第1章

第1話 天下無双

 過ぎたる強さは、太平の世では害にしかならないのか。 


 恭之介は、自らを囲んでいる男たちを眺め、そんなことを思った。


 頭巾で顔を隠しているため正確にはわからないが、おそらくこの男たちは、更木一刀斎ざらきいっとうさいの一派だろう。


 先日、恭之介は天下無双の名をかけて、更木一刀斎と立ち合った。天下無双の名に興味はなかったが、強さを求める上で、今世最強と名高い更木一刀斎を避けるわけにはいかなかった。


 結果はあっけないほどの完勝。恭之介が完膚なきまでに打ち負かした。立ち合いは竹刀だったので、真剣の立ち合いのように、命のやりとりをしたわけではなかった。


 しかし、誰が見ても圧倒的な力の差が両者の間にはあった。


 長年、天下無双と呼ばれてきた一刀斎にとって大きな敗北、大きな恥に違いない。


 加えて、その立ち合いの後に、お偉方への仕官を断ってしまったのも良くなかった。それを受けていれば、一刀斎も忸怩じくじたる思いを抱きながらも、怒りと恥を抑え込むしかなかっただろう。このように命を狙われることもなかったはずだ。


 結果的に、一刀斎とお偉方の面子をつぶしてしまった。もう少しうまく立ち回るべきだったのかもしれないが、修行に明け暮れ、人とあまり関わってこなかった恭之介にそんな器用な真似はできない。もちろん、堅苦しい身分への仕官も考えられない。出世のために強さを求めたわけではないのだ。


 ではなぜ、強さを求めたのか。実際のところ大きな理由はない。ただ、物心ついた時からそう生きてきたのだ。


 漠然と、自分の剣が人の役に立てば良いとは思ってきたが、具体的な考えは何もない。身分の高い人間に剣を教えたり、金持ちの用心棒をするのはちょっと違うかな、と思うくらいだ。


 そういう考えなしのところが、今の事態を招いてしまったのかもしれない。だとしても、命を狙われるほどのことではないと思う。


「どうして私を襲うのですか」


 思わず聞いてしまった。理由を聞いたところで納得できるとも思わないが。


「お前のような奴を野放しにできるわけないだろう」


 声に少し震えがある。


 真剣を構えていることに気負いがあるのか。


 それも仕方がないのだろう。それだけこの世は平和なのだ。真剣で斬り合ったことのある武士がどれだけいるのか。


「私がどんな人間だと言うのですか」

「人外の腕を持ち、誰もがうらやむような仕官を断った男など、腹に一物を抱え、何か良からぬことを企んでいるに決まっている」


 なるほど、そういう理屈か。恭之介は思わずうなずいてしまう。


 全く見当違いの思考だ。しかし、相手にこちらの本心を信じさせるのは至難の技だろう。何せ、彼らも命令した者もそう思い込んでいるだろうし、むしろそう思いたいに違いない。


 やはり過ぎたる力は、害にしかならないのだ。明らかに多くの人間が自分に恐怖を抱いている。手の届くところにいなければ、怖くて仕方ないのだろう。


「ここで死んでもらおう」

「さすがに死ぬわけにはいきません」

「この人数を見ても抵抗するのか」

「人数は関係ありませんよ」


 全部で十二人。囲みから外れ、少し離れたところでこちらを伺っているのが、一刀斎だろう。


 さすがに一刀斎に怯えは見えない。仮にも天下無双と呼ばれた男だ、当然だろう。竹刀の時とは比べ物にならない気迫をまとっている。真剣での立ち合いでいえば、恭之介よりもずっと経験があるはずだ。


 それだけに集団で襲ってきたというのが虚しい。尋常な立ち合いであれば、名を汚すこともなかったのだ。手下に襲わせ、隙を見て斬る。天下無双のやり口ではない。


「一刀斎殿ですよね」


 切っ先を向ける。


「天下無双と呼ばれてきた方ならば、尋常に立ち合いませんか。このままでは多くの命が散ってしまう。あなたと私で決着をつけるべきでは」


 しかし、一刀斎は微動だにしない。むしろ周囲の武士の方が狼狽したくらいだ。


 十一人を捨て駒にしてでも、絶対に恭之介を斬ると決心したのだろう。この十一人もすべて彼の刀と思えば、わからなくもない。


「死んでくれ」


 さっきまでしゃべっていたのとは違う人間が、震えた声でつぶやくように言う。


 なぜ自分が死ななければならないのか。当然、納得はできない。


 しかし理由はわかった。自分は不用意に強くなりすぎたのだ。信念や欲がない強さは、この平和な世の中では、不気味で害あるものとしか見られない。


 相手に華を持たせる器用さや、人並の欲があれば違ったのかもしれない。しかし、どちらも恭之介にはなかった。あったのは、強さへの渇望だけ。それゆえ、ただ強者を求めてさまよい歩き、しまいには国の中枢と関わるところまで来てしまった。 


 そう考えると、この状況はなるべくしてなっているのだろう。自らの考えなしさに思わず、自虐めいた笑みがこぼれる。


「わ、笑ったぞ」


 その笑みは、どうやら恐怖をあおったようだ。囲んでいる男の何人が後ずさりをし、輪の形が乱れる。


「囲みを乱すな。怯えるでない」


 一刀斎の静かな檄が飛んだ。それでいくらか落ち着きを取り戻す。気負ったり怯えたりしてはいるが、ここにいる者はみな、それなりに経験を積んだ腕の立つ者たちなのだろう。


「無意味に斬りたくありません。斬られたくない人は引いてください。もちろん、誰だったのかなど詮索もしません。私は何事もなかったように宿へ帰ります」

「笑止。自分の状況がわかっているのか」


 最初に話していた男が、自らを叱咤するかのように大きく声を張る


「もちろんわかっています」

「それほど自分の腕に自信があるのか」

「自分の腕に自信を持ったことなど一度もありません。しかし、一つの傷を負うことなく、私はあなたたちを斬るでしょう。それはわかります」

「ふん、それを自信と言わず、なんと言うのか」

「単なる力の差です」

「そうか、ならば調子に乗ったまま死ねい!」


 しゃべっていた男が抜刀した。それに呼応し、ほかの武士も全員、刀を抜く。


 恭之介も自らの佩刀、暮霞くれがすみをゆっくりと抜いた。その瞬間、囲んでいる者たちの緊張が目に見える形で増した。すでに手が震えている者もいる。


 じりじりと囲みが小さくなる。互いの剣先が触れ合うかどうかという距離になったとき、三人が同時に打ちかかってきた。


 いつからだろうか。立ち合う相手の動きがゆっくりと見えるようになったのは。緩慢な三人の動きをはっきりと捉える。


 恭之介は、わずかに体をひねり、かわしながら刀を振るった。三人の首筋から、示し合わせたかのように血が飛ぶ。彼らからしたら一瞬の出来事で、何が起こったのかわからないだろう。


 三人は怪訝な顔を浮かべたまま地面へ伏した。残された者たちは、あっけにとられたように、しばし動きを止めた。


「化け物め!」


 かすれた声が響く。


 叫んだのは、この中で一刀斎の次に腕の立つ男だ。それほどの腕を持つ男でも怯えは隠せていない。


「ひるむな、かかれ!」


 男の声を皮切りに、一刀斎以外の八人が襲いかかってくる。もはや陣形も何もない。恭之介の腕前に気圧され、命を賭けた無謀な動きしかできないのだろう。恭之介も前に出る。もはや全員を斬る気などない。最も弱いと思われる二人の間を斬り抜け、一刀斎の前に立つ。


「もう一度言います。あなたと私で立ち合い、それで終わりにしませんか」

「黙れ!」


 威勢とは裏腹に、一刀斎の身体がわずかに後ろへ下がる。


「くっ……おぉぉぉ!」


 無意識ながらに下がってしまった自分を恥と思ったのか、一刀斎は気合を入れるように叫んだ。


「更木一刀斎!我は天下無双なり」


 名乗りながら頭巾を取った。心を決めたようだ。


「お見事です。音鳴恭之介、お相手いたします」

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