第129話 果てなき道

本日1話目。


本日3話更新です。


*********

 


 辺りが月明かりだけになった頃、ようやく夏の暑さから解放される。


 小屋から外に出ると、涼しい風が身体をなでた。


 もう少し夏の季節は続くが、夜の風は秋を感じさせる。


 もう汗も出ない老人になってしまった。


 頭髪もまるで白龍のように白い。


 恭之介はいつもの鍛錬の場所へゆっくりと歩き出す。


 昔は何てことなかったが、今では夏の日中の暑さが、身にこたえるようになっていた。


 それでも、まだ暑さで倒れてしまうほど衰えてはいないと思うが、周りが心配するようになったので、ある時から夏の鍛錬は夜にするようになった。


 手には、テッシンが恭之介のために打ってくれた刀、時流ときながれがある。


 暮霞ほどとはいかないが、この刀とももう長い付き合いになっていた。


 暮霞と時流。


 鍛錬でどちらを使うかは、気分によって変わる。今日は時流の気分だった。


「今日は時流なのね」


 小屋の近くにある切り株に腰掛けていたリリアサが声をかけてくる。


 きっと風を浴びていたのだろう。


「はい、今日はこっちの気分です」


 見えないはずなのだが、リリアサが鍛錬に選んだ刀を外したことはない。


 そんな彼女も恭之介と同じく、歳を取った。


 そして、親しかった人たちは、このリリアサを残してみんな死んでしまった。


 転生者の寿命は、普通の人間より長い。


 恵まれているのかもしれないが、自分より若い者が先に死んでいくのを見続けると、転生者の業のようにも感じられた。


 それでも、人より長く剣と向き合えたことは、一介の剣士としては良かったと思う。


 そして、老人となった今でも、新しい発見がある。


 剣の道は果てがない。


 長年、剣を振ってきて至った結論だった。


 リリアサが空を見上げていた。


 空にはきれいな満月が出ている。


 見えないはずなのだが、何故か彼女には見えていると感じていた。


「月がきれいですね」

「あら!歳をとったおかげで、さすがの恭之介君もそんな甘い台詞を言えるようになったのね」

「え?」

「ふふふ」


 彼女も見た目こそ歳をとったが、くすくすと笑うその姿は昔から何も変わっていない。


 笑いの意図がわからないままだったが、気にせず恭之介は時流を抜いた。


「見ていてもいい?」

「はい」


 暮霞が、剣士音鳴恭之介を作り上げた刀だとすると、時流は、もはや恭之介の身体の一部ともいえる刀だった。


 それも当然だ。名工テッシンが恭之介のためだけに打ってくれたのだ。


 草がはげ、地表が剥き出しになっている定位置につく。


 ゆっくりと正眼に構えた。


 一日たりとも欠かしたことのない鍛錬。


 しかし、昔と今とでは、その中身はすっかり変わった。


 今はただ刀とともに自分と向き合うだけ。


 何かを考えることもほとんどない。


 刀は最後に一度だけ振る。

 

 本当は振る必要もないのだが、リリアサに聞かせたいという気持ちが、その一振りを生んでいた。


 老人になっても毎日こうして刀を構えるのは、まだ強くなれるという確信があるから。


 いくら鍛えても、剣の道の終着点には辿りつけない。


 いや、そんなものはそもそも存在しないのだろうということがわかった。


 それが無念とは思わない。


 ただ、終着点がなくとも、昨日より今日、今日よりも明日、僅かでも道の先を見たい。そこを目指して歩み続けたい。


 それが今日も恭之介に刀を持たせる理由だった。


 だがそう遠くない未来、恭之介の命は終わるだろう。


 そこで歩みは止まってしまう。


 人は死ぬ。


 当たり前のことだ。


 しかし、死によって道の先を見られなくなることだけが、恭之介に一抹の寂しさを感じさせる。


 そこで鍛錬の途中だったが、恭之介は構えを解いた。


「どうしたの?」


 リリアサが怪訝そうに首をわずかに傾ける。


 見えなくても恭之介の気配が変わったのがわかっただろう。


 恭之介は小屋に通ずる一本道の方を向いた。


 人の気配。


 今の恭之介の小屋は、フィリ村から少し離れた山にある。


 キリロッカが住む山のすぐ隣の山で、道は険しく、冬になると雪が多いところだが、慣れれば静かで住むには悪くないところだった。


 そんな場所に人が来ることなど珍しい。


 もはや知り人もほとんどいない恭之介たちにとって、心当たりもない。


「失礼いたします」


 しばらくして姿を現したのは、若い剣士。


 三十を少し過ぎたぐらいの歳だろうか。脂ののった年齢だ。


 ホノカのものと思われる着物を着て、黒髪に少し白髪が混じっている。


 腰には刀。


「何でしょうか?」

「……本当にいたのですな」


 こちらの問いかけに対する返答としては、少々おかしい。


「名乗り遅れました。俺は冒険者のカキヅキと言います」

「そうですか、音鳴恭之介です」


 相手の名乗りに対し、こちらも名乗り返す。


 少なくともしっかり挨拶ができるということは、悪い状況ではないだろう。


「ご覧の通り、刀を使う剣士です。長くSランク冒険者をやっていて、その、世間では一応、天下無双の武士と呼ばれています」

「……それはご立派なことです」


 久しぶりに聞いた異名だった。


 自分がそう呼ばれたこともあったような気がする。


 しかし、いつまでたっても全く身になじまない異名だった。


「勝手ながら、少し自分の話をしても?」


 恭之介はちらりとリリアサを見る。


 恭之介に見られたことがわかったのか、リリアサは目を開き、口元を上げる。


 楽しそうなことを期待する時の彼女の表情だった。


「どうぞ」


 彼女の娯楽になればと、恭之介はカキヅキに話すよう促した。


「先ほど申した通り、自分は天下無双と呼ばれています。身に余る異名だという思いはありますが、同時に自分こそ、という思いもあります。そして、できればもっと異名にふさわしい自分になりたいと。そう思って日々鍛錬に勤しんでおります」

「そうですか」

「強さを求めていると、様々な剣士の名を聞き、意識します。その中でも同じ刀遣いであった、ソウモンイン・ヤク殿。今でもその名は褪せることなく冒険者に語り継がれ、幼かった自分が目指した最強の武士でもあります」


 思いがけず、懐かしい名前を聞いた。


 恭之介は思わず目を細める。


 もう古い話になってしまったが、ヤクの活躍で、刀を使う冒険者が増えたと聞いたことがある。


 きっと彼もその一人のなのだろう。


「へぇ、そうなんだ」

「ご婦人、何か?」

「ごめんなさい、続けて」


 リリアサが手を差し出し、話の先を促す。


 彼女も懐かしさと嬉しさを感じたのだろう。


「しかし、強くなればなるほど、過去の偉人と比べられます。それも確かめようのない中で。それは仕方のないことで、恐らく当のヤク殿も過去の偉人と比べられたに違いありません」

「そういうものかもしれませんね」

「はい。ですから、俺もそういうものだと諦めていました。しかし、ある時、ソウモンイン・ヤク殿が理想とした剣士が存在したというのを偶然知りました」


 いつだったか、ヤクが取材を受けたとき、少し恭之介のことを話してしまったと謝っていたが、そのことだろうか。


 確か記事にはなっていなかったと思うが。


「見つけられたのは本当にラッキーです。俺が更なる強さを求め、ヤク殿に関する情報を集めていた時、雑多な書類の中で、たまたま見つけたメモ書きにその情報が残っていました。自分では影も踏めないと」

「はぁ」

「ヤク殿自体が、あまり情報を残されず、また現役時代も短かったので、誰も知らない情報でした。俺は小躍りしましたよ。自分が最強だと思っていた男に、格が違うと思わせた剣士がいたとは」


 リリアサを見ると、こちらの気も知らずにやにやしている。


「それから俺の日課は、ヤク殿の情報に加えて、その謎の剣士について探すことになりました。金、人脈、自分の地位など、使えるものを全部使って、必死に情報を集めました」


 カキヅキは一度、地面に目を落とした。


「その謎の剣士は、ヤク殿の比ではないほど情報がありませんでした。しかし、微かな情報を繋ぎ合わせることで、少しずつ輪郭が見えてきました。この時ほど、自分がSランク冒険者になって良かったと思ったことはありません。間違いなく、普通は集めることができない情報もありました」


 恭之介は元々乏しく、更に加齢で衰えた記憶力を必死に突き動かす。


 どこにどんな情報が残っていたか。


 隠蔽に協力的だった友人たちもみな死んでしまって、その管理はどうなったのか今はわからない。


 もっとも、これほど長い年月が経って掘り起こされるなど微塵も考えていなかった。


「その中で、俺は衝撃の事実を知りました。その剣士は転生者で、今もまだ生きている可能性があると」

「はぁ」

「そして、その話が本当だったことを今確認できました。ヤク殿が理想とした剣士とは音鳴殿だったのですね」


 知らないふりをしたいところだ。


 しかし、この様子では誤魔化すことはできないだろう。

 

 そもそも自分は口下手で、人を言いくるめるようなことはできない。


 それにヤクの名誉にも関わることだ。いい加減なことは言わないほうがいいだろう。


「いかにも。ヤクを育てたのは私です」

「やはり!」


 カキヅキの顔に喜色が浮かぶ。


「それでカキヅキ殿は何しに?」


 そこが一番大事なところだった。


「他人に過去の人と比べられるのは全く気になりません。ただ、自分の強さは確認したい。強い者がいるなら戦ってみたい。このような理由では駄目でしょうか」

「いえ」


 わかる。


 剣士は常に強さというものに敏感で、貪欲だった。

 

 強さを求める者ならば当然のことだろう。


「どうか俺と立ち合ってもらえないでしょうか」


 少し困り、恭之介はリリアサを見る。


 彼女はただ微笑むだけだ。


 あなたの好きなように、といったところだろう。


「わかりました」

「本当ですか!?」

「真剣でいいですね」

「ありがとうございます!」


 カキヅキはまるで子どものようにはしゃぐ。


 純粋な男なのだろう。


 億劫な気持ちはある。


 しかし、必死に情報を集め、こんな僻地まで来た。

 

 恭之介のところまでたどり着くのは並大抵の苦労ではないはずである。


 その労力を無下にするのもどうかと思ったのだ。


「失礼します」


 カキヅキが刀を抜いた。


 しっかり鍛えられた良い刀だ。


 大事に使われているのもよくわかる。


 正中線を隠すように体を半身にし、剣先はこちらを向いている。少し珍しい構えだ。


 恭之介も時流を抜いた。


「うぅ……」


 カキヅキが呻き声を出した。


 恭之介の気を感じたのだろう。


 真剣による立ち合いなどいつぶりだろうか。


 ましてや手練れとの勝負など、本当に久しぶりである。


 少し気分が高ぶっているのを感じる。


「はぁっ!」


 カキヅキが自らを鼓舞するように気勢を上げた。


 しかし、飛び込んでくることはできない。


 当然である。


 そんな隙は見せてない。


 ここで飛び込んでくるようなら二流。


 カキヅキにはしっかりとした実力がある。


 さすがは当世最強の男。


 恭之介は地摺りというより、刀をだらりと下げるような形で構えている。


 楽な姿勢で、少しでも体力を温存しようという考えもある。


 年寄りゆえの理由だった。


 恭之介はただただ少しずつ気を押し出していく。


 その気に抗うように、カキヅキは足に力を入れた。


 気を抜くと後ろに下がってしまうのだろう。


 少しずつカキヅキの顔に汗がにじんでくる。

 

 苦しそうな呼吸になってきた。


 そろそろだろう。

 

「ふぅ」


 恭之介は小さく息を吐くと、一歩前に足を踏み出した。


「……ぐうぅ」


 カキヅキはそのまま後ろに下がり、がくりと地面に手をついた。


「ま、参りました。俺じゃ相手になりません」


 カキヅキの顔には、玉の粒のような汗が吹き出ている。


 肩で激しく呼吸をして、いかにも苦しそうだった。


「これほどとは……あなたは神か何かですか?」

「いやいや、あなたと同じ人間ですよ」

「あははは、神ね。銀嶺の女王様辺りが聞いたら嫌な顔しそう」


 リリアサが手を叩く。


「信じられない。剣とはこれほど果てしないのですか」

「はい、長い長い道のりです」

「音鳴殿でもそう思われますか?」

「今だ道半ばですよ」

「なんと」


 カキヅキは口を開け、一瞬呆けたような表情になる。


 しかし、すぐに目を見開き、何かを決心したかのように、大きく息を吐いた。

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