第36話 叫び
ドラゴンがはなった、氷の息吹。
レンドリックが張った炎の壁の後ろにいるというのに、凍えるような寒さだ。
だが、なんとか耐えられる。
レンドリックとリリアサの魔法のおかげで、直撃を避けているからだろう。
しかし、もつのか。
レンドリックのうめき声が聞こえる。
「恭之介君、戦う準備を。多分レンドリック君なら大丈夫」
リリアサがこちらを向く。
交渉決裂ということか。
恭之介は暮霞を抜いた。
敵の攻撃が止んだ瞬間に、飛び込んで首を斬る。
いかに神に近い存在だろうが、生き物である以上、首を斬れば無事では済むまい。
精神を集中する。
想像以上の強大な敵。
これまで培ってきたすべてを出し切らねば勝てない相手だ。
出し惜しみせず、初めから全力でいく。
静かに深く呼吸。
徐々に気が高まっていく。
恭之介の気に当てられたのか、リリアサの身体が震えるのが見えた。
「恭之介!」
レンドリックの叫び声。
視界が晴れた。
同時に炎の壁が消える。
力を両足に。
恭之介は全力で駆け、ドラゴンに向かって飛んだ。
斬れる。
「う?え?ちょ、ちょっと待ちなさいよっ!」
威厳も何もない悲鳴。
首は目の前。相手に避ける術はない。
「ひ、ひえぇぇぇっ」
確信とともに暮霞を振り下ろす。
「あれ?」
しかし、手ごたえはなかった。
斬っていない。
恭之介は雪原に着地し、すぐに振り返る。
斬れなかった理由を考える前に、追い討つ体勢に入る。
だが、不思議なことにドラゴンは消えていた。
その代わり、仕立ての良い白い服を着た白髪の少女が、雪原に立っている。
「怖ぁ……何あんた」
明らかにドン引きといった様子でこちらを見ている。
「このあたしが、身体のサイズ変えて躱すしかできなかったじゃない」
どうやらこの少女は、ドラゴンが変化したものらしい。
少女を斬るのはいい気がしないが、正体がドラゴンであるならば致し方ない。
恭之介は前に踏み出し、喉元めがけて突きかかった。
「ひぇっ、ちょっと!ばかっ!」
少女姿のドラゴンは空に飛ぶことで、こちらの突きを躱した。
背中に生えた翼を羽ばたかせ、更に空高く飛ぶ。
「くっ」
これではこちらの攻撃は届かない。遠斬りで翼を落とせるか。
「くっ、じゃないわよ!このばか!かわいい少女の喉を躊躇なく突くとか何考えてんのよ!信じらんない…………はぁ、もう疲れた。わかったわ。話を聞きましょう。話を聞くから斬りかかってこないでよっ!」
ドラゴンは手を前に出しながら、ゆっくりと降りてくる。
どうやら話を聞いてくれるようだ。だが、まだ油断はできない。
「ちょっと……刀しまいなさいよ」
「しかし」
「話聞くって言ってんでしょ!」
「恭之介君、しまって大丈夫じゃないかしら」
リリアサが恭之介の肩に触れる。
彼女が言うならばと、恭之介は暮霞を鞘に納める。
「ってかあんた何者なのよ……」
「私ですか?」
「あんたしかいないでしょ!」
他に二人もいるのに、あまりにそれは理不尽ではないか。
「音鳴恭之介です」
何者と言われても、名乗るくらいしかできない。
しかし、そちらが聞いたくせに恭之介の名乗りを聞いているのか聞いていないのかわからない様子だ。ドラゴンはこちらをじっと見ている。
「あんた転生者?」
「あ、はい」
「何?じゃあギフト持ち?」
「ギフト……あぁ、誰とでも話せる力をもらいました」
「誰が今この状況で会話能力のことに興味持つのよ!戦うスキルについてよ!剣術のギフトとかあるでしょうがっ!」
「他にはもらってないですよ」
「何ですってぇ~」
少女の端正な顔がこれでもかと歪む。
「本当よ。彼の転生の手続きをしたのは私だもの」
「はぁ~~?」
今度はリリアサをじっと睨む。
「……何よ、あんたもずいぶんと変な魂ね。まぁいいわ、じゃこいつは自力でここまで強くなったっていうの?」
「そうよ。ギフトのドーピングなしにね」
「怖っ!ますます怖っ!」
「でしょ?彼すごいでしょ」
「すごいなんて言ってない!こ~わ~いって言ったの!……でもまぁ納得言ったわ」
「何がかしら?」
「神からギフトもらったくらいのにわか剣士に、私が死の恐怖を感じるなんてあり得ないもの」
「あら、さすがのドラゴン様も恭之介君相手には死を覚悟した?」
「そ、そんなこと言ってないでしょっ!」
言ったように思えるが、気のせいかもしれない。
実際は、この世界に来たことで能力に補正がかかっているので、自力と言われると恭之介的には少し納得できない部分はあるが、今は口を挟まない方が良いだろう。
「やっぱ怖いのは馬鹿よ馬鹿。どうせあんた、ただただ愚直に自分を鍛えたんでしょ。結局ね、神のギフトとか何とか言うけど、もらいもんじゃ最後の一線は超えられないんだから。そういう一線を超えちゃうのは、リミッターが外れた馬鹿だけよ。あぁ恐ろしい」
「褒め言葉として受け取っておきなさい、恭之介君」
「はぁ」
「褒めてないでしょっ!」
小さい体を揺らして吠える。
「はっはっは!恭之介はすごいだろう、ドラゴン殿」
「何よ、自分の手柄みたいに」
「恭之介の手柄は、僕の手柄と言ってもよい」
「うわぁ、馬鹿がもう一人いた」
少女は怖い怖いと呟きながら自分の身体を抱く。
「で、話し合いには応じてくれるのだろうな、ドラゴン殿」
「キリロッカ」
「ん?」
「あたしの名前。やめてよね、ドラゴン殿とか野暮ったい呼び方」
「あぁ、キリロッカ殿だな。改めてよろしく頼む」
キリロッカは、レンドリックが差し出した手を嫌そうに握った。
「で、用件は鉱石でしょ?」
「話が早くて助かる」
「何に使うのよ?」
「村を守るためだ。鉱石を村の資源として売ることで、運営を安定させる。儲けたいわけじゃないから、それほど多くはいらん。一回当たりの取引で欲しい量と物は大体こんなものだ。いくつかパターンに分けてある」
レンドリックが紙を渡した。どうやら希望の鉱石と量が書いてあるものらしい。
しかし、当のキリロッカは紙を見ずに、目を細めてレンドリックを見ていた。
「嘘は言ってないようね」
「本当に心を読めるのか、恐ろしい力だな」
「ふん、変なこと考えたらぶっ飛ばすからね」
「で、どうだろうか。分けてはくれまいか」
そこで初めて彼女は紙を見た。
「本当にこれっぽちでいいのね?」
「キリロッカ殿、ということは」
「途中でもっと欲しいとか言って、その剣士をけしかけてくるとかナシだからね」
「感謝する、キリロッカ殿!」
レンドリックが手を握ると、キリロッカは暑苦しそうに手を払った。
「ちなみに、昔も人間に鉱石を分けたという話は本当なのですか」
「あ、それ私も聞きたかった」
リリアサが生まれるずっと前にあったとされる話だ。その男も武力で彼女を認めさせたのだろうか。
「本当よ」
「その人も強かったのかしら?」
「こんな奴がそんなたくさんいたら嫌よ!」
こんな奴とはひどい。それに千年以上も前の話だし、仮にいたとしてもたくさんという表現は違うような気がする。
もっともドラゴンと人の時間の流れ方は違うのだろう。
「そいつはね、ただの旅芸人よ。孤児院のためにって鉱石を持って行ったわ」
「どうしてその旅芸人に鉱物をあげようと思ったの?」
「え?百面相が面白かったから」
「百面相?」
リリアサが首をかしげる。
「そうよ。普通百種類も変顔したら、どこかしらで似た顔が出てくるでしょ?それがあいつは全部が全部違った顔なのよ。あぁ今思い出してもウケる」
キリロッカは彼のことを思い出したのか、にやにやと笑みを浮かべる。
「それだけでその彼は鉱物を手に入れたというのか?」
「それだけでぇ~?じゃああんたできるの?できるならやってみなさいよ」
「いや、すまん、できない」
珍しくレンドリックがすぐに諦めた。
いきなり戦闘になったので、凶暴なドラゴンなのかと思ったら、どうもそうではなさそうだ。もしかしたら恭之介が刀を抜かずに済む結末もあったのかもしれない。
もっとも仕掛けてきたのは向こうなのでどうしようもないが。きっとこれまでも、そうやって散っていた者たちも多いのだろう。
「もういいわ。鉱物だったらその辺にたくさんあるから勝手に持っていきなさいよ」
「そうか、では約束の分をもらっていくぞ」
持ってきた革袋が無駄にならずに済んだ。
この革袋に入る分だけで結構な期間、村の財政が困らないらしい。ミスリルなどの鉱石は、恭之介が思っている以上に貴重のようだ。
「……んで、次はいつ来るのよ?」
「次か?あまり頻繁に来るのも悪いと思ったから、これでも一回当たりの量を多めにさせてもらっている。今回の分で、しばらくは大丈夫だ」
「だからぁ~、次はいつぐらいに来るのよ?」
「ん?具体的には売りに出してみないとわからないが」
「ふん、遅くとも一か月後とかには来るの?」
「いや、キリロッカ殿の静かな生活を乱すつもりはないのだ。そんなすぐには来ないぞ」
「……じゃあ二か月後とか?」
「いや、少なくとも半年か一年後か」
「もっと頻繁に来なさいよっ!」
雪山にキリロッカの叫びがこだました。
どうやら、魅惑の銀嶺の主として人々を恐怖の渦に落としてきたドラゴンは、寂しがりのドラゴンだったようだ。
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