第130話 再び
本日2話目。
本日3話更新です。
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「音鳴殿!」
カキヅキが姿勢を正し、地面に手をついた。
何を言うか、何となく想像できる。
「どうか俺を弟子にしてください!一から、どんなことでも耐え抜きます」
「……申し訳ありません。それはできません」
「お暮しを乱してしまうことはわかっております。しかし、どうか、どうか!」
カキヅキが必死に頭を地面にこすりつける。
「あなたは十分に強い。今更私が教えることはないですよ」
「そんなことは!」
「あとは世間の中で強くなった方がいい。私が教えることはありません。私は静かに暮らしたいのです」
少し厳しい言い方になってしまったが、事実なので仕方がない。
「……わかりました。不躾に申し訳ありませんでした」
カキヅキは立ち上がり、膝を払う。
「立ち合っていただき、ありがとうございました。静かな暮らしを乱してしまったこと、大変申し訳ありませんでした。音鳴殿のことは誰にも言いませんし、情報もこちらで処理します。これから誰かが訪ねてくるようなことはないでしょう。安心してお暮しください」
口惜しい思いがあるだろうに、カキヅキは笑顔を見せ、頭を下げた。
久しぶりに会う気持ちの良い男だった。
このまま帰してしまうのが、少し申し訳ないように思えた。
「カキヅキ殿」
「はい?」
「弟子には取れませんが、一つだけ見せて差し上げます。きっとあなたならば、そこから何か掴むことができるでしょう」
「え!?あ、ありがとうございます!ぜひ、見たいです!」
カキヅキが興奮した子どもように顔を赤く染める。
ふと少年だった頃のヤクの顔が頭をよぎった。
恭之介は、九十度角度を変え、誰もいない方向に構えた。
構えは地摺りより少し高めに取る。
誰もいないが、恭之介にははっきりと相手が見えた。
ソウモンイン・ササハル。
長く生きてきたが、彼を超える相手に会うことはなかった。
恭之介にとって、最強の好敵手。
実際に戦ったのは一度だけだが、想像では何度戦ったか思い出せない。
その立ち合いをカキヅキに見せてやろうと思ったのだ。
歳をとり、体力と筋力は落ちてしまった。
長い時間、多くの敵と戦うことはもうできないだろう。
おそらく途中で体力が尽きて死んでしまう。
しかし、一瞬の技の切れだけは、どこまでも伸ばすことができた。
今はその切れだけで、ササハルと勝負している。
「ふうぅぅ」
恭之介は、一つ深い息を吐く。
ササハルは正眼。少し口元が上がっている。
楽しそうだ。
剣も、恭之介のものと違って、華のある剣だった。
じりっと足をわずかに動かす。
ササハルは動かない。
足先に意識を込める。
逆に手首は自由だ。
時流の脈動。
飛ぶ。
恭之介はササハルの横を抜けた。
首筋を一閃。
ササハルの攻撃は届かない。
一撃。
それで勝負は終わりだった。
「はぁ」
恭之介は一息つくと、時流を鞘に納めた。
この時ばかりは普段出ない汗も、わずかに肌ににじむ。
「あぁ……」
カキヅキが呆然と立ち尽くしている。
そして、そのまま膝をついた。
「す、素晴らしいものを見させていただきました。お、おそらく今のは、頂点の立ち合いでは……」
カキヅキの体は震え、涙を流していた。
何度も首を振っている。
頂点とは思わないが、確かにある高みに達した者同士だからできた立ち合いではある。
恭之介自身、このような立ち合いができる男と出会えたことは、これ以上ない幸せだった。
「今の立ち合いを胸に、これからも精進を続けます」
何とか気を取り直したカキヅキは、立ち上がり膝についた土を払う。
「カキヅキ殿ならまだまだ強くなれますよ。がんばってください」
「ありがとうございます!では」
カキヅキは、興奮冷めやらぬといった様子で、山を降りて行った。
「お疲れ様」
リリアサが手拭いと水筒を差し出してくる。
「ありがとうございます」
「身も心も強い人だったわね。ああいう人が冒険者のトップにいるならまだこの大陸も安心かもね」
「はい、いい青年でした」
恭之介はもらった水筒で口を湿らす。
久しぶりの立ち合いだったせいか、まだ体が少し火照っていた。
「恭之介君、どこまで強くなるのかしらね」
「とりあえず、相手を斬らずに勝てるくらいには強くなりました」
「あはははは!本当だ。それは素晴らしいわね」
確かに、最後に人を斬ったのがいつか、もう思い出せない。
本来、剣の腕を磨くということは、人を斬る能力を伸ばすことと同意のはずだ。
それが斬らなかったことを喜んでいるとは何たる矛盾。
自分はどこまで来たのか。そして、どこへ行くのか。
何やら、喜びとも切ないとも言えるような不思議な気分に包まれる。
リリアサに手拭いと水筒を戻すと、恭之介は再び時流を抜いた。
「あら」
どうしたのか、と思ったようだが、彼女は何も言わず再び切り株に腰掛けた。
恭之介は時流を構える。
ゆっくりと振り上げ、振り下ろす。
初めて剣を握った時から、幾度となくしてきた素振りである。
それを何度か繰り返すと、気持ちが澄んできた。
幻想的な月夜だった。
いつだったか、こんな夜があったような気がする。
いつもはうるさいくらいの生き物の息吹は、何一つ聞こえない。
静寂。
刀を振る音すら闇夜に吸い込まれているのではないか。
リリアサにこの音は届いているのか。
恭之介は無心に時流を振る。
若かった時のように、振り続けた。
ふと不思議な感覚に包まれる。
気持ちが妙に研ぎ澄まされ、それでいてどこか不安になる心の置き所のない感覚。
これもいつだったか、感じたことがあるような気がした。
恭之介は虚空を見つめる。
ある閃き。
この閃きを恭之介は知っていた。
やることは一つ。
時流を振り上げる。
一瞬息を止め、そのまま素直に振り下ろした。
あるはずのない手ごたえ。
この手ごたえも体が覚えている。
虚空には、漆黒の刀傷のようなものが現れた。
裂け目は、見ているだけで吸い込まれてしまうような黒さである。
「うそ……」
リリアサが切り株から立ち上がり、驚いた顔でこちらを見ている。
斬ったのは見えないはずだが、時空の乱れでも感じたのだろうか。
「ど、どうして?時空斬りのやり方を思い出したの?」
「わかりません。でも何故か斬れました」
何がきっかけかはわからない。
しかし、これまで何度挑戦してもできなかった時空斬りが、今日はできた。
恭之介はリリアサと並び、ぼんやりと漆黒の裂け目を眺める。
「ちょっとちょっとっ!」
凄まじい速度で、近づいて来る者がいた。
隣の山に鎮座している銀嶺の女王、キリロッカだった。
「あ、キリロッカ」
「『あ、キリロッカ』じゃないわよっ!変な気配がするから急いで来てみたけど、何なのよこれっ!何してくれてんのよっ」
輝く白髪に高級そうな純白のドレス。
昔から変わらない少女の姿で、相変わらずの凄みを利かせてくる。
「斬れちゃった」
「はぁぁぁぁ!?時空をそんなうっかり、みたいに斬らないでよねっ!」
そう言いながらも、珍しいのかキリロッカは時空の裂け目をじろじろと観察している。
「へぇ、こういう仕組みなんだ。それにしても何で今日に限って……月の巡り?時空の歪み?はたまた、こいつの中の何かが関係してるっていうのかしら」
キリロッカがぶつぶつと呟いている。
「恭之介君、どうするの?」
「え?」
「このままだといずれ閉じちゃうと思うけど」
「あ、そうか」
確か昔、リリアサから聞いたことがあった。
「入ってみます?」
「……そうね、それもいいかも」
「え?本当に入るの?」
キリロッカが驚いたように言う。
「うん、キリロッカも一緒に行く?」
「…………はぁ?」
キリロッカは一瞬何か考えたようにも見えたが、結局いつものようにまくし立てた。
「行くわけないでしょっ!あたしはね、この星の守り神なのよっ!暇人のあんたと違って、あたしにはやらなきゃいけないことがたくさんあるのっ!」
普段の様子を見ていると、それほど忙しそうには思えないが、本人が言うのならそうなのだろう。
「そっか、残念だけど。じゃ、リリアサさん、行きましょうか」
「……いいのかな、私だけ」
そう言って、リリアサはどこか遠くを見た。
彼女は何を見て、誰のことを考えたのだろう。
「はん!良いに決まってるでしょ。ってか、そもそもこの馬鹿をこの世界に連れてきたのはあんたなんだから、最後までちゃんと面倒みなさいよねっ!」
「……それもそうね!わかった、行きましょう」
少し寂しげな顔をしていたリリアサだったが、いつもの笑顔に戻った。
「あ、そうだ、キリロッカ」
「何よ」
「良かったらさ、小屋の中にある暮霞を貰ってくれないかな?」
「……持って行かないの?」
「うん、ずっと使ってきたし、もう休ませてやろうかと思って」
キリロッカが、今まで見たことないような複雑な表情を見せた。
小屋を眺め、恭之介を見てを何度か繰り返す。
「……あんたの使い古した刀なんていらないわよっ!」
「そうか」
「でもしょうがないから預かっといてあげるわ!言っとくけど、預かるだけだからね。ちゃんと取りに戻って来なさいよ」
「え、でも、また戻って来られるかどうかは」
「どうせあんたのことなんだから、どうにかしていつかは戻ってくるでしょ!……あんまり長くなったら誰かに売っぱらっちゃうかもしれないけどねっ!」
「あはははは!それがいいわ。恭之介君、そうしなさい」
「はぁ、わかりました」
何だが荒唐無稽な約束をしてしまったが、再会の約束と思えば悪くない。
「じゃ、そろそろ行きましょうか。穴はいつ消えるかわからないし」
「そうですね」
「ほら、さっさと行ってきなさい、じゃあね」
うっとおしいものでも追い払うかのように手を振るキリロッカを背に、恭之介は漆黒の裂け目の前に立った。
これをくぐるのは二度目だ。
しかし、前回とは状況が違う。
見送ってくれる人がいて、一緒に入ってくれる人がいる。
これも自分がこの世界で生きた証拠なのだろう。
恭之介は漆黒の裂け目をくぐった。
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