第86話 兄の怨念

 間違いなく、スティンガーだった。


 レンドリックは、キリロッカとバンの話を聞いて確信した。


 隠密に適した斑模様の服。一人として弱卒はいない手練れの集団。


 それも並みの手練れではない。


 この世界の最強の一角であるキリロッカが、慌ててレンドリックを呼ぶほどの遣い手である。


 ここに自分がいることが、兄にとうとうばれたのだろう。


 やはりこの前、襲ってきた賊は、兄の息がかかった者だったに違いない。


 もっともレンドリックには、何が何でも隠れようという気がなかったので、いつかはばれると思っていた。


 それが今だったというだけだ。


 それに、今のこのタイミングというのはそれほど悪いものではない。例えばこれが一年前だったら、まだ魔物の洞穴に苦しめられていた時で、恭之介にも出会っていなかったのだ。


 時間が味方をしてくれた。


 レンドリックはそう思うことにした。


 それよりも考えなくてはいけないのは、目の前の脅威についてだ。


 まさか自分を殺すためにスティンガーまで投入してくるとは。


 兄はそれほどまでに自分をこの世から消したいのか。


 覚悟していたこととはいえ、実際ここまで強い怨念を目の当たりにすると、さすがのレンドリックも気が重くなる。


 何の因果で、兄弟が殺し合わなければならないのか。


 レイチェルの方を見ると、彼女はただじっとこちらを見つめていた。


 束の間、目が合う。


(すまぬ)


 心の中で妹に謝る。


 しかし、すぐにレンドリックは気持ちを切り替えた。気を落としている暇はない。


 衛兵小屋の前に、主だったメンバーが集まった。


 みな、こちらを見ている。レンドリックの言葉を待っているのだろう。


「話は聞いた。十中八九、スティンガーだ。あれこそがウルダン王国の伝家の宝刀。暗闘に特化した戦闘集団だ」

「スティンガーっていうのね、あれ」

「知っているのか?キリロッカ」

「前に一度、やりあったことがあるわ」

「何?どうなったのだ?」

「誰に向かって言ってるのよ!当然、蹴散らしてやったに決まってるでしょ!」

「その時は何人だった?」

「三人ね。まぁあたしがちょっと本気出したら瞬殺よ」


 キリロッカがやられるなど毛頭思っていない。

 

 わずかではあるが、実際に戦ったことがあるレンドリックは、彼女の凄まじさを知っている。


 問題は、そのキリロッカが少しでも本気を出したということである。  

 

 それだけでもスティンガーの強さが垣間見えた。


「いつの話だ?」

「え?そんなの覚えてないわよ。でもわりと最近だったわね……10年前?あれ、20年?30年?」


 正確な年代はわからないが、その時と比べて、スティンガーが弱くなったということはまず考えられない。


 スティンガーは、ウルダン王国が脈々と紡いできた殺しのエキスパートたちである。


 技術や知識の積み重ねにより、年々その力を上げているという。


 伝家の宝刀というのはまさにぴったりの比喩で、ウルダン王国が最後に頼りにしているのは、軍でも冒険者でもなく、スティンガーなのだ。


 スティンガーの暗躍により窮地を逸したという事例が、数多く残されていた。


 ウルダン王国が長年、この大陸で覇を唱えてきたのは、スティンガーの存在があったからというのは、決して過言ではない。


 戦況をひっくり返せるほどの極めて強力なカード。


 それを兄は、自分を殺すためだけに切ってきた。


 絶対に殺してやる。


 そんな兄の強いメッセージが感じられた。


「今いるのが、そのスティンガーだとして、レンドリック君を狙っているっていうのは本当なの?自意識過剰じゃなくて?」


 リリアサがふざけた様子で言う。その様子の後ろには、彼女なりの配慮が感じられた。


「七人ものスティンガーを一気に動かすということは、よほどのことだ。国家規模の戦か、あるいは超大物の暗殺。しかし、そのどちらも考えにくい。」


 トゥンアンゴとウルダンの間に、戦の臭いがしてきたものの、実際にぶつかり合うのはまだまだ先だ。


 暗殺で大人数のスティンガーを使うとしたら、標的はエンナボかロンツェグくらいだろう。


 しかし、そのどちらだったとしても、昼間からこの森で野営をする意味はない。森を抜けるのに、昼間に移動しない道理はないからだ。

 

 ならば、昼に野営をするということは、夜にこの付近で活動する理由があるからだろう。


「レンドリック君が超大物かどうかはさておき、それを聞く限りでは、彼らは夜襲を狙っているってことね」

「おそらくな。夜に素早く動くなら、もう少し近くで野営しても良さそうなものだが、相当離れたところに野営している。こちらを甘く見ていない証拠だが、さすがにこちらに遠見のギフト持ちがいるとまでは思わなかったようだな。バン、よくぞ見つけてくれた。お手柄だぞ」

「へ?」


 急に話を振られたバンが、驚いたように声を上げる。


「いや、その、俺は、自分がやるべきことをやっただけで」

「そのおかげで僕たちの命が救われたかもしれない。バンは、フィリ村の住人として、村を守ったことになるのだ。本当にありがとう」

「そんな、俺みたいなくだらねぇ男に……もったいねぇです」


 バンがうつむき、涙ぐむ。


 半ば騙された形とはいえ、以前、賊に協力して村を襲ったことが、まだ心の重荷になっているのかもしれない。


 もしかしたらそれは、一生消えないものなのかもしれないが、今回のことで少しでも軽くなればいいと思う。


「すみません、ちょっといいですか?」


 ララが小さく手を上げる。


「Sランク冒険者並みの腕というのは本当なのですか?」

「まぁ、Sランクと言っても様々だから一概には言えないが、間違いなく全員が全員超一流だ。更に厄介なのは、主な戦いの相手が人ゆえに、対人に特化した戦い方をする」

「それが七人ですか」

「七人という人数をどう考える?」


 テッシンが刀を布でこすりながら言う。


 すっかり村にも馴染んだようで、今回もやる気十分といった様子だった。


「まず、確実に僕を殺すために三人」


 レンドリックは、二人ならば何とか同時に相手できるだろうと踏んでいた。


 しかし、三人はさすがに厳しい。


 最後に逃げられるのであれば、相手取ることもできるのだろうが、今のレンドリックに逃げの選択肢はない。


 村を見捨てることなどできるはずがない。


「そしておそらく恭之介のことは知られているのだろう。恭之介への押さえに二人か三人」

「え?」

 

 当の本人は、名前が上がってもいつもと変わらずぼんやりとしている。それが妙にレンドリックを落ち着かせた。


「まぁ恭之介は無理して殺す必要はないからな。時間を稼ぐだけで良いと考えれば、二人ということもありえる」

「恭之介さんが二人ぽっちに押さえられると思っているんですか。何と不遜な!」


 何故かララが不平を垂れる。


「僕も、まともにやったら二人くらいで恭之介が押さえられるとは思っていない。だが、捨て駒として時間稼ぎに徹すれば、それくらいのことはやってのけるだろう。甘い相手ではないのだ」

「えぇ~そんなことないと思いますけど。恭之介さんなら瞬時に倒せますよね?」

「え?いや、さすがに難しいんじゃないですかね。だってSランクって一番上ですよね。それはちょっと、どうなのかな」

「う~ん……思っていたリアクションと違いますが、まぁ謙虚な恭之介さんらしいコメントなので、良しとしましょう」

「あはは!そういうところが恭之介君の素敵なところよね」 


 切迫した状況に関わらず、いつもと変わらないやり取りが頼もしい。レンドリックは思わず口を緩める。


「残りの者は、想定外のことへの対応といったところかな。僕と恭之介以外に腕が立つ者がいた場合の」

「あ、私は勘定に入っていないんですね。う~ん、ちょっと複雑ですねぇ」

「いや、ララが入っていないことはないだろう。ショーセルセの一件で、君のことも調べはついているはずだ。言い方が良くなかったな、ララとその他不確定要素の対応に、スティンガーが、一人あるいは二人の計算だろう」

「そうですか、まぁそれならそれでいいんですが」


 腑に落ちたというように、ララが何度も頷く。自分自身の強さに対するプライドがあるのだろう。


「なるほどな。いかにも部屋の中で考えたって感じの計算だ」


 テッシンが不敵に笑う。


「そうだな。だがまぁ兄をフォローするわけじゃないが、フィリ村の戦力をよく分析した布陣だよ。まともに来られていたら危なかっただろう」

「そうね、下手をしたらここで全てが終わっていたかもしれない。それを考えると、先に敵を発見できたのは大きかったわね。こちらから仕掛けられるもの」

「あぁ、そしてもう一つ、兄の想定から外れたものがある」

「そうね、大きすぎる誤算ね」


 リリアサが何やら楽しそうに指を一本立てる。


「あぁ、キリロッカの存在だ」

「は?」


 だらしなく椅子に座ってパンを貪っていたキリロッカが、間の抜けた声を上げる。


 すでに自分の役目は終わったと思っていたのだろう。

 

「何?あたしが何よ?」

「敵が想定していない戦力の一つだということだ」

「は?何であたしも戦わなきゃいけないの?あたしを誰だと思っているのよ!」

「もちろん、最強のドラゴン様だ。まぁ村に入り浸っていて、村の食料をたらふく食べているドラゴン様だがな」

「う……」


 キリロッカが、手に持っていたパンをこっそり後ろに隠す。


 もっとも、その食料を買うことができているのは、キリロッカの山にある鉱物のおかげなのだが。


 それに気づいていないのか、気づいているがあえて言わないのかわからないが、彼女はばつの悪そうな顔で目を伏せる。


「僕はもうキリロッカのことを村の一員だと思っているぞ」

「はぁ~?銀嶺の女王に向かって……」

「頼む、キリロッカ」

「な、何よ」


 レンドリックはキリロッカに向かって頭を下げた。


 怒っている様子ではあるが、村の一員と言われたことが嬉しかったのか、満更でもなさそうだ。


「キリロッカ様、どうか村を守ってください!」

「ま、まもってください!」


 近くにいたヤクとラテッサも、キリロッカに向かって深く頭を下げた。


 それを見て、遠巻きに見ていた村人たちがそれぞれ思い思いにキリロッカへ嘆願の言葉を投げかける。


「ちょ、ちょっと、やめてよね」

「キリロッカ様。無礼な兄の代わって私からもお願いいたします。どうかこの村をお守りください」

「な、何よ、レイチェルまで……これで断ったら、私が悪者みたいじゃない」


 うろたえるキリロッカだが、何かに気づいたように叫んだ。


「ちょっと!他の人間に頭下げさせておいて、あんたは何でふんぞり返ってるのよ!」

「え?私?」

「あんたに決まってるでしょ!」

「いや、私以外にも頭を下げていない人がいると思うけど……」


 恭之介が狼狽したように辺りを見渡すと、頭を下げていなかった者たちが一斉に頭を下げた。


「あ」

「ほら見なさい!残るはあんただけよっ!」

「わかったよ……キリロッカ、村のために一緒に戦ってほしい」

「ふんっ!仕方ないわねっ」


 恭之介が頭を下げると、キリロッカは空を仰ぐかのごとく、薄い胸を思い切り反らした。


 横暴な態度が目立つキリロッカだが、何だかんだで意外と空気を読む。


 しかし、恭之介にだけは一切容赦をしない。甘えているというのが近いだろう。


 また、何かと遠慮がちな恭之介も、キリロッカ相手にはあまり遠慮をしない。


 この二人は何とも不思議な関係性だった。もしかしたら超越者同士、通じ合うものがあるのかもしれない。


「あんたがそれだけ言うなら、少しだけ力を貸してあげるわ」

「いや、私だけじゃ」

「さ、そうと決まれば先手必勝よ。うじうじ待つなんて性に合わないわ。もちろん、こっちから行くんでしょうね?」


 夜襲を待ち伏せるという手もあるが、村を戦場にしたくない。万が一ということもある。


 ならば今、こちらから仕掛けた方が良いだろう。


「あぁ、もちろんこちらから仕掛ける。みんな、巻き込む形になってしまってすまないが、力を貸してくれるか?」

「それ普通、最初に言わない?まぁいいわ。第一、レンドリック君がいなくなったら、誰がこの村を治めるのよ」

「えぇ、リリアサさんの言う通りです。レンドリックさんの命はそう軽くないんですよ」


 リリアサとララが呆れたように言った。


「すまんな。みんな、頼む」


 全員を見渡し、最後に恭之介を見ると、いつも通りの、のほほんとした表情で、小さく頷いてくる。


 兄の怨念によって荒んだ心が、皆のおかげで少し和らぐのを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る