第128話 帰郷
本日2話目。
本日2話更新です。
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フィリ村へ帰るのは十年ぶりだった。
一流の冒険者になるまで帰ってこない。
十八歳で村を出たとき、ヤク自身が決めたことだった。
何とか曲がりなりにも、その目標を達成できたと思い、冒険者を引退して村に戻ってきた。
村の何人かとは、時々手紙はやりとりはしていたものの、実際に会うのは本当に久しぶりだ。
鐘の音。
まだ村には遠いが、恐らくバンがヤクの姿を見つけたのだろう。
鐘のリズムは、帰還。
そうか、自分は村に帰ってきたのだ。
少し緊張する。
そのまま森を歩いていると、人の気配を感じた。
ヤクは立ち止まり、周囲を窺う。
「マカクさん、ハラクさん!お久しぶりです」
二人は何も言わず、一度頷いただけだ。
見回りをしていたのだろうか。
二人とも見た目は全く変わっていない。そして相変わらず無表情である。
「兄者、見回りをしていて得をしたな」
ハラクがいきなり口を開いた。
「あぁ、みなより先にヤクに会うことができた。強くなったな。この森で初めて恭之介殿と出会った時のことを思い出した」
マカクの口元がわずかに上がる。
「本当ですか!?嘘でも嬉しいなぁっ」
「みな、お前を待っている」
二人はそのまま森へ消えていった。
見回りの続きをするのだろう。
ほんのわずかの再会だったが、ヤクの心は熱くなった。
二人があれほど話したことなどほとんど記憶にない。
それが自分のことだと思うと嬉しくなる。
ヤクは少し足を速めて、村に向かった。
村の入り口。
十年前とは違った、更に丈夫な門構えになっていた。
それでも村の入り口にかつての面影を感じられた。
「ヤクー!!」
歓声。
村人が大勢、出迎えに来ていた。
知っている顔もあれば、初めて見る顔もある。ヤクが旅に出たあと村に来た人たちだろう。
「ヤク」
「テッシン様」
頭に手拭いを巻いたテッシンが現れた。
今だ筋骨隆々で、煤で汚れた顔は昔と変わらないの彼の顔だった。
「
「どちらも問題ありません。でも戻ってきた暁には、ぜひテッシン様に研いで欲しいと思っていました」
「もちろんだ、むしろ研がせてくれ」
白い歯をむき出しに笑う。
白光は、ヤクがこの村を出る直前にテッシンが打ってくれた刀だった。
まさにヤクのために打たれた一本。
昔、ホノカで初めて会った時にした約束をテッシンは覚えていてくれたのだ。
冒険者をしている内に、様々な剣を見たが、終ぞ白光を超えるものに出会わなかった。
「そうかいそうかい。今や最強の冒険者のヤクにそう言われたら、満更でもねぇな」
「ちょっと、やめてくださいよ」
「何言ってんだ。事実じゃねぇか……本当にお前は強くなったな」
テッシンが目を拭う仕草を見せた。
「ちっ、年を取ったな」
「テッシン様」
「まぁとにかく生きて帰ってきて良かった。みんな待ってる。顔を見せてやれ」
テッシンに促され、ヤクは村人たちに顔を見せ、挨拶をする。
「ヤクさん、レンドリック様とレイチェル様にまずご挨拶を」
「もちろんです」
「夜は何か美味しいものを作るからね」
「久しぶりのセニアさんの料理だ!楽しみにしています」
オーリンとセニアは、少し縮んだように思えるが、まだまだ元気そうだった。
「失礼します」
レンドリックの屋敷は少し古くなったように思えた。
やはり時は流れているのだ。
「おう、ヤク、久しぶりだな」
椅子に腰掛けたレンドリックがにやりと笑う。
ヤクは自信に満ちたこの笑みが好きだった。
レンドリックももう四十を過ぎたはずだが、ずっと若く見える。
それでも以前より威厳のようなものを感じさせた。
そして、しばらくそばを離れたことでわかる彼の大きさ。
こんな小さな村にいること自体が奇跡の人材だった。
その奇跡の男がヤクの愛するフィリ村を作り上げたのだ。
「どうした?旅に出て、僕のすごさがますますわかるようになったか?」
「まさしく」
「おいおい、旅に出て口が上手くなったではないか」
「紛れもなく本心ですよ。この十年、レンドリック様より強い者に会いませんでした」
「何?ははははは!そうかそうか、それは気分がいいじゃないか!やはり僕はすごい」
「お兄様」
奥から現れたレイチェルがたしなめる。
豊かな金髪が陽の光を浴びて輝く。
歳を重ね、美しさに更に磨きがかかっているが、まだどこか少女のような可憐さも残していた。
それは初めて出会った時から変わっていないように思える。
「ヤクさん、ご立派になりましたね」
「ありがとうございます、レイチェル様。何とか胸を張って村に帰ってくるくらいにはなれました」
「本当に素晴らしいです」
「思えば、ホノカの旅が俺を変えました。あそこが剣士としてのスタートだったのだと思います」
「そんなことがありましたね」
レイチェルが懐かしむような少し遠い目をする。
ホノカで、初めて人を斬った。
あれを超える恐怖は、結局これまで一度もなかった。
人を斬るということ。誰かのために戦うということ。そして、戦うとは剣を振るだけではないこと。
ホノカの旅を通じて、ヤクが感じたことだった。
目の前の女性から、強さとは何かとも教わった。
それはレンドリックに感じる強さとはまた違った強さだった。
旅の中で強さに溺れかけたときも、何とか溺れずにすんだのは、ホノカでの経験があったからかもしれない。
「手紙では聞いていたが、本当に冒険者を辞めて、村に戻るのか?」
「はい」
「僕らとしては大歓迎だが、本当にいいのか?君は紛うことなき、大陸の英雄なのだぞ」
「俺はフィリ村のために働きたいんです」
「……そうだな、君は昔からそう言っていたな」
レンドリックが紅茶に口をつける。
「レイチェル、この村は本当に恵まれているな」
「はい、本当に」
「ヤク、明日から頼むぞ。君の家は残してある。帰ってくると聞いて、手入れもしておいたからすぐに住めるぞ」
「ありがとうございます!」
さすがはレンドリックだった。
話も仕事も速い。
「お兄様、あまり私たちのところに引き留めていては」
「そうだな。まぁ夜にでもゆっくり話そう。ここで一緒に食事をしてくれるだろう?」
「もちろんです」
「良いワインがある。君とワインを飲みかわすのを楽しみにしていたんだ」
父のような、兄のような人。
この人がフィリ村を作ってくれたから、自分の人生がある。
「さ、ヤクさん。待っている人がいますから」
「そうだな、ほら、行ってこい」
二人に促され、レンドリックの屋敷を出た。
屋敷のある高台から村を眺める。
最初は小さかった村が、今ではすっかり立派になっていた。
それでもフィリ村はフィリ村だった。
ふと空を見ると、小さな点のようなものが近づいてくるのが見えた。
点はみるみる大きくなり少女の形になった。
「あ、本当に帰ってきたのね」
真っ白な髪に純白のドレス。
ドレスは王宮でも見たことがないような素晴らしい仕立てである。
「キリロッカ様」
「ふぅん……すっかり大きくなっちゃって」
不躾にじろじろと見てくる。
「でもまぁさすがヤクね。ちゃんと育ったわ。どこかの馬鹿とは大違い」
「あははは、相変わらずですね」
「当たり前でしょ!あたしが変わるもんですかっ」
腕を組み、そっぽ向く。
「あ、キリロッカ様。最近、色々な国で食べ歩きをしていたりします?」
「…………だとしたら何なのよ」
「いえ、白龍の目撃例が多いって、冒険者が動き始めてますよ」
「ふん、冒険者ごとき、どうってことはいわよ」
「あと噂で、白龍は美食の街にばかり現れるとか何とか」
「……別に関係ないけど、食い意地張ってるって勘違いされるのも困るわね」
「えぇ、ちょっと気にされた方がいいかもしれませんね」
「そうね、ちょっと気にしてみるわ」
そう言って、キリロッカは手を振り、レンドリックの屋敷に入っていった。
きっとおやつを貰いに行ったに違いない。
そのまま夜の食事会に顔を出すはずなので、またその時に話す時間があるだろう。
村の中をゆっくりと歩く。
以前は一角にしか咲いていなかった花が、今は所狭しと咲いている。
フィリ村の花と言えば、最近はちょっとしたもので、遠方からも買い手が来るらしい。
そして、その花を育てている人物をヤクはよく知っていた。
「やや!これは天下無双の武士殿」
褐色の肌にきれいな黒髪が映える。その髪を後ろで一本に束ねていた。
戦いの最中、その束ねた黒髪が美しくなびいていたのを束の間思い出す。
「ララ様、お久しぶりです」
「久しぶりです、ヤクさん!すっかり戦士の顔になりましたね」
ララが見上げてくるのが変な感じだった。
十年前、この村を出る時はまだ同じくらいの身長だったが、今はヤクの方が大きくなっていた。
「むむむ……身長も抜かれてしまいましたね」
どうやら同じことを考えていたようだ。
「ララさんはお変わりなく。元気そうで良かったです」
「元気も元気ですよ。腕が落ちないように鍛錬鍛錬の日々です」
腕が落ちないどころか、ララは以前より更に腕を上げていた。
「こうして帰ってきたことですし、天下無双の武士殿とぜひ手合わせしたいですねぇ」
「俺もぜひ。でもその呼び方はちょっと」
「いいではないですか。ヤクさんがちゃんと世間に評価されて呼ばれている呼び名なんですから」
有名な冒険者にとって、異名はつきものである。
ヤクにも色々な異名があり、天下無双という異名もその一つだった。
比較的よく呼ばれる異名の一つだったが、この異名だけは最後まで慣れることはなかった。
「でもまぁ気持ちはわかりますよ。本当の天下無双の御方を知っていると畏れ多いですよね」
「はい、天下無双なんて軽々しく言えませんよ」
「でも世間の人はわかりやすいものが好きですからね」
そう言うと、ララはいくつか新聞の切り抜きを取り出した。
「あ、それ、冒険者の記事」
「はい、ヤクさんの活躍をみんなで見ていましたよ」
村のみんなが自分のことを気にしてくれていたのは嬉しい。
しかし、記事の中身が活躍だけなら良いのだが、中には少々行き過ぎたものというか、身に覚えのない記事やエンターテイメントに全振りした記事もある。
「でもやっぱり盛り上がったのは、ヤクさんの恋愛事情です。すごい人たちと噂になりましたね」
「そ、それ一切事実無根ですからね」
「大丈夫、私たちはわかっていますよ!」
何をどうわかっているのか心配である。
例えば、レイチェルやテッシンがわかっていると言うのと、ララやキリロッカがわかっていると言うのでは安心度が違う。
「まぁこの辺りの話は、おいおいゆっくり話しましょう」
「その点について、俺から話せるような話はあまりないのですが」
ララが記事を持ったままどこかへ立ち去って行った。
あまり持ち歩いて欲しいものではないのだが。
気を取り直して、ヤクは目的地に向かって歩く。
子どもの時は毎日歩いた道である。
しかし、今は少し緊張していた。
古びた小さな小屋。
どこにでもあるような小屋だが、ヤクにとっては特別な小屋である。
しばらく小屋を見ていると、扉が開いた。
「やぁ、ヤク」
自分が最も会いたかった人。
しかし、当の本人はちょっとさっき別れたかのようなあいさつである。
ぼんやりとした優しげな表情。
この辺りも相変わらずで嬉しくなる。
手には暮霞。
これもいつもの通りだ。
「先生!お久しぶりです」
「うん、久しぶりだね」
「え?うわー!」
大きな声がして、小屋からもう一人飛び出てくる。
「帰ってきたのね!」
風に吹かれ、艶やかな栗色の髪がなびく。
リリアサだ。
杖を上手に使って、ヤクのところへ近づいてくる。
杖はヤクが旅に出る時に贈ったものをまだ使っていた。
丈夫な木で作ったものではあるが、長年、大事に使ってくれたのだろう。
「きっと、とってもかっこ良くなったんでしょうね」
リリアサが、顔のパーツを確かめるようにヤクの顔を優しくなでる。
少し恥ずかしいが、大人になったことを知ってもらいたいという思いもあった。
「背はもう私より高いですね」
「恭之介君よりも?でも確かにそうね。私もすっかり見上げているもの」
「背だけですよ。だけど、ようやくお二人に会えて嬉しいなぁ」
背こそヤクのほうが高くなったが、二人を前にすると、まだまだ大人になりきれない自分がいた。
それにしても二人は全く変わっていない。
恭之介もリリアサも、年齢で言えば四十ぐらいだが、会った時とほとんど変わりがない。
転生者は老化が遅くなり、寿命が長くなるというのは本当なのだろう。
自分だけ歳をとってしまったような、何だか不思議な感覚だった。
「五年ぶりぐらいかな?」
「恭之介君、嘘でしょ!?」
「先生、十年ぶりですよ」
「あぁ、そっかそっか」
恭之介は何を納得したのか、数度頷いた。
「しっかり者のヤク君がいなくなってから、どんどんぼんやりしていって」
「ヤクが色々やってくれてたんだなぁと痛感したよ」
「いなくなって初めてわかるってのも考えものだわ」
呆れたようにリリアサが首を振る。
「私がヤク君の代わりができたらって思ってたんだけど、まぁこの目だし、なかなかね。それでも村のみんなが何かと面倒を見てくれて何とかなったわ」
色々な方法を試しては見たが、リリアサの目は、やはり元には戻らなかった。
それこそ最強のメンバーが、ありとあらゆる情報を使って治療法を集めたが、この世の力では無理だったのだ。
それでもリリアサ本人が、いたって元気なのだけが救いだった。
目が見えないことを楽しむ余裕すらある。
「特にララちゃんが甲斐甲斐しく世話をしてくれて、恭之介君も私も助かってるのよ」
さっきここへ来る途中で会ったのは、何か手伝っていた帰りだったのかもしれない。
「私は自分でできるって言ってるんだけどね。まぁリリアサさんのことは同じ女性のほうがいいこともあるだろうし」
「何言ってるの。ほとんど世話を見てもらってるのは恭之介君でしょ?レイちゃんだってそうよ。毎日ご飯作ってくれてるんだから。私は目こそ見えないけど、自分のことは自分できるようになったのよ」
「確かにリリアサ様の言うことの方が本当っぽいですね」
「でしょ!?」
リリアサが皮肉めいた顔で笑う。昔からよく見る彼女の笑顔だ。
「でも今日が帰ってくる日だったのね。だからこのところ、ラテッサちゃんがそわそわしてたんだ」
「え?」
「ラテッサだけじゃないですよ、リリアサさん。みんなヤクが帰ってくるのを楽しみにしていたみたいでしたが」
「違うのよ~、恭之介君。相変わらずそのセンサー動いてないわね。まぁそういうところがいいところだけど」
大勢の出迎えの中にラテッサの姿があった。
ヤクが気づいたことにラテッサも気づいたように思う。
しかし、まだ話せてはいない。
「ヤク君が、モテにモテて浮世を流しているから、気が気じゃなかったみたいよ」
「あの記事は違いますよ、リリアサさん」
「私は記事の話とは言ってないけど」
「う……」
話せば話すほど藪蛇である。
「私も記事を読んだけど、すごいね。今はああいう強さのランキング?みたいなものがあるんだ。どのくらい真実かはわからないけど面白いね。強くなりたいって思う一つの良いきっかけになるんじゃないかな」
「私はその記事の話もしてないんだけど」
リリアサが横目で恭之介を睨む。
「リリアサさん、俺は」
「大丈夫、わかってるから。でもちゃんとあなたの口から言ってあげなさいよ。彼女はずっと待ってるんだから」
「……はい」
ヤクは村に戻ったらラテッサと結婚するつもりでいた。
確かめ合ったことはないが、これも子どもの頃からの約束だったような気もする。
「さ、夕食まで少し時間もあるし、久しぶりに稽古をする?」
「ちょっと恭之介君、話聞いてた!?」
「え?」
「あはははは!いいですよ、リリアサ様。俺もちょっと一度、肩の力を抜いたほうがいいかもしれません」
「ま、それもそうね。もうヤク君のほうがすっかり大人だわ……ってそれは昔からあんまり変わってないかもね」
リリアサが近くの椅子に腰かける。
「真剣でいいよね?」
「はい!」
先にヤクが白光を抜いた。一刀流である。
すでに身体強化の魔法をこれでもかと体に巡らせている。
初めから全開だった。
「いいね」
そう言って、恭之介が暮霞を無造作に抜いた。
その瞬間、ヤクを包み込む重圧。
やはり自分は天下無双の武士などではない。
自分の目の前に、はっきりとそれが存在していた。
「じゃ、ヤク、始めようか」
「はい!」
師の掛け声に、ヤクは自分が少年だったあの時に戻っていくような気がした。
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