第三章「パートナー」

友達


 六組の騒動から二日が過ぎた。あれから坂上先生が二人の仲裁に入りひとまず現場は収まった。

 その後、勝俣と片桐には形式上両成敗ということで互いに五千Nptの罰金で済んだ。

 だが謎の告発文についての犯人はまだ捕まっていない。それに野崎のノベルポイント送金履歴には、坂上先生が調べた結果、特定の誰かへの振り込みがないのも分かった。

 ただクラス内の生徒、主にA班の班員は野崎が取り引き自体を他の生徒へ持ちかけなかった証拠はないと言い出した。ではその取り引きを持ちかけられた生徒は一体誰なのだとなったものの、結局出てこず仕舞いで事件の真相は雲隠れしてしまった。

 坂上先生はこのような行為は当然禁止されているので、犯人には重い罰則が与えられるから今後見つけたらすぐ先生に言うようにと注意を促した。


「ってことはやっぱりただのイタズラってことだったんだよね?」

「かなりたちの悪いね。アタシに何の恨みがあるってのよ」


 食堂にて茉希歩と野崎は互いに醤油ラーメンを啜りあっている。


「でもどうやってあの告発文を黒板に貼り付けんだろ?」

「さぁ。第一発見者は誰なの?」

「大野君だって。彼が教室に入った時には既に貼ってあったって」

「そいつが犯人じゃないの?」

「もちろん大野君は自分じゃないって否定しているけど、逆に大野君だっていう証拠もそうじゃないって証拠もないんだ」

「大野って確か何処かの副班長とかじゃなかった?」

「うん。大野君はE班の副班長だよ」

「怪しいわね。そいつ」

「でもA班は栞菜ちゃんも怪しいと決め込んでる」

「あいつらほんっとにムカつく」


 茉希歩は苦笑いしていると三人組がこっちに向かってくるのを認識し「あ、こっちこっち」と手を振った。


「ごめん、列が凄くって」


 三人はいつものように横並びに座り「いただきます」と言って醤油ラーメンを同時に啜る。食事も一段落してから今日は珍しく大人しかった勝俣が「皆、すまない。俺のせいであんなことになっちまって」としおらしく謝った。


「勝俣君は何も悪くないよ」


 嵐は勝俣の肩を軽く揺する。


「いや俺が我慢出来なかったせいで大袈裟なことになった。本当にすまない」

「あれは謎のプリントと片桐君から僕たちを守ろうとしてくれたんだから、謝らないでよ」

「そうよ。どうせなら片桐なんかぶん殴ってやってもよかったのに……でも、ありがと。少し気は楽になったから。あと罰金の半分はアタシからあなたに送るから」


 そう言って野崎はそっぽを向いている。

 勝俣はぽかんとして野崎を見ていた。


「お前……本当にあの野崎なのか?」

「何? アタシが無礼な女とでも思った?」

「えっ…………そうじゃないのか?」


 驚き呆けた勝俣の表情と真剣な声を聞いた野崎は、手元にあった野菜ジュースを一気飲みして、空になったパックを勝俣の顔面に投げつけた。


「あいたっ!?」

「か、栞菜ちゃん、無礼だよ!」


 仕切り直して、嵐は進捗状況を皆に伝える。


「という感じで進めていってるんだけど、どうかな?」

「いいんじゃない。とりあえずそれで書いてみたら? 今日水曜日でしょ」

「そうなんだ。皆にオッケー貰ったら放課後プレハブ塔に行こうと思ってたから行ってくるよ。茉希歩ちゃんも来れる?」

「あ、あのそのことなんだけど……」


 茉希歩は気まずそうな面持ちでスマホの画面を机の中央に置いた。


「私、たまたま書いてた新作をついこの前完成させて、ゼミの先輩にいい経験だからって言われてその、落ちるの前提で送ったら、なんか……」


 皆は腰を浮かせて画面を見つめたあと、一様に目を大きく見開いていた。


『名人戦予選 選考結果発表

 当選者:三年一組菅野晴之・二年四組斎藤光太・一年三組村咲四季子・一年六組早川茉希歩 以上四名が準決勝進出とする。

 対戦相手、時間、場所は一週間後に通知予定』


「通っちゃって……どうしよ……思い出したら胃が痛くなってきた」

 茉希歩は青ざめている。だが皆はそれとは真逆の反応を見せた。

「すげぇよ早川さん! やっぱり早川さんは天才で天使だったのか!」

「おめでとう茉希歩。やるじゃない」

「凄いよ茉希歩ちゃん! 名人戦だよ! 勝てば七豪階級だよ」


 茉希歩は何とも言えない顔で綾人を見ている。


「やったな茉希歩。勝てば名人か。かっこいいな。応援は任せろ」


 綾人はサムズアップして見せる。


「やだ綾人まで……ちょっと……吐く」

「ちょ、茉希歩! 吐くならトイレ」


 野崎は慌てて茉希歩の背中を擦り、トイレに誘導して行った。


 午後からの授業を休んだ茉希歩は野崎に寮まで送ってもらい、ベッドに包まっていた。


「起きた? 大丈夫?」

「うん……だいぶ楽になったかも……ありがとう栞菜ちゃん」

「今日はゆっくりしてなよ。冷蔵庫にスポーツ飲料と栄養ドリンク入れといたから。じゃアタシ帰るね」


 ベッドの背にもたれかかっていた野崎が立ち上がりかけた時、ブレザーの裾が引っ張られた。


「もう少しだけ」


 野崎は溜息をついて再度座り込み、レンズを操作し読書をはじめた。窓から入り込む夕焼けは沈みかけている。静かな時間が流れていた。


「なに読んでるの?」

「この前茉希歩が教えてくれた卒業生の小説」

「もしかして草むしりのやつ?」

「そう」

「面白いでしょ」

「まだ途中だから分からないけど、今の所はまあまあかな」

「栞菜ちゃん……私の手、握ってよ」

「えぇ……嫌よ」

「おねがい」


 野崎は面倒くさそうに横目に差し出された手を適当に触った。その手は冷たく、小さく震えている。


「あったかいね」

「あんたの手が冷たすぎるのよ」

「……あったかい……お姉ちゃんみたい」

「お姉ちゃんいるの?」

「……いるよ。もうずっと入院してるけど……」

「身体、どこか悪いの?」

「ううん。昔お姉ちゃん事故に巻き込まれて、そこからずっと眠ってるんだ」

「……そう、なんか嫌なこと聞いたね、ごめん」

「ううん、謝らないで。栞菜ちゃんだから言ったの」

「どうして?」

「私にとって栞菜ちゃんは学院で出来た初めての友達だから。栞菜ちゃんは? 兄弟とかいるの?」

「アタシに兄弟はいない」

「そっか……なんかこうしてると私たち、昔から知ってる友達みたいだね。それとも姉妹かな?」

「それはない」

「フフ……栞菜ちゃん……私ね、こう見えて昔からすっごい臆病者なんだ。ほんとのこと言うとあーちゃんが班長やらなかったら私、副班長なんてやってなかったと思うし。実際、私たちだけ退学になるって考えたら怖いよ」

「そう」

「今度の名人戦も過去に配信されてる動画見た時に、無理だってなって……私、ほんと情けないなって。こんなのプロの小説家になったら毎日プレッシャーに押し潰されて私死んじゃわない? とか思ったらより情けなくて」

「茉希歩は、小説家になりたいの?」

「え……う、うん……なりたいよ」

「どうして」

「どうしてって……小説を読む時も書く時も楽しいし、それを誰かに読んで貰えて褒めてくれたらもっと嬉しいし、栞菜ちゃんもそうじゃないの?」

「アタシは別に、お金が欲しいだけ。働かなくてもいいだけの自由とお金があるならアタシは別にプロになんかなりたくない。アタシには小説しか書けないから、必然的にお金を稼げる手段が小説家しかないだけ。近年の新人賞なんて受賞する確率が一%あるかないかなのに、頑張って獲っても売れないのは当たり前だし、だったらこの学院の卒業生っていうブランドの方が断然お金稼げるでしょ」

「もう将来とかビジネスのこととかちゃんと考えてるなんてすごいね」

「なんでそういうおめでたい解釈になるのよ」

「私もね、さっき言ったことも本当なんだけど、でももっと本当のこと言うと全部私の大切な夢の為なんだ……」

「大切な夢?」

「うん、昔ね、あーちゃんと綾人と三人みんなで小説家になろうねって決めたんだ。すっごい大人気の。そしたらお姉ちゃんをもっといい病院に連れて行けるしね。うちの家、お金持ちとかじゃないから入院させるだけで精一杯って感じだし、この学院入るのも実はかなり反対されたんだ。まあ奨学金で何とか入れたけど」

「そっか……頑張りなよ」

「うん……ありがと。栞菜ちゃんは夢とかあるの?」

「アタシ、アタシは……ないよ、夢なんて、これっぽっちも……アタシに翼はないから」

「翼?」

「ううん、何でもない。そろそろ茉希歩も寝なさい。早く元気にって……きゃ!」


 茉希歩は立ち上がりかけた野崎を勢いよくベッドにまで引っ張りこんだ。二人は重なり合うようなる。


「もう……急になにして」

「私たち、友達だよね」

「えっ……ただの班員同士」


 茉希歩は優しく野崎を抱きしめた。


「友達だよ、私たち」

「ちが」

「友達」

「分かったから放して」

「やだ。友達って言うまで離さない」

「はぁ……友達なんでしょ、アタシたち」

「なんか言わされてる感があるからやり直し」

「だってほんとに言わされて」

「やり直し」

「茉希歩とは友達。これでいい?」

「うん、私のパートナーになってよ。栞菜ちゃん」


 外はすっかり暗くなって、夜空には乙女座がよく見えていた。

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