第89話 レンドリックの意地
戦は、こちらの当初の想定通りに流れている。
相手にとって、明らかにキリロッカの存在はイレギュラーだったはずだ。
そのイレギュラーに対し、大して慌てることなく、作戦を組み直したあたり、さすがスティンガーと言ったところだが、大きく出鼻を挫かれることになったのは間違いない。
奇襲こそできなかったものの、戦はこちらの有利な形で進んでいた。
それを如実に示しているのが、今、レンドリックに向かってきている敵がたった一人という事実。
一対一ならば、いかにスティンガーのメンバーだろうと遅れはとらない。
(こんなもので僕の命を取れると思うなよ)
今、相対している敵と比べると、力量はレンドリックの方が明らかに上であった。
そのため、周囲の様子を窺うくらいの余裕はある。
おそらく相手も一対一で、レンドリックの命を取れるとは思っていない。
向こうの作戦としては、ララとテッシンたちを早々に片づけ、三人でレンドリックを討つというものだろう。
三人を相手にするのは、さすがのレンドリックでも厳しい。その作戦自体は、双方の実力をよく読んだ作戦と言える。
しかし、そう思い通りにはいかない。
まずララは、一対一でしっかりと相手を抑え込んでいた。
敵は正統派の剣士だが、相性は悪くないはずだ。仮に剣の腕で劣っていても、ララには一流の魔法もある。
ここまでのやり取りを見ていても、ララがすぐに突破されることはないだろう。
心配だったのは、テッシンとマカク・ハラク兄弟のところで、三対一という数的有利はあるが、スティンガーを相手取るには、やや厳しいのではと思っていた。
しかし、それは嬉しい方向に裏切られた。
敵は小柄な男で、二本のナイフを自分の体のように操り、戦っている。
その縦横無尽なナイフさばきによって、三人の体にはすでに幾筋もの血の線が流れていた。
しかし、致命傷は受けておらず、逆に言えば、上手く敵を引きつけているとも言える。
双子の抜群の連携はさることながら、テッシンがその連携の邪魔にならないよう器用に立ち回っている。
即席のトリオにも関わらず、スティンガー相手に充分戦えていた。さすが歴戦の戦士たちである。
レンドリックは、三人を過小評価していた自分を心の中で戒めた。
こちらの戦術で言えば、その三人は時間稼ぎで充分な戦果である。
勝つべきところは他の戦場。
どこかで今の均衡を崩さなければならない。
「ボーっとしていて大丈夫ですか!?アクアワール!」
レンドリックを水流の渦が包み込んでくる。
「そんなものは効かん。炎牢」
炎の檻を身にまとい、敵の魔法から身を守る。
「水よ爆ぜろっ」
炎牢が周囲を覆ったと同時に、水の渦が中に向けて爆ぜる。
水流で囲んだ後に、爆発させる。なかなか凶悪な魔法だった。
「さすがネイハン様の弟君です。見事な炎魔法。でも苦手な水魔法にどこまで対抗できますかね」
よくしゃべる女だった。
面識はないが、ここにいるということは、ウルダン国内でも随一の魔法使いなのだろう。
それでも、均衡を崩せる可能性が一番高いのは、このレンドリックの持ち場だった。
この相手ならば、間違いなく自分の方が上である。
だが少々厄介なのは、この女が水魔法の遣い手ということだった。
ネイハンが対レンドリック用に仕込んだ魔法使いなのだろう。
火には水。
単純な相性でしか戦を考えられないのだな、と兄を嘲ることもできるが、実際問題、魔法の相性は大きかった。
力量の差があるにも関わらず、すぐさま倒すことができないのは、相性の問題があるからだ。
加えて、相性で勝っていようとも、この女は助太刀が来るまでは無理をしないだろう。
そうすると、時間だけがすぎ、今有利に進んでいる他の戦場も、どうなるか読めなくなってくる。
特にテッシンたちは、疲労によって足が動かなくなったら、すぐさまナイフの餌食となるだろう。
最も頼りになる恭之介とキリロッカは、二人まとめて相手をしている。
二人を相手取っていても、恭之介とキリロッカならいずれ突破してくるかもしれないが、レンドリックはそれを待ちたくはなかった。
二人に頼りきりでいいのか。
「ネイハン様に楯突くなんて、ご生家であるノアサグト家のご先祖様たちが泣いておられますよ」
女がいやらしい笑みを浮かべながら言う。
「ネイハン様にちゃんと謝れば、苦しまずに殺していただけると思いますよ。まぁ許されることはないでしょうが」
「オールビーだ」
「はい?」
「僕は、オールビー・レンドリックだ!」
やはり自分が打開しなければならない。
言ってしまえばこの戦、単なる兄弟喧嘩にみなを巻き込んでしまっているのだ。
それなのに、他の者に戦の帰趨を委ねるなど、あってはならない。
自分はオールビー・レンドリックなのだ。
「世の中に火の魔法を使う者が多いから、水魔法を使う者は重宝されるが、肝心の水魔法自体は大した威力がないというのは本当らしいな。相性差があってもこの程度か」
「はぁ!?」
半分は強がりである。相手の魔法を相殺するために使う魔力の量はいつもより多い。
だが、残りの半分は本当だった。
実際、攻撃に適した水魔法はそう多くない。どちらかと言えば守りの魔法なのだ。
「お前のような小娘と遊んでいる暇はない」
「何ですって!……ふん、強がりも大概にしなさい」
しかし、さすがはスティンガーの一員である。安易に挑発には乗ってこない。
だが、そんな偶発的なものに頼る必要はない。
自分は自分の魔法を信じれば良いのだ。
レンドリックは体内の魔力を一気に練り上げる。
こんこんと魔力が体を巡る様が心地よい。
「さぁ、耐えられるかな」
「なっ!?こ、この魔力量っ」
「贄となれ!朱雀の炎柱」
その瞬間、女の周囲に火柱が巻き立つ。
まるで生贄として、炎の柱に閉じ込められたようだ。
火柱の太さそのものはそれほど太くはない。人が二人いれば手が回るくらいだろう。
しかし、細く見えるのは炎が圧縮している証拠だった。
じゅっじゅっと、周囲にある塵芥が瞬時に燃え尽きる音が聞こえる。
「ぅぐっ!天瀑布っ!アクアシェルッ!」
敵は熱さに苦しみながらも、火柱を消す魔法と身を護る魔法を同時に唱えた。
どちらも相当強力な魔法で、やはり相手も一流の魔法使いだった。
だが、そう簡単に消せる魔法ではない。
レンドリックは、炎の柱に閉じ込められた魔法使いを一旦捨て置き、ララの下へ駆ける。
「ララ!十秒だっ」
「え!?……はいっ!」
敵と剣を交えながらも、ララは一瞬で状況の判断をした。
ララと共闘。
同時に敵の剣士も、自分の身に何が起ころうとしているのかわかったのだろう。さすがに反応が速い。
一旦距離を取ろうと下がり始めた。
「ファイアバレット!」
下がろうとする剣士に、レンドリックは指先から火の弾丸を連続して撃つ。
大した威力ではないが、怯ませる効果はある。
火の弾丸をさばき、かわす最中、剣士が少しバランスを崩した。
「凍りつきなさい!チャチャ・オール」
その一瞬の隙を逃さず、ララが剣士の足元を凍らせた。
それでも、慌てることなく剣士は、すぐさま足と地面の継ぎ目の氷を切り裂こうとする。
しかし、決定的な隙だった。
「僕らを敵に回したこと、あの世で悔いろ」
剣士の顔目掛けて、炎をまとった蹴りを放つ。
確かな感触。
妙な音とともに、剣士の首はおかしな方向に折れ、周囲には肉の焼ける臭いが漂う。
足元が凍っている剣士は、倒れることを許されず、ぐにゃりと体を曲げ、焦げた顔を地面にこすりつけた。
「ララ、よくぞ反応してくれた」
「いえ、レンドリックさんこそ!一瞬のチャンスをもぎ取りましたね」
声かけはそのくらいにし、すぐさま魔法使いの方を向く。まもなく炎柱が消えるはずだ。
だが、均衡は破った。
これで一気に状況が傾くはずである。
大技の疲労もあったのだろう。
油断したわけではないが、状況が好転したことで、レンドリックは一つ大きく息を吐いた。
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