第35話 銀嶺のドラゴン

 寒さが和らぎ、草木にも緑が芽吹く。


 春がやってきた。


 恭之介にとって、この世界に来て初めての春である。厳しい冬のあとの柔らかい日差しは、身も心も暖かくする。


 冬は冬で色々なことがあったが、春もまた新しい体験ができるのだろうか。


 できれば平穏な日々の中で、穏やかな体験がしたいものだ。


 ちなみに、この冬の間にレンドリックが村の名前を決めていた。


 フィリ村。


 古い言葉で幸運を意味するらしい。


 名前に関してはあまりこだわりがない恭之介も良い由来の名前だと思った。


 名前の通り、この村の未来に幸あることを恭之介も願う。



 暖かな午後の日差しの中、ヤクの指導をしているとレンドリックが現れ、突拍子もないことを言いだした。


「恭之介!ドラゴンに会いに行くぞ!」

「え?」

「魅惑の銀嶺にいるドラゴンだ。どんな奴が拝みに行こうじゃないか」


 魅惑の銀嶺とは、森を抜けた先にある雪山で、恭之介も以前に一度、近くまで行っていた。


 聞いた話では、ミスリルなど貴重な鉱石がふんだんにあるが、ドラゴンの縄張りとなっており、人間が介入できない場所になっているらしい。


「ドラゴンと交渉して鉱石を少しばかり頂戴できれば、村の資金源となり、安定して村を運営できる。それにロイズ殿もこの村へ来るメリットが増え、更にやる気を出してくれるだろうよ」


 ロイズがこの村へ来た時、レンドリックが言っていた当てというのはこのことか。


 確かに恭之介も、魅惑の銀嶺にある鉱石の話を聞いた時は、村のために使えないかと考えたが、ドラゴンの話を聞いて、あっさりと諦めたのである。


 しかし、そこを諦めずに村のため一心に突き進むのが、レンドリックだった。付き合わされる者たちの迷惑を考えなければ、領主として良い資質ではある。


「交渉なんてできるんですか?」

「あぁ、過去にドラゴンと交渉をして、資源を分け与えてもらった者がいるらしい」

「それ、私がいた時代より更に五百年くらい前の話よ。本当の話かどうかも怪しいと思うんだけど……」

 

 近くで鍛錬の様子を見学していたリリアサが、呆れた様子で言う。


 どうやらドラゴンの所へ行くのは、あまり乗り気ではないようだ。何事も楽しむリリアサにしては、珍しい反応である。


「いや、僕は本当の話だと思う」

「なんで?」

「なんとなく」

「……うそでしょ?そんな薄い根拠でドラゴンの前までいくわけ?死ぬかもしれないのよ?」

「まぁ、万が一戦うことになってしまっても、僕と恭之介とリリアサがいれば何とかなるだろう。最悪、退治してしまえるならそれはそれで良い」

「え、私も行くの?」

「もちろんだ」

「正直、嫌なんだけど。あなたドラゴンの恐ろしさ、わかってないでしょ」


 リリアサがここまで嫌がるのも珍しい。それほどドラゴンというのは特別なのか。


「僕なりにわかっているさ。だが、話に聞く限り、銀嶺のドラゴンは氷の属性を得意とするらしい。炎使いの僕と相性はばっちりだ」

「う~ん、だとしてもねぇ。恭之介君はどう思う?」

「ちなみにそのドラゴンとは、言葉が通じるんですか」


 交渉と言っているが、実際に言葉を交わすことはできるのか。


 例えば、魔物は人型であろうとも意思の疎通はできないと聞いている。ドラゴンも魔物のようなものと恭之介は思っていたので、交渉とはどういうことなのか。


「長く生きたドラゴンは高い知能を持っているからね。人の言葉くらい簡単に理解するわ」

「そうですか……話が通じるなら、いきなり戦闘とかにならないですよね」

「どうかしら。なんとも言えないわね」


 自ら危険に飛び込みたいという気持ちはないが、貴重な資源を手に入れる絶好の機会ではあった。村のことを考えると一度くらい挑戦してみる価値はあるように思える。


 仮に倒すのは無理でも、この三人ならば逃げ出すくらいことはできるのではないか。


 それにドラゴンというものが、どんなものか見てみたい気もする。


「行くだけ行ってみますか?」

「おぉ、さすがは恭之介!」

「ホント?もう、恭之介君までそう言うなら私も腹をくくるしかないじゃない」

「よし、そうと決まれば善は急げだ。明日の出発にするぞ。あ、いざという時のために、遺言だけは残しておけよ。さ、僕は早速準備に取りかかる」


 レンドリックは上機嫌で不穏なことを言って、駆け去っていった。


 どうやら穏やかな日々には、ほど遠いことが始まったらしい。


 

 翌日、恭之介たちは魅惑の銀嶺の麓へ来ていた。 


 一応、遺言を残してきたが、大して残すべき言葉もなかった。せいぜい、自分が死んだらヤクに脇差を与えること、暮霞は自分とともに葬ってほしいというくらいである。


 遺言を伝えると、ヤクが慌てたように自分も連れて行ってくれと珍しく強くごねたが、さすがに今回は連れて行くわけには行かなかった。


 レンドリックやリリアサも、心なしかいつもと違う。真剣というのか緊張しているというのか。それだけ危険な場所なのだろう。


「やっぱり山は寒いわね。防寒してきて良かったわ」

「きっと僕らが来ていることは、ドラゴンはもうわかっているのだろうな」


 一歩一歩、山を登っていく。


 スノータイガーや雪原鳥といった初めて見る魔物も多かった。やはり雪山ということもあって、雪や氷にまつわる魔物が多い。どの魔物も本来ならば相当手ごわい魔物らしい。


 だがこの三人にかかれば、まさに一蹴といった様子で、ほとんど歩みを止めることもなく、山を登り続けた。


「さすがにここまで近づくと雰囲気が違うな」

「そうね、やっぱ会うの嫌だわぁ」


 レンドリックとリリアサが濃い白い息を吐きながら言う。


 すでに山頂の手前まで来ていた。姿こそ見えないが、恭之介はドラゴンの圧力のようなものを感じている。


 身体を上から強い力で押さえつけられるような今までに感じたことのない感覚。


 レンドリックの顔つきも険しい。同じように圧を感じているのだろう。


 リリアサは表情こそいつも通りだが、この寒さというのに額には汗をかいている。


「大丈夫ですか?」

「う~ん、あんまり。恭之介君、私のこと守ってね」

「がんばります」

「あははは」


 笑顔ではあるものの、不安を感じているのだろう。余裕はあまりなさそうだ。


 恭之介自身も、手練れ二人をここまでさせるドラゴンに警戒を覚える。それほどの強敵に自分の力が通じるのか。


 

 邂逅は突然だった。


「何しに来たの?」


 目の前の雪原に、翼を羽ばたかせながら、真っ白なドラゴンが降り立った。


 以前、狩りの時にバンが言っていた通り、屋敷ほどもある大きな身体。真っ白な雪原より、更に白く輝く美しい鱗。


 なんと美しい生き物なのか。


 恭之介が最初に抱いた感想はそれだった。強さ、恐ろしさよりもそちらが先立つ。神と称されるのがわかるほどの神々しさだ。


 横にいるレンドリックとリリアサも息を飲んでいる。言葉が出ないのだ。


「ねぇ、あたし聞いてるんだけど。何しに来たのって」


 だがその姿とは裏腹に、ドラゴンの声色と口調には、荘厳さはなかった。まるで少女のようなしゃべり方だ。


「僕はオールビー・レンドリック。この山の近くにある村の領主だ。銀嶺のドラゴン殿、お初にお目にかかる」


 気を取り直したレンドリックが、優雅にしっかりとしたあいさつをする


「村ぁ?あぁ、最近できたあの村のこと?ここから何度か見たけど」

「おそらくその村のことだ。フィリ村という、ぜひ覚えてくれ」

「フィリねぇ、大層な名前だこと」

「だが近くと言っても、かなり距離は離れているが……ドラゴン殿はここから村が見えるのか」

「そりゃね、遠見くらいどうということもないわよ」


 どうやらバンのような遠くを見る力を持っているようだ。


 ドラゴンは、大きな宝石のような瞳を細め、こちらを窺っている。何かを探っているように見えた。

 

 それでもレンドリックは、怯まず会話を続ける。


「そうか、さすがドラゴン殿だな。それでここに来た理由なのだが、少々頼みたいことがあって」

「頼みぃ?」

「あぁ、話だけでも聞いてはもらえないだろうか?」

「ふん、話ねぇ。でも、それが聞けなかったら、最悪力づくでって考えてるんでしょ?」

「なに?……心を読めるのか?」

「こちとら長年生きているドラゴン様だからねぇ、人間の心を読むくらい朝飯前よ。それにしても、あたしを倒そうなんて、ずいぶん不遜な男ね!」


 そう言うと、ドラゴンは大きく息を吸い込んだ。


「なっ!ふ、二人とも、僕の後ろに!」


 レンドリックが慌てるのを初めて見た。


 言われた通り、レンドリックの後方へ駆け込む。


「炎牢!」

「うっそでしょ!ぞ、増幅っ」


 レンドリックの出した炎の壁が、更に大きく厚くなる。どうやらリリアサの魔法で炎の壁の強さが増したようだ。


「ふふん、あんたたちに耐えられる?」


 楽しそうな響きのあどけない少女の声。


 次の瞬間、周囲は真っ白な氷に包まれた。

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