虚無の彼方に
至る所に散乱する鉛筆、ボールペン、万年筆。
積み上がる原稿用紙の山。
畳や襖には、まるで血痕のようにインクが飛び散っている。
転げ回り、奇声を発し、発狂する子供たち。
ブツブツと部屋の隅で呟き続ける子供たち。
紙を顔面に押し付けられ、泡を吹き失神する子供たち。
「書け! 書け! 読め! 読め!」と大人たちの怒号が日夜飛び交う。
そんな狂気漂う空間で淡々と文字を書き続ける子供たち。
朝起きて、食事を取るのに1万文字書かされた。
昼過ぎて、食事を取るのに5万文字書かされた。
夜になり、食事を取るのに10万文字書かされた。
365日、来る日まで何年も繰り返す。
休暇はない。
課題の本や資料を読み、あらゆる小説を書き続ける。
書かなければ出られない、部屋がある。
読まなければ出られない、部屋がある。
覚えなければ出られない、部屋がある。
出来なければ壊れるだけ。待ち受けるのは廃棄処分。
少年少女たちは、来る日も来る日もただ、繰り返す。
入れ替わる少年少女たちのペースは早い。
だが、生き残る少年少女たちの数は異常に少ない。
たとえ生き残ったとして、その先に光など見えない。
灰色の日々はやがて色褪せ、虚無の彼方に心を失う。
そんな場所に一人の少年が新入りとしてやって来た。
少年は周囲の環境に言葉を失い、筆を握る。その腕は震えていた。
生き残りの少年少女たちは「ああ、また廃棄処分か」そう思った。それ以外は何も思わなかった。
少年は何度も鞭で叩かれ、殴り、蹴られた。その度に少年は泣いた。
三ヶ月が経ち少年は無表情になって、随分と痩せ細っていた。
だが少年の筆は速く、正確になっていた。
生き残りの少年少女たちはその姿に瞠目した。
何故か。
少年は口端を釣り上げて静かに笑い文字を紡いでいる。
何が、少年をそうさせるのか。
人間というのは本当に分からない。
閉鎖環境下での抑圧。
即興執筆と強制読書による負荷。
生存を賭けた極限状態。
能力――『共感覚』――の覚醒。
純真無垢な心に乱気流が蠢き、精神に不調和を引き起こす。
まだ学院が存在しなかった頃、特殊な感覚を持ち合わせる小説家が世界でも稀に存在したとか。
ある者には文章や数字、人の感情に色が視えた。
ある者には文章や数字、人の感情に匂いや味を覚えた。
ある者には瞬間的に物語の全てが見通せた。
ある者には段階的に物語の声が聞こえた。
ある者には文章を間違えることが出来なかった。
ある者には文章の真意や隠された裏の意味などを見抜けた。
ある者には尋常ではない集中力により、倒れるまで書けた。
少年の心は一度粉々に破壊された。
溢れ出る涙は既に枯れ果てた。
地獄に踏み込んだ少年の心には無限の虚無が広がっている。
誰もがその深淵世界の先に――星の雨が降っていることを知らない。
彗星が輝いていることを知らない。
三人揃えば何だって出来る。何だって乗り越えられる。
何だって書ける。何者にもなれる。きっと。
少年は来る日も来る日も、飽きずに何度も、流星群の夢を見ていたのかもしれない。
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