第87話 守るために

 恭之介は、鞘から暮霞を抜き、刀身を確認する。


 少し前にテッシンに研いでもらったばかりなので、刃は冴えわたっていた。


「村の者たちは全員、僕の屋敷に避難してくれ。念のため、レイチェルが結界を張る」


 レンドリックが矢継ぎ早に指示を出していく。男衆が準備のためか、素早く動き出した。


 レンドリックの屋敷は非常時の避難場所になっている。


 以前よりも村人の数は増えているが、屋敷のある高台の敷地にはまだ余裕があり、増築をしてあった。


「恭之介君、気をつけてね。本当は私もついて行きたいところだけど」

「はい。リリアサさんも村の人たちをお願いします」


 リリアサは村に残ることになっている。


 戦いにおいて、リリアサの魔法の使い道は大いにあるのだが、レンドリックが彼女に残るよう頼んだ。


 どうやら、恭之介たちがスティンガーに負けた際の交渉役ということだった。


 レンドリックの話では、ネイハンが狙っているのはレンドリックの命だけで、村人たちに危害を加えることはおそらくないとのことである。


 それでも何が起こるかわからないので、機転の利くリリアサを残すことにしたようだ。


 もう一つ、レンドリックは直接口には出さなかったが、レイチェルのことも心配なのだろう。


 まだ一緒に暮らしていた頃、ネイハンはレイチェルのことを可愛がっていたそうだが、レイチェル本人は最後には、レンドリック側についた。


 そのことをネイハンは根に持っているはずだとレンドリックは言う。


 ネイハンは裏切りを許さない。そう考えると、レイチェルの命も極めて危ない。


 それでも一縷の望みをかけて、リリアサに助命の交渉を託したのではないか。


 レンドリックに少し聞いてはみたが、明言はしなかった。私情を挟んでしまったと思っているのかもしれない。


 「ウルダンの女神様だからな。それなりに上手くはやってくれるだろう」


 レンドリックは皮肉まじりにそれだけ言った。


 何を上手くやるのかまでは言わなかったが、リリアサのことは頼りにしているのだろう。


 しかしながら、これだけの面子が揃っているにも関わらず、負けた時のことを想定しなければならないのか。


 スティンガーというのはそれだけの相手なのだろう。恭之介は更に心を引き締めた。


「私が生きていた時には、まだスティンガーっていう名前はなかったわ。でも当時、すでに似たような組織はあったわね。それに私は捕らえられた」

「え?」


 恭之介は驚いて、思わずリリアサの顔を見つめた。


「あら!そんな熱い眼差しを向けてくれるなんて、どうしたの?」

「……いえ、リリアサさんとも因縁があったなんて」

「まぁ私も超大物だったってことになるのかしらね」


 当の本人はあっけらかんと笑った。彼女の中ではすでに整理がついているのだろう。


 恭之介の心中では、レンドリックが命を狙われていると聞いてから、妙なうずきのようなものが生じていた。


 それが何なのかよくわからなかったが、今、リリアサの話を聞いて、そのうずきの正体がはっきりわかった。


 怒りだ。


 自分の大切な人たちが、理不尽な害意にさらされたという怒り。


 特にリリアサは、一度殺されているのだ。

 

 もちろん、その当時と現在のスティンガーの面々が違うということはわかっている。それでも怒りは収まるものではない。


「怖い目をしてる」


 リリアサの言葉にはっとなり、彼女を見ると、優しく微笑みかけてくる。


 とうとう感情が表情にも出てしまったのか。すぐに自制する。


「私たちのために怒ってくれたのかしら。ありがとう。でもね、怒らなくていいのよ。こんなことで恭之介君が怒ってはいけないわ」

「いえ、でも、こんなことじゃないと思うんですが」

「怒って戦うんじゃなくて、レンドリック君を守るために、ひいては村を守るために戦ってほしい。その方がずっと恭之介君らしいわ」

「……そうですね」


 恭之介は一つ小さく息を吐く。


「ありがとうございます、リリアサさん。怒りは剣を鈍らせます」

「そうそう。いつも通りが一番よ」


 リリアサがゆっくりと背中を撫でた。


「あ、ちょっとちょっと!」

「あら、ララちゃん」

「隙あらばスキンシップはいけませんよっ!」

「少しくらいいいじゃない。私は一緒に行けないんだから」

「まぁ……少しくらいはいいですけど」


 珍しくすぐにララが引いた。リリアサの言葉に何か思うことがあったようだ。


「じゃ、ハグしちゃお」

「ちょっと!ハグはやりすぎですよっ」

「あはは、冗談よ冗談。ララちゃん、気をつけてね。こちらも規格外の戦士ばかりだけど、向こうも超一流の集まりよ」

「はい!リリアサさんの分までがんばってきます。みんなで笑って帰ってきますよ」

「えぇ、そうして頂戴ね」


 レンドリック、ララ、マカク、ハラク、テッシン。極めつけにはキリロッカまでいる。


 これまでの人生の中で、それなりに多くの人間に出会ってきたが、その中でも最上位に位置する者たちばかりだ。それほどまでの強大な戦力。


 だが、スティンガーを知る者は誰も油断していなかった。それだけ凄腕の集団なのだろう。


 今回、こちらとしてはレンドリックの命を守れれば勝ちだ。


 しかし、今後も命を狙われ続けることを考えると、戦力を減らすことは、緩やかな負けともいえる。


 何より、仲間の命が失われることなど耐えがたい。


 以前の恭之介では考えられないが、今はそんな感情を持つようになってしまった。


 ならば、誰も死ぬことのない完勝を目指す。ララの言う通り、全員で帰還するのだ。


 相手は七人。こちらも七人。


 だが、一人が一人を相手すれば良いという単純な戦い方はできない。


 Sランクの冒険者と立ち合ったことはないが、仮に深淵の魔物ぐらいの強さであると考えるならば、レンドリックとララは一人で戦うことができるだろう。


 だが、マカク、ハラク、テッシンは、一対一では厳しいように思えた。無事を考えるならば、三人で一人を相手させるべきだった。


 となると、残るは四人。


 これをキリロッカと恭之介で相手することになる。


 均等に二人ずつ相手取るならばわかりやすいのだが、気まぐれなキリロッカがどこまで働いてくれるかは読めない。


 恭之介はキリロッカをちらりと見る。すると間の悪いことに目が合ってしまった。


「ちょっと!何見てんのよっ」


 悪党のような絡み方をしてくる。


「いや、ちょっと作戦を考えていて」

「はぁ?作戦?あんたの足りない頭で作戦なんて考えたって仕方ないでしょ」

「だとしても考えないわけにはいかないよ」

「大して複雑な戦じゃないんだから、考える必要なんてないわよ!」

「でもさ」

「だーかーら!あたしとあんたで二、三人ずつ引き受けて、あとは他に任せればいいのよ。向こうだって馬鹿じゃないんだから、実力が抜けてるあたしたちに比重をかけてくるに決まってるじゃない。自ずとそういう形になるわよ」

「あ~、そっか」

「そっか、じゃないわよ、あほ!で、あたしたちは他がやられないように注意しながら戦うだけ。そうしてる間に勝機が見つかるわよ。リリアサたちの言い分通りで癪だけど、それだけあたしの存在は向こうにとってイレギュラーなはず。ほころびが出るに決まってるわ。第一、このあたしがいて、負けるわけないでしょうが!これ以外に何か作戦が必要っ!?」

「いや……ないよ、ない」

「でしょっ!だから足りない頭で考えるだけ無駄!」

「いやぁ、ちゃんと考えてたんだなって、感心したよ」

「何よそれ!あたしが何も考えてないとでも思ったの!?」


 キリロッカが怒りに任せて、すねを蹴ってこようとしたが、それはかわした。


 攻撃をかわされたことで不快度が増したのか、いくつか罵倒を残して、大股で立ち去っていく。


「キリロッカちゃんは大丈夫よ、恭之介君」

「そうでしょうか」

「えぇ、ああ見えて、この村のことを大切に思ってるみたいだから」


 確かに村人に対する態度を見ているとわかる気がする。傲慢な言動の底には、何だかんだで村への優しさが見えた。


 だから村人たちもキリロッカを受け入れているのだ。


 その優しさを少しでも恭之介に向けてほしいと思うところではあるが。


 とりあえず、キリロッカもやる気があるようで安心した。彼女の作戦も恭之介の考えていたものとほぼ同じだった。


 どこまでこちらの思い通りに戦いを進められるかわからないが、考えておくに越したことはないだろう。 


 村人たちが、避難所であるレンドリックの屋敷へ誘導されていく。みな、少し緊張した面持ちである。


 命の危機にさらされているのだ。無理もないだろう。

 

 村人を安心させるために恭之介ができることは、目の前の脅威を取り除くだけである。


 怒りではなく、人を守るために刀を振るう。


 そう思うことで、何かを許されるような気がした。


「さぁ、恭之介!準備はいいか?」

「はい。行きましょう」


 レンドリックは普段着ではなく、動きやすい服装に着替えていた。


「先生、お気をつけて」

「うん。ヤクもリリアサさんとレイチェルさんを手伝うんだよ」

「あんたに言われなくても、ヤクならそのくらい当たり前にやるわよ」


 横からキリロッカが口を挟んでくる。


「まぁまぁキリロッカちゃん、恭之介君も師匠として心配なのよ。じゃあレンドリック君、魔法をかけるから、みんなを集めて」


 戦いに行く者たちがリリアサの周りに集まる。認識阻害の魔法をかけるためだ。

 

 こちらがいくら手練れ揃いで気配を消していても、相手も一流である。


 普通に近づいたら、早い段階で見つかってしまうだろう。相手の対応を少しでも遅らせるために魔法をかけるのだ。


 リリアサの魔法に加え、キリロッカの魔法も重ねがける。


 気配を探ってみたが、魔法のおかげで相当気配は薄くなった。これならばある程度近くまで行けそうである。


「二人の魔法を重ねるってこりゃ反則に近いな。刺客にはもってこいだ」


 テッシンが感心する。


「ばれるとしたら、きっと俺の気配からだからな。これで少しは安心したよ」

「テッシンさんは鍛冶師としてこの村に来ているのですから、無理をしないでくださいね」

「あぁ、腕が無くなろうもんなら仕事になんねぇからな。まぁ、みんなの足を引っ張らない程度に気張るよ」


 そこでふと、マカク・ハラクの兄弟を見るが、いつも通り寡黙で表情一つ変えない。彫像のように、ララの後ろに控えている。


「恭之介君、気をつけてね」

「はい、行ってきます」


 リリアサの声に背を押され、村の入り口から外へ出た。

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