だ。

 綾人のタイピングは既に追うことを諦めた。必死で原稿にのみ食らいつく。

 三十分以上が経った頃には既に原稿は一万五千字を超えている。野崎は信じられないという感じで、ただ口元辺りを無意識に触っていた。

 その理由は多岐にわたるが、何よりも宮風綾人は現在、雷電嵐が書いた文章を完全に――復刻させようとしていたのだ。

 ――『文感』――並外れた文章感覚を保有する者。野崎はかつて、千集院蓮にその能力を嫌というほど見せられたことがある。一般的に推敲なしの段階でも誤字脱字が異常に少なく、てにをはなどの乱れが殆どない者をさす。

 だが『文感』は小説家の能力の中でも必要優先度は低いとも言われている。なぜなら小説は完成するまでに何度も修正出来るからだ。役に立つと言っても、精々修正の手間が減るということくらいで、長く続けるなら意外と修正作業の長さは馬鹿にならないが、そこまで酷くない限り致命的なものにはならない。

 学院ならタイトル戦で活躍することも出来るが、プロの世界にタイトル戦はない。

 だが綾人のこれは並外れたどころの話ではない。蓮から聞いた話によると『文感』にも最上位の『文感』を持つ者が、かつてこの学院に在籍していたことがあると耳にしたことがある。

 野崎はその者の名を必死に脳内から引っ張り出そうとした。

 その者は、あの両方姫が持つ強力な『色彩』よりも遥かに強い瞳を持ち、更に多くの共感覚を備えていたと聞く。

 たしか蓮はいつもよくこう言っていた。

 彼女は小説の神様が生んだ天然の宝石だと。

 そう、確かその者の名は。


「……七期の騰波ノ。革命の世代……騰波ノとばのめい……『絶対文感』……共感覚の怪物……」


 とほとんど無意識に呟いていた。

 全身から異常なほどの鳥肌が立つ。背筋が凍る。絶対に抗えない壁が、急に野崎の前に立ちはだかった。先程までは自分の前には自称ドラゴンと名乗る生徒がいるだけだった。

 一年六組の宮風綾人。少なくとも三ヶ月間ほどの期間を過ごして来たなかで、彼はドラゴンの片鱗すら見せなかった。

 もっと言うと、野崎にとって宮風綾人という生徒は、幼馴染三人組の中でも一番陰も薄めで、ただ少し小説が書けるだけの比較的大人しい仲良しこよしの男子生徒の一人に過ぎないはずだった……。

 一時間半が過ぎた頃には文字数カウンターは既に四万文字を超えている。その間に綾人が手を止めたりする瞬間を一秒たりとも見せていない。ただ同じ姿勢で、文字を刻み続けている。

 ふと冷静になった野崎は綾人の能力について考えていた。

 野崎が知る限り『文感』というのは本来、己が書く文章にのみ適用するのだと無意識に思っていた。だが現在、綾人が書いている文章は完全に嵐の模倣に近いものになっている。

 そもそも即興でここまでの文字数を維持する刹那と、内容全ての模倣なんて可能なのか? 


 なら一体この能力は何なのだ? 

 知らない、小説の英才教育を受けた自分が……知らない?


 先からこの男は一体……何をしているのだ?

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