第85話 不穏な集団

 旅の記憶はすでに遠くなり、恭之介は穏やかな日々を取り戻していた。


 先日の賊の襲撃以降は何事もなく、衛兵の仕事は開店休業状態である。


 もちろん平和が一番なのだが、大事な時に働けなかったことに、わずかながら忸怩たる思いがあった。


 そんな暇を持て余している恭之介の、貴重にして大切な仕事の一つが、ヤクの鍛錬である。


 恭之介は今日も、衛兵小屋の前でヤクの鍛錬を見ていた。鍛錬を見ている間だけは、余計なことを考えることがない。


 ヤクの素振りの音が、一定の間隔で青空に響く。


「あぁ、刀を手に入れてしまったヤクが愚かな道へ落ちていく……あほの師匠のせいで、哀れなことね」


 椅子を反対向けにし、だらしなく座ったキリロッカが、果物を口にしながら悪態をつく。


 旅から戻ってきた翌朝、遠見の力で恭之介たちの帰還を知ったキリロッカは、文字通り飛んでやってきた。


 戻ってきた日に来なかったのは、その日に限って村の様子を見なかったそうだ。


 日頃の行いが悪いから罰が当たったのだと思う。


「あほなのに加えて、優しさもないし、気も利かない。このあたしに戻ったことを報告しないなんて信じられないわ。あぁ~、私もご馳走を食べながらみんなの旅の話を聞きたかったわぁ」


 帰ってきた日の晩餐に呼ばれなかったことを、相当恨みに思っているようで、顔を合わせば恭之介にねちねちと文句を垂れてくる。この手の文句もすでに何度目かわからない。


 あまりにキリロッカがごねたため、再度晩餐会を開いたのだが、彼女の不満は収まらなかった。それはそれ、これはこれらしい。


 だが、こういったキリロッカの悪態を見ると、村にいるのだなぁとまた一つ実感する。


「さぁ、少しだけ立ち合おうか」

「え?ありがとうございます!」


 キリロッカの文句から逃れる方便でもあったのだが、ヤクは素直に喜び、深々と頭を下げる。


「あぁ、またヤクが剣術バカに痛めつけられる時間がやってきたのね」

「キリロッカ様」


 ヤクが苦笑を浮かべ、たしなめるように名前を呼ぶ。

 

 キリロッカは下唇を突き出し、横を向いた。だが、ヤクに注意されたのでそれ以上の悪態はつかない。


 もっとも、キリロッカが言っていることはそう間違いではない。


 立ち合う時間自体はそう長くはないが、我ながら極めて過酷な仕打ちだと思っていた。実際に受けたら、大人でも逃げ出す者がいるだろう。


 息が尽きるまで恭之介に向かって打ち込み、隙があれば木の棒で叩かれる。


 ここ最近は、気を失うことが終了の合図だった。そんなぎりぎりの鍛錬をやらせていた。


 それでもヤクは恭之介との立ち合いを待ち望んでいるようだ。気持ちだけならば、すでに並みの冒険者より強いものを持っていると感じられた。


「お願いします」


 一礼したヤクが、すぐさま打ち込んできた。 

 

 それを軽くかわし、隙が見えた脇腹を打つと、ヤクが小さくうめき声を上げる。


 恭之介にヤクの剣が当たることはない。だが、日に日にヤクの打ち込みは鋭くなってきていた。


 おそらく普通の大人くらいなら、たやすく倒してしまうだろう。


 自らの刀、曙光を手にしたことで、今まで以上に鍛錬に身が入るようになった。

 

 だが、今はまだ刀の格に、ヤクの実力が追いついていない。


 曙光を使うに値する自分を作り上げようと必死なのだろう。ただ、刀を振るだけから、頭の中で動きを想像しながら刀を振るようになってきたようだ。


 以前よりも、斬る対象を意識して素振りや打ち込みをするようになった。実際に人を斬ったことで得た経験だろう。


「魔法を使っていいよ。それで打ち込んできなさい」

「はい!」


 空いた時間には、リリアサに身体強化の魔法を習っているようで、その魔法を使うと更に戦いの幅が広がる。

 

 どんな形でも、強くなるならばそれを利用すべきだと恭之介は考えているので、魔法の鍛錬も勧めていた。だが、恭之介との鍛錬では、魔法を使う時は恭之介が指示を出している。


 魔法を使ったことで、ヤクの動きが一気に変わる。攻撃をかわす呼吸を少し速くする必要があった。


 リリアサの話では、まだまだとのことだが、これで魔法の質が上がったらどうなるのか。気の早い話だが今から楽しみだった。


 良い刀というのは、人間を変える。良い刀にはそれだけの力があるのだ。


 そして何より、ヤクにはそれに応えられる才能と強い心がある。


 実は、才能も強い心もそれほど珍しいものではない。


 だが、それを共に持ち、鍛えられる環境にいることは、強くなりたい彼にとって幸いだったと言えるだろう。どれかが欠け、大成できない者だって山ほどいるのだ。


 ひとしきり立ち合うと、糸が切れたようにヤクが崩れ落ちた。気を失ったようだ。


 キリロッカが何も言わず、桶に入った水をヤクにかけた。どうやら立ち合っている間に、水を汲んできていたらしい。


 水をかけられたヤクが目を覚まし、ふらふらと立ち上がる。


「先生、ありがとうございました」


 それだけ言うと、再び地面に腰を落とした。呼吸はひどく荒い。


 いつの間にか来ていたラテッサが、打たれたところを濡れた布で冷やしていく。ラテッサは心配そうな顔をしているだけで、何も言おうとはしない。


 いつもならば、恭之介が何か不調法をした際、大人を真似た口調で叱ってくるのだが、鍛錬の時だけは何も言わない。


 もしかしたらヤクが何か言い含め、それにラテッサも従っているのだろうか。


「ありがとう、ラテッサ。あとは自分でやるよ」

「うん」


 しっかりとした子どもたちだ。


 彼らを見ていると、大人であるはずの自分の方がよほど幼いと感じられる。キリロッカが恭之介に悪態をつきたくなる気持ちもわからないでもない。


 まもなく昼になろうとしているが、魔物が襲ってくる気配はない。


 この様子では、午後も衛兵の仕事は休業になりそうだ。


 だが、衛兵の仕事がなくても、本来恭之介には村の防備を強化、運用するという仕事があった。


 しかし、それらについてはマカク・ハラク兄弟が、効果的な働きを見せていた。


 それもそのはずである。以前はララの護衛を勤めており、敵から味方を守るという点において、恭之介よりずっと経験があるのだ。


 実際、恭之介が旅から帰ってきたら、村の防備に関する部分はマカク・ハラク兄弟が先導し、より良いものへと進化していた。


 また遠見のギフトを持つバンを中心に見張り体制を強化したことで、村まで近づいてくる前に、危なそうな魔物や不審者に対応できるようにもなっていた。


 はっきり言って、恭之介が出る幕はほぼない。


 いよいよお役御免である。


 本格的に別の仕事を見つけなければならないかもしれない。そう思っている今日この頃だった。


「恭之介さん、ちょっといいですかね」


 この時間は見張りをしているはずのバンが近づいてきた。その後ろには、マカクとハラクがいる。


「はい、大丈夫ですよ。どうしましたか?」

「まだ村からかなり離れた位置にいるんですが、妙な集団がこの昼間っからこそこそと野営をしているんですよね」

「妙な連中?」

「へぇ。全部で七人なんですが、なんかみんな、斑模様のくすんだ色した同じような服を着てて」

「冒険者でしょうか?」

「う~ん、ちょっと違うような気がしやすね。ただ、それぞれ得物を持っていますし、一般人じゃなさそうです」


 森の中を通過する者がいないわけではない。ただ、通り抜けるならまだしも、わざわざ昼から野営をするのは珍しい。


 洞穴がなくなり、魔物が減ったとはいえ、森の奥はまだそれなりの魔物が数多くいる。


 そんな危険な場所で、あえて昼間から森の奥に滞在する目的は何なのか。


「マカクさん、ハラクさんはどう思いますか?」

「わかりません」


 だから恭之介に報告に来たということか。


 お役御免に近いとはいえ、上司は上司だから知らせに来てくれたようだ。


「ホントね、何者かしら……あ、うわぁ」


 横にいたキリロッカが声を上げる。


 こう見えても伝説のドラゴンということもあり、彼女も遠見の力を持っている。バンに居場所を聞き、集団の存在を確認したようだ。


 キリロッカの表情は険しい。何か嫌なものを見てしまった。そんな感じである。


「どんな人たち?知っている人?」


 その反応に興味を惹かれ、彼女に詳しく尋ねる。


 キリロッカは見た目、言動ともに子どもにしか思えないので、つい口調は子どもに対するものになってしまう。


「ちょっとあんた。レンドリックとか、主だったやつらを呼んできなさい」

「へ、へい!」


 しかしキリロッカは、恭之介の問いかけには答えず、バンに指示を出した。珍しく真剣な表情である。


 彼女の剣幕に押されるように、バンは屋敷に向かって一目散に駆けだした。マカク、ハラクもそれぞれ別の方向に走り出す。人を呼びにいったのだろう。


「どうしたの?敵?」

「あのねぇ、見ただけなんだから、敵かどうかまでわかるわけないでしょ!それとも何っ?あんたは見ただけで瞬時に敵か味方か判断できるっていうのっ?」

「いや、できないけど」

「ほらみなさい!」


 恭之介を厳しく叱責しながらも、キリロッカは森の奥を見続けていた。強く警戒しているようだ。


「敵にしろ味方にしろ、とにかくこんな辺鄙なところにいるには物騒すぎる奴らよ」

「知っている人たち?」

「俗世に興味のない私の耳にも入ってくるくらいには有名ね。ウルダンの暗殺者集団よ」

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