名人戦予選・準決勝


 五月の大型連休初日。綾人と嵐は朝からプレハブ塔に籠もっていた。

 嵐はヘッドホンをして、PCと睨み合いながらキーボードを叩いている。綾人は嵐がノートに書いたプロットの流れを再度確認していた。


「わりぃわりぃ、ちょい寝坊しちまった」


 Bと書かれた扉が開き、勝俣が入ってくる。


「構わない」

「雷電は順調か」

「ああ、この通りだ」

「そっか、おい、それより宮風。中継は見てるか?」

「ああ。レンズからな」


 二人はレンズを使い、生配信動画を流している。そこには畳が敷かれた和室、書の間と呼ばれる部屋で茉希歩と対戦相手の村咲(むらさき)四季子(しきこ)が向かいあっている。だが互いに相手を見ることはなく、自分の目の前にある画面と向き合い嵐と同じようにキーボードを叩き続けている。

 ワイプを拡大すれば、それぞれ白紙の文章に黒い文字が埋まっていく様子が見えるようになっている。


【名人戦予選準決勝・早川茉希歩 対 村咲四季子】


 制限時間十二時間の一番勝負。お題は純文学であれば何でもよく、文字数制限もないが、とにかく制限時間内に完成させることが条件だ。その後審査員の判定の結果、勝者は決勝に進出出来る。


「あ、来てたんだ勝俣君」

「よお雷電、順調そうだな」

「うん、今四万文字を超えた辺りかな」

「いまから中盤辺りか。あそこはプロット読んだ感じでは、一番表現するのが難しそうだったけどその顔を見れば安心したぜ」

「どうだろ、まだ上手くいってる感じもあまりしなけどとりあえずは書ききってみるよ。それより茉希歩ちゃんはどう?」

「今のところ筆は止まってないな。ざっと6千文字ぐらいか」

「もう6千文字? いい感じだね」


 そう言って嵐はスマホから中継を流す。茉希歩は何度か水を飲むシーンがあったが、それ以外はキーボードを打ち続けている。対する村咲は3千文字前後で何度も書き直したりして苦戦しているように見えた。


「早川さん、本当に勝っちゃうんじゃね?」

「勝てるよ茉希歩ちゃんなら。あ、そうだ、実は今日同時に春の文豪戦七番勝負の初日が中央ホールで開催してるんだって」


 そう言って、嵐は中継先を変える。途端に大歓声がスマホから鳴り響いていた。画面では豪華な舞台場で千集院蓮と挑戦者がキーボードを叩きつけあっている。特に蓮のタイピングスピードが目視では追えないほど速かった。びっしりと埋まった会場内は、何度も同じタイミングで「おお」とか「ああ」とか一喜一憂の声をあげている。


「すげぇなあ、文豪とやらは流石に」

「僕も試合が終わったらちゃんと読もうと思ってるんだけど、蓮さんの作品って、過去の奴も幾つか読んだんだけど毎回変則的なお題が出ても自分の世界観と混ぜてくれるから、ついこっちも楽しみで仕方ないんだよね」

「なるほど、所謂地続きの世界線ってやつなのか」

「まあそんな感じかな。それをあの即興でやってのけるから蓮さんのファンは学院内でも多いしね。あれこそカリスマ文豪だよ」

「おいおい、お前らがよそばっかり見てるから早川さんの様子がおかしくなってるぞ」

「え」


 勝俣に言われ、嵐は中継先を名人戦に戻すと、茉希歩の筆は止まっていた。


「長考してるだけじゃないのかな……」


 嵐は心配そうに言う。


「まあそうだといいんだがな」


 そうして二時間が経っても、茉希歩の筆は一文字も進まなくなった。

 三人は心配そうに嵐のスマホを見つめている。


「俺たちがアドバイスしに行くってのは禁止なんだよな?」

「それは流石に駄目だと思うけど……」

「頑張れー早川さん!」


 勝俣は何度も繰り返し応援するが、茉希歩は横に備えられたモニターから見える村咲の文章を見続けている。その美しき詩的な文章に対して茉希歩の顔は絶望の色を示していた。

 制限時間は刻一刻と減っていく。


「茉希歩ちゃん、敵の文章なんか読んでちゃ駄目だよ。書かなきゃ!」


 嵐が声を強めて言ったその瞬間、村咲の様子に少し変化が見えはじめた。


「おい、なんかあのクール美人少し様子が変じゃねぇか?」

「ああ、いよいよ本腰入れてきてるのかもな」


 村咲はゆっくりと肩で揺れていくにつれて、タイピングのスピードが以前とは比べ物にならない速さに変わっていく。


「なんかやばくないか?」

「ああ、運指の法則が変わった」

「え、そんなの分かるの綾人君?」

「レンズでキーボード辺りをずっと拡大して見てたからな」


 嵐もスマホの方で拡大表示してみる。


「僕は拡大してもタイピングを追うことすら出来ないよ……」

「嵐は目が悪いからな」


 その時だった。茉希歩が後ろを向き、一度頷いて画面から退出する。


「おい! 早川さんが!」


 だがすぐ代わりに出てきたのは野崎だった。


「なんで野崎が?」

「たぶんパートナーの代筆システムだよ。タイトル戦に出場する生徒はパートナーを一人だけ同行出来るらしいんだ。本来パートナーシステムは、退学者が在校生をマネジメントしたりサポートする為の救済システムなんだけど、パートナー契約を結んでいない生徒は同じ階級かそれ以下の在校生となら誰とでもパートナー契約を結べるんだよ、もちろん互いの任意によってだけど、ってゼミの先輩が言ってた」


 嵐が言ったことに一つ補足すると在校生同士のパートナー契約はタイトル戦の一時的な契約となる。


「おい、けど当の野崎がなんかやばそうだぜ?」


 ちょうど嵐の解説が終わった頃、三人は驚くべき光景を目撃していた。野崎は席に座り、数分間キーボードに手を添えて何もしなかった。

 だがそれから少しして「いや」と綾人が言った瞬間、打鍵がはじまる。書きかけの文章が凄まじい速度で埋まっていく。


「速い……」

「おいおいあいつこんな特技隠し持ってたのかよ! というかあいつ文学書けるのか? この前読んだときは随分と生温い恋愛物だったぞ?」

「ああ、だが今はちゃんと茉希歩が書いていた物語の続きを書いている」


 すると今度は村咲の手がピタリと止まった。そして敵側のモニターを見ている。高速で埋まっていく原稿に映る柔らかい文体は茉希歩に寄せているのか、そこまでの違和感もない。

 多少の誤字脱字はあるが、完成させてからでも修正可能の範囲内だ。

 村咲はじっと正面を見て、何かを呟いている。


「いま相手の人、野崎さんに何か言わなかった?」

「小さすぎて聞こえなかったな」と綾人が言ったことに嘘偽りはない。


 だが綾人はしっかりと彼女の口元の動きを読みとっていた。

 ナニヲシテイルノ。

 そう言っていた。だが野崎にはてんで聞こえていないのか、夢中で執筆を続けている。

 一時間が経過し、代筆システムの制限時間を超えた野崎は画面から消えた。戻ってきた茉希歩の顔色はよくなっていた。そのまま調子を取り戻せた茉希歩は、制限時間内に短編を書き上げた。

 午前八時から始まった試合は、午後八時に終了した。

 尋常ではない集中力と体力を使った茉希歩は机に突っ伏している。対する村咲は涼しそうな顔で茉希歩の小説を読んでいた。

 一時間後、結果が発表された。


【名人戦予選準決勝・勝者 村咲四季子】


 一日プレハブ塔にいた三人は、茉希歩と野崎の元に向かっていた。ひっそりと月が照らす夜の校舎には、静謐な雰囲気で包まれている。


「あ、いた。おー」

「待て、嵐、勝俣」


 三人は校舎の影に隠れて中庭の様子を見た。中庭のベンチには茉希歩と野崎が二人で座っていた。茉希歩は野崎の肩に寄りかかっていて顔が見えない。野崎は茉希歩の頭を優しく何度も撫でていた。


「……今日は僕たちも帰ろっか……後で僕の方からメールしておくよ」

「ああ、今度俺たちでパッとお疲れ会でもしてやろうぜ」

「そうだな」


 二週間後の決勝戦でも村咲四季子は、三年一組の菅野晴之に勝利した。

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