第31話 魔物の波
鐘の音は、コルガッタの町でも緊急事態の知らせのようだ。
恭之介たちが席を立ち、外へ出ると、町の人間が慌ただしく走り回っている。
「何があった?」
ロイズがその中の一人をつかまえる。
「魔物の波だ!この町に向かっている」
「まもののなみ」
恭之介は思わず言葉を繰り返す。
「恭之介様、魔物の波というのは、魔物が大量に出現することです」
「この町に魔物の大群が向かっているということですか?」
「はい、おそらくは。この大陸で時折起こる現象ですが、私も実際に体験するのは初めてです」
レイチェルが緊張した様子で説明をしてくれる。
「でも冬に起こるのは珍しいわね。冬眠する魔物がいるから、必然的に数が集まりにくいのに」
「城壁の方へ行くか。どうせギルドから緊急依頼の声がかかるだろうし」
ロイズが荷物の中から斧を出す。使い込まれた良い得物だ。
「面倒だが、冒険者は町の緊急時に手を貸す義務があるんだ。まぁ絶対ってわけじゃないんだが、町がなくなれば、冒険者も仕事がなくなるからな。手を貸さなきゃ鼻つまみ者よ」
「今はそういう仕組みができているのね。ちなみに報酬は出るの?」
「あぁ、そこはしっかり出る。心配しないでも平気だよ」
「それなら安心したわ。恭之介君、思いっきり稼ぎましょう」
「お、ついに恭之介さんの戦いが見られるな」
「はい、できる限りがんばります」
町のために戦い、それで金がもらえるとはなんと良い話か。しかし、そうでもなければ冒険者たちも積極的に働かないのだろう。守れれば金がもらえ、守り切れなければ全てが水の泡というわけだ。
城壁に近づくと、更に喧騒は大きくなる。
城壁の上を見ると、鋭い目つきの初老の男が矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。
ロイズにくっついて、恭之介たちも城壁へ上がる。
「おう、ワーレン支部長。どんな感じだい」
「ロイズか。お前も手を貸せ」
「まぁそのために来たんだが、まずは状況を教えてくれよ」
初老の男はギルドの支部長のようだ。髪には白いものが目立つが、体格はしっかりとしている。今でも一線で戦えそうだ。
「Cランクの魔物は三十体ほど。小物はわからん、多数だ」
「大物はいるかい?」
「確認できている限り、ヘルゲートボアが二体、ハイオーガが三体、コカトリスが二体」
「おいおい、こんなところに出る魔物じゃないな」
「あぁ、わりと面倒な状況だ」
レイチェルに聞くと、コカトリスとは身体の半分が鳥で、もう半分が蛇のような魔物らしい。話だけではいまいち想像ができない。
ぶんっ、という野太い風切り音がしたので、そちらを見ると、城壁から大きな矢のようなものを放っていた。
「それはバリスタってんだ。上手く当たればそれなりの効果だよ。で、支部長、城壁はもつんだろうな」
「どうだろうな。何せ古いもんだ。それに魔物の波なんて、俺がここに来て初めてだからな、果たしてどうなることやら」
「おいおい、不安なこと言うなよ」
そう言いながらもう二人はそれほど慌てていない。豊富な経験がそうさせるのだろう。
「まぁロイズ、お前がいてくれて助かった」
「おい待て待て、俺は引退した身だぞ。過度に期待するのはやめてくれよ」
「食堂の一件は聞いてるぞ」
「酔った冒険者と魔物を一緒にしてくれるな」
親しい間柄なのだろう。この状況下でも軽口を叩き合っている。
「先生、あのハイオーガとコカトリスは、遠斬りが届くんじゃないですか」
「あ、確かに」
ぼんやりと二人のやり取りを眺めていた恭之介と違い、ヤクは周囲の状況をしっかり見ていたようだ。
「やってみようか」
暮霞を鞘から抜く。
その瞬間はじかれたようにワーレンがこちらを向いた。
「……何者だ」
「俺の上客だよ」
「ただのEランク冒険者よ」
ロイズとリリアサが、何やら得意げにやにやとしている。
「それでEランクだと?……新人か?」
「えぇ、ピチピチのね」
「こんな奴が来てるなんて聞いてないぞ」
「えぇ、だって一角兎の討伐とか簡単な依頼しか受けてないもの。でも影狐の納品が増えたでしょ?」
「先生、魔物が移動してしまいますよ」
自分に関する会話になってしまったので、思わず聞いてしまったが、ヤクの声で我に返る。
「あぁ、そうだね。よし」
城壁から下を眺める。
ヤクの言う通り、確かに射程圏内にハイオーガとコカトリスがいた。コカトリスは鳥の頭を狙えばいいのか。しっぽと思われる部分が蛇だが、どちらが頭なのだろう。とりあえず二つとも狙ってみることにする。
恭之介はしばし集中し、暮霞を三度振るった。
コカトリスの、鳥の首と蛇の首がどちらもほぼ同時に落ちた。
「あ、ハイオーガの首を落とすのはさすがに無理か」
しかし、喉を深く斬ったようで、首から大量の血を吹き出しながらゆっくりと倒れた。
「他は……遠すぎるか、死角に入ってしまっていますね」
ヤクが城壁から身を乗り出し、きょろきょろと魔物の様子を見ている。
ワーレンがこちらに近づいてきた。
「……お前、名前は?」
「音鳴恭之介です」
「そうか、力を貸してくれるか?」
「はい、もちろんです」
「ロイズ、とんでもない助っ人を連れてきてくれたな」
恭之介の肩を叩きながら、ワーレンがロイズに話しかける。
「だろう?と言っても、俺も恭之介さんが戦うところを初めて見たんだがな。やっぱ俺の目に狂いはなかった。とんでもねぇ人だ」
「この距離からあの威力か。恭之介とやら、その斬撃は何発も出せるか?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあお前は大物を狙ってくれ。よし」
そう言いながら、ワーレンは城壁に近づき、下に向かって叫ぶ。
「ビアトルク!ビアトルクはいるか!?」
「ここだ!ワーレンさん」
恭之介も城壁の下を見ると、血に染まったビアトルクがこちらを見上げていた。彼の持つ長剣もすでに真っ赤だ。
「おい、ワーレンさん。いきなりオーガとコカトリスが倒れたがあんたの仕業か?」
「やったのはこの男だ」
「あんたが?音鳴恭之介だっけか、すっげぇ腕だな」
ビアトルクの目が大きく見開く。
「大物は恭之介にやらせる。お前はそいつらをおびき寄せてくれ」
「おびき寄せる?どこにだ?」
「どの辺りがいい?」
ワーレンがこちらを向く。
「え~と、大体そこからあの辺りまでなら大丈夫だと思います」
「結構広い範囲だな。わかった、それならできると思う」
ビアトルクは素早く駆け出し、他の冒険者に指示を出し始めた。今この町で一番上のランクはビアトルクのようだ。
「ワーレンさん、報酬はちゃんと出してくれるのよね」
「もちろんだ」
「良かった」
抜け目がないリリアサである。にっこりとほほ笑み、リリアサも城壁から身を乗り出した。
何をするのかと見ていると、リリアサは、誘導を始めたビアトルクたちに群がる小さい魔物たちに向かって魔法を放つ。威力こそそれほど高そうではないが、器用に魔物たちを翻弄していた。
恭之介も、ビアトルクたちが誘導した大物の魔物たちに向かって遠斬りを放つ。さすがに大きな体格を持つヘルゲートボアは一撃とはいかなかったが、何とか遠斬りで対処ができそうだ。
「シンプルなアーツだが、威力も高いし連射もきく。使い勝手がいいな」
「えぇ、何かと重宝しています」
「しかし、音鳴恭之介。今日の今日までどこで何をしていた?」
感心した様子でワーレンが話しかけてくる。
「え~、まぁ色々なところを点々と修行をしていたと言いますか」
「単なる修行じゃそんな腕は身につかないはずだ。どんなことをしたんだ?」
「どんなこと……う~ん、本当に特別なことはしてないと思うんですよねぇ」
「そもそも、ギルドの情報網に全く引っ掛からなかったってのが不思議だ」
「ちょっとちょっと、今はそんなこと話している場合じゃないでしょう?」
リリアサがこちらを振り向きながら、ワーレンに苦言を呈す。きっとあたふたする恭之介を見かねてだろう。
「あぁ、それもそうだな。だが、恭之介のおかげで何とかなりそうだ。大物はほとんど討ってくれたしな」
そう言ったところで、ワーレンの動きが急に止まった。
「…………なんだ、あれは?」
ワーレンが遠くを見据える。恭之介もそちらの方向を見た。
二本足で歩く人影。手には斧のような物を持っている。体長は2~3mくらいだろうか。ここから見ると大きな人のように見えるが、一点、人間とは大きく違う点があった。
「ミ、ミノタウロスだ」
先ほどまでとは違う余裕のない声でワーレンが呟く。
一つ違うところ、ワーレンがミノタウロスと呼んだ魔物は、人の身体に牛の頭がのった魔物だった。
「ミノタウロス!?深淵の魔物じゃねぇか!なんでこんなところに」
ワーレンの言葉を聞き、ロイズが叫ぶ。
「深淵の魔物……」
レイチェルも驚いたように口に手を当てている。
「深淵の魔物とは何ですか?」
「はい、特に魔素が濃い極地にしか生息しない魔物です。いくら魔物の波だからと言って、こんな人里に現れるなんて、聞いたことがありません」
「嬢ちゃん、俺も長くこの仕事をしているが、初めて聞いたよ」
ここにきて、ワーレンが初めて苦しそうな顔を見せた。
しかし、気持ちは切れておらず、バリスタを用意している衛兵たちに声をかける。
「あの牛の頭をした魔物が見えるな?あれに狙いを定めろ。よくひきつけてから打てよ。まだだまだだまだだ………………撃てっ!」
ワーレンの号令に、衛兵たちは一斉にバリスタを放つ。低い風切り音がいくつも辺りに響く。
とんでもない速さのバリスタの矢がミノタウロスを襲う。
しかし、自分に当たりそうな矢は、すべて斧で叩き落とした。その動きに無駄はなく、魔物ながらに熟練の技を感じさせた。
「ミノタウロスというのは強いのですか?」
「深淵の魔物だ。強いなんてもんじゃない。はっきり言って、この町レベルの防備と冒険者じゃどうにもならん。本来ならAからSランクの案件だ。ここじゃ籠城するしかないが、果たして城壁が持つか…………おい、外に出てる冒険者を今すぐ全員中に入れろ!」
「俺も下で撤退を手伝ってくらぁ」
ロイズが斧を担いで駆けていく。
ワーレンの号令に城壁の衛兵たちが慌ただしく動き出す。それとほぼ同時に鐘が鳴った。
撤退の合図のようだ。閉じていた門が開き、冒険者を迎え入れる。
群がる魔物をさばきながら、一人また一人と冒険者たちが中に入ってくる。
下に降りたロイズが門の前で、魔物を蹴散らしているのが見えた。あれを見る限り、商人ではなくまぎれもなく冒険者だ。
「先生!」
「うん」
ミノタウロスが遠斬りの射程圏内に入った。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
恭之介は先ほど以上に気を込めて暮霞を振るった。
首を狙う。
しかし、ミノタウロスは見えないはずの遠斬りに確かな反応を見せ、首元を斧で守った。
「あ、防がれたな」
その後も、バリスタと合わせる形で二度三度と遠斬りを放つが、そのすべてに反応し、薄皮一枚を斬るぐらいしかできなかった。
「先生の遠斬りに反応してますね」
ヤクは信じられないといった様子だ。
だが、恭之介自身はそれほど驚きはなかった。自分の技が無敵などとは微塵も思っていなかったからだ。むしろ、強敵の出現に少し気持ちが高揚してくる。
「リリアサさん」
「なぁに?」
恭之介の呼びかけに反応する。彼女の表情はいつも通りの飄々としたものだ。
「あの魔物に私は勝てるでしょうか?ちょっと行ってこようと思うのですが」
「う~ん、正直今の私の力じゃ恭之介君とミノタウロスの力を測ることはできないのよね。わかっているのは、ミノタウロスという魔物がとても強いということ。私も直に見るのは初めてだけど想像以上だったわ」
「リリアサさんでもそう思うんですね」
「えぇ、それだけ深淵の魔物は規格外なのよ」
「そうですか」
「でも行くんでしょ?」
リリアサが恭之介の顔を覗き込む。その表情はやはり楽しそうだ。
「はい」
「そ、じゃあ私も一緒に下におりるわ」
「え?危ないですよ」
「大丈夫よ、自分の身を守るくらいのことはできるわ。それに露払いが必要でしょ」
確かに大物の魔物こそすべて倒したが、まだ小型の魔物は残っていた。
「ありがとうございます」
「あ、そうそう。あともう一つわかっていることがあるわ」
「なんでしょう?」
「恭之介君もね、すっごく強いってこと」
ぽんっと恭之介の肩を叩くと、リリアサは城壁に向かった。
「下に行くの面倒だし、ここから行きましょう。足場を作るわ」
リリアサが何やら呪文を唱えると、城壁の外にうっすらと膜のようなものが現れた。
「風で作った足場よ。見た目よりずっと頑丈だから安心してちょうだい」
リリアサがその足場に乗って手招きをする。
「恭之介様」
「レイチェルさん、行ってきますね」
「恭之介様に結界を張れれば良いのですが、動いている人に結界を張ることはできないのです」
申し訳ないといった様子で頭を下げる。胸の前で手を組み、苦しそうな表情だ。
「気にしないでください。気持ちだけで十分ですよ」
「せめてこれだけでも」
レイチェルは恭之介の腕に手を当て、呪文を唱える。次の瞬間、恭之介の身体がわずかに輝いた。
「これは、何ですか?」
「ほんのわずかではありますが、恭之介様の身体能力と防御力を上げる魔法です。覚えておいて良かったです」
「レイチェル様は、先生の防御力が低いって聞いてからずっと練習していたんですよ」
「そうなんですか?ありがとうございます」
「いえ……」
そう言うと、レイチェルは少し恥ずかしそうに下を向いた。
魔法の効果なのだろう。確かに身体が軽く、また力がみなぎるような感じを覚えた。
「これはすごいですね。本当にありがとうございます」
「どうかお気をつけて」
「先生なら余裕ですよね。いってらっしゃい!」
二人の言葉を背に、リリアサが作ってくれた足場を降りていく。
すでにリリアサが片づけてくれたのか、降りた周囲には魔物はいなかった。
「さ、恭之介伝説、第一章のはじまりよ。まずは深淵の魔物ミノタウロス討伐ね」
「リリアサさん、こんな状況なのに楽しそうですね」
「えぇ、とっても」
満面の笑みを浮かべながら、リリアサは跳ねるように前へ進む。リリアサの笑顔を見ると、こちらもつられてつい微笑んでしまう。
笑い合う二人。
はたから見ていたら、とても死地に向かうようには見えないだろう。
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