第88話 激突
見慣れた森のはずなのだが、いつもと違った顔を見せていた。
森の奥から流れてくる禍々しい気配。
隠そうとしているのだろうが、隠しきれないほどの強い力。
もっとも、恭之介以外は敵の気配をまだ感じてはいないようで、相手の隠密能力の高さが感じられた。
キリロッカの遠見を使い、最短距離で相手の野営地に向かって進めている。
認識阻害の魔法のおかげなのだろう。まだこちらに気づいている様子はないようだ。
事前に地形を調べていたようで、スティンガーは、間違っても村人が立ち入らないようなところを選び、野営していた。
通常の索敵だったら、まず見つけることはできなかっただろう。その点で言えば、こちらに運が向いている。
人が立ち入らないということは、相当険しい道のりのはずなのだが、今歩いてる面子はそのことを苦にしている様子はない。
それどころか皆、枯葉を踏む音すらさせず、慎重に歩を進めていく。頼もしくも戦い慣れている者ばかりである。
しかし、敵もそう甘くはなかった。
「気づかれたかもしれないわ」
キリロッカの言葉で、恭之介たちは歩みを止めた。
彼女曰く、野営地の周囲の見張りをしていた者が一人、急ぎ足で仲間の下へ戻っていったとのことである。
しばし様子を見る。
どうやらキリロッカの予想は当たっていたようだ。
見張りを一人残して、他は全員野営地に集まったらしい。作戦会議をしているのだろう。
「奇襲は無理か。まぁスティンガー相手にここまで近づけたのなら良しとしよう」
レンドリックが小さく息を吐く。
「キリロッカ、逃げる様子はないか?」
「……それはなさそうね。魔法のおかげか、こっちの戦力までは読み切れていないみたい」
「気づかれたのなら隠れている必要もなさそうだな。ならば僕の姿を見せてやるか。標的が僕じゃないという可能性も万に一つある。キリロッカ、相手の挙動に注意していてくれ」
「わかってるわよ」
レンドリックが茂みから出る。
向こうから目視できるところまで歩いていくようだ。
「マカク、ハラクもレンドリックさんに付いていって」
ララの指示に、二人は無言でうなずき、すぐさまレンドリックの前後に位置取った。
「……当たりね。やっぱ奴らの狙いはレンドリックよ。戦闘準備を始めたわ」
敵の動きが慌ただしくなったらしい。
標的からわざわざこちらに向かってきたと束の間、混乱もしたのかもしれない。
どうやら敵は退却を選ばず、交戦することを選んだようだ。
それはこちらにとっても幸運だった。
逃げられてしまっては、いつまでも警戒が解けない。ここで相手がしばらく動けないほどに叩いておきたい。
戦闘態勢に移ったスティンガーの動きは早かった。
殺意と共に一気にレンドリックへ向かってくる。
すでに恭之介の位置からも視認できた。
「正当防衛って奴だな。こりゃ文句は言わせねぇ」
「まだ手は出されてないですが、誤差の範囲でしょう」
テッシンとララも、それぞれ得物に手をかけ、レンドリックの下へ駆け出す。
「ちょっと!何ぐずぐずしてんのよ。あたしたちがひきつけるって言ったでしょっ」
「うん」
この場に残っていたのはキリロッカも同じではないかと思ったが、あえて口にはしない。
恭之介は、キリロッカとともに、皆の先頭に立つ。
それまで一気に距離を詰めて来ていたスティンガーだったが、恭之介たちの姿を見ると一斉に立ち止まった。
「……ちっ、何だあの小娘は」
槍を持った男の呟く声が聞こえた。
「グツ殿、どうしますか?」
「やる。せっかく標的から来てくれたのだ。ここで引くことはありえん」
レンドリックを守るように固まっているこちらを、敵は半円状に囲んだ。
敵がじりじりと距離を詰めてくる。
誰一人とっても超一流の手練れだった。はっきり言って、恭之介が予想していたより強い。
キリロッカは少女の姿のまま戦うようだ。ドラゴンの姿の方が力は出せるらしいが、木々に囲まれた森の中では少女の姿の方が戦いやすいだろう。
「その様子ではやはり僕を狙ってきたようだな。兄ネイハンの指金か」
「…………作戦を少し変える。キー、メクは、あの小娘に当たれ。見た目に油断するなよ、尋常ではない。勝とうと思うな。何が我々の勝利か考えろ」
「はっ」
「私とヌチが音鳴という武士に当たる。こちらも下馬評以上だ。ヌチ、抜かるなよ」
「おぉっ!」
重厚な鎧を身にまとった男が咆哮のような返事をする。この男がヌチなのだろう。
「残りが刃だ、行けっ」
会話を聞く限り、どうやら率いているのは、グツと呼ばれた槍の男のようだ。
レンドリックの問いかけには答えない。だが、相手の行動がその答えを示していた。
配置が少し動き、こちらへの包囲が縮まる。
キリロッカに二人、自分にも二人。
キリロッカに向かう二人は共に、片手剣に盾という攻守に優れた装いだった。
奇しくもこちらの予想通りになった。この布陣がこちらに益をもらたすかどうかは、戦いが終わるまでわからない。
待ちきれないキリロッカが、二人に向かって飛び込む。
目で追うのも苦労するほどの速さだが、敵も対応できていた。
キリロッカの手刀を盾で上手くいなし、彼女が次の行動に移ろうとするところを、もう一人が邪魔をする。
はたから見ていても、戦い辛そうだ。
「ちょこまかとうざったいわね!」
苛つきを隠さない彼女の叫び声が響いた。
二人は、森の木々を上手く使い、キリロッカの攻撃をかわしている。
少女の姿であるため、攻撃の範囲も狭く、敵はそれも利用しているようだ。
また、キリロッカの攻撃はやや単調でもあった。
恐らく、これまで圧倒的な力の差で勝ってきたことが多いのだろう。性格的にも、およそ駆け引きというものに向いているようにも思えない。
だとしても、キリロッカを止めているのは、とてつもないことだった。やはり敵は超一流。
そして、どうやら二人はキリロッカを倒すのではなく、引き付けることに注力していた。
槍の男が、何が勝ちかと言った意味を守っているのだろう。
レンドリックさえ殺せば勝ち。
ならば無理にキリロッカを倒す必要はない。
二人は持つ力をすべて時間稼ぎに使っているのだ。手練れの徹底した策に、さすがのキリロッカも思い通りにはいかない。
それでも、やはりキリロッカの存在は大きかった。キリロッカがいなければ、全部で五人がレンドリックたちに向かっただろう。
敵の実力を考えると、もしそうならば、極めて厳しい戦いになったはずだ。
そう考えると、この状況はかなりましである。
しかし、キリロッカの戦いを眺めていられたのは、それまでだった。
「私たちも始めようか」
決して大きな声ではないが、腹に響くようなグツの声。
自分の前には、グツとヌチと呼ばれた全身鎧の大男。
ヌチは鎧に加え、大きな盾と、斬るより叩くことと受けることを目的とした大剣を持っていた。
守備偏重の装備である。
「おぉぉっ!」
ヌチがこちらに向かってくる。
装備の重厚さからは考えられないほど、速い詰めだった。
そうは言っても、かわすことはそう難しくない。
「シッッ!」
問題は、その避けたところを狙ってくる槍である。
単純な作戦だ。
ヌチが恭之介の攻撃を受け、その隙に槍で突く。
グツの初撃は、暮霞で軽くいなす。
金属がこすれる音が森に響いた。
向こうも様子のつもりだったのだろう。大した気は乗っていない。だが、それでも肌が粟立つほどの一撃だ。
妖しいほどに輝く槍の穂先。
思わずずっと眺めていたくなるような、特級の武器である。
そして、その槍の主人にふさわしい腕を持つグツ。
これまで出会った中で、最強の槍使いだ。
グツの突きはどんどん鋭さを増していく。不用意に手が出せない。
「はっ!」
それでも恭之介は、槍の引き際を狙って、グツを追い撃つ。
しかし、すかさずヌチが体を入れてきて、恭之介の攻撃を防いだ。
かわしながらの攻撃ではヌチの防備は斬れない。そう確信した。
ヌチから狙おうにも、大きな盾が体の正中線を隠している。狙うとしたら、鎧の継ぎ目だが、向こうもそこを狙ってくるのがわかっているだろう。
単純な作戦だが、それだけに隙が無い。
こちらも時間稼ぎなのか。だとしたら、まんまと相手の術中にはまっている。
半端な攻撃ではヌチの防具を斬れない。だからといって、隙の大きな攻撃をしては槍の餌食になってしまう。
対人戦に特化しているとは言ったものだ。
果てしなく手強い。
しかし、恭之介は思わず笑みをこぼした。
恭之介のような者を倒すため考え、練り上げられた攻めと守りの連携。
自分のことを隅々までわかってくれていると錯覚してしまう。
これほどまでに自分の剣をわかってくれた相手がいただろうか。思わず嬉しさすら感じてしまう。
恋というものがどんなものか今までよくわからなかったが、もしかしたらこれに近いのかもしれない。
ここまで思われるというのはそう悪い気はしなかった。
だが、相手の想いに応える訳にはいかないのだ。
恭之介は、緩んでいた口を引き締め、暮霞を構え直した。
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