第15話 彼女の『個性』
「―――ううッ!」
隻腕となったアカネが呻く。
シズの方は、その光景に息を呑んでいるのがやっとだった。
物の怪が止めとばかりに、再び剣を振り下ろす。
「くそっ」
それは、間一髪で空を切った。剣圧で花弁が舞い、一瞬、視界が遮られる。
だが、それと同時に、物の怪が何か、卵形のものを放り投げた。
シズにはそれがなにかわからなかったが、アカネは驚愕の表情で、
「酸化爆弾っ! こんなものまで!」
「こんなものまで」の「こん」の部分で、爆弾は炸裂する。
周囲に赤茶けた色をした粉末が飛び散り、二人を包み込んだ。
シズは慌てて目をつぶって、地に伏せる。
三十秒ほど、そうしていただろうか。
「……。逃げたわ」
アカネは粉末をもろに受けたらしく、髪の毛が赤色から赤茶色に様変わりしていた。恐らく、自分の髪もそうなっているだろう。
「え……あ……あの……」
シズの視線は、アカネのとある箇所に集中している。
その、――斬り捨てられた片腕に。
「う……あ……あわわ、アカネさん、だいじょうぶ……?」
自分には、《医療技術》がある。だが、検索しても検索しても、正確な情報が出てこない。混乱しているらしい。
「うん? あー、これ? 大丈夫よ」
アカネはこともなげに、切り落とされた腕を拾って、玩具を接着剤でひっつけるみたいに、切断面を合わせた。
「ぐむぅ。……“ヒート・ブレード”かぁ。ほとんどの細胞が死んでる」
独りごちて、少し目を瞑る。そして、「えいっ」と言ったかと思うと、奇妙なことが起こった。
アカネの身体が、どんどんしぼんでいくのだ。少なくともシズにはそう見えた。
焦げた右腕に見る見る血色が戻り、三十秒もしたころには完全にくっついていた。そして、アカネは痩せ気味の一歩手前ぐらいの、平均的な女性の体型になる。
口をぱくぱくさせてその様子を見ていると、
「じゃじゃぁーん。元通り!」
少し自慢気に言う。
「な、なんなん? その『個性』」
「戦時中はこういう能力がたくさん開発されたのよねー。あたしをただの太ったり痩せたりする人形だと思ってたでしょ?」
思っていた。変な欠陥を持った人形だと。
口には出さなかったが、表情で今の言葉を読み取ったらしく、
「ま、実はこれ、試作段階で大量の栄養摂取が必要なことが判明して、製造中止になったのよ。なんだっけ、へーたんだっけ? なんかそういうのが崩壊するとかで。だから世界でこの個性を持ってるのって、あたしだけなんだよねー。いいでしょ?」
あっはっは、と、歯を見せて笑う。
シズは、頭ごなしに怒鳴られることを覚悟していただけに、拍子が抜けた。
シズが何とも発言できずにいると、アカネは思い出したように袋をまさぐる。
「これは……大丈夫かぁ。プラスティック製だからかな」
アカネは携帯端末と、ついでにもう一つ、黒くてぼろぼろの塊を取り出した。
「あー、最後の一丁も酸化してる……」
ため息をつきながら、袋をひっくり返して中の粉末を落とす。
遅れて、シズがあの奇妙な人形から手渡された拳銃も同じく、黒い粉末と化していることに気づいた。
ついでにいうと、頭のなかから聴こえてきた『命令』も消滅している。
(何故? どうして?)
……そう思ったが、考えても結論はでない。
「そんじゃー、行くわよ」
ひっくり返ったままのシズを起こして、手を引く。
「行く? 行くってどこに?」
「決まってるじゃない。物の怪退治」
「……な。何言ってるん」
「でも、放っておく訳にはいかないでしょう? あたしいちおー、保護隊員ってことになってるし。ああいうのって、あたしらみたいな人形がどうにかした方がいいに決まってるし」
「そりゃ、そうかもわからんけど」
「それにね、ああいう戦闘用ロボットは、ターゲットと決めた相手を永遠に攻撃し続けるわ。この場合は、あたしと、……たぶん、あなた。あれをこのまま放っとくのは、あまりにも危険よ」
確かに、それはそうかもしれない。
人間は、物の怪に対して驚くほど無力だ。
他に被害が広がる前に、こっちから打って出た方がいいかもしれない。
「でも、ウチらもう、なんにも武器がないだぁ。勝ち目あるん?」
「まーねぇー」
根拠があるかどうかわからないが、妙に自信満々だ、なんとなく信じてみたくもなる。
「……そこまで言うんなら、作戦はあるんだぁ?」
「もちろん。全ておねーさんに任せなさい」
言いながら、アカネは適当に落ちている枝を拾った。
「まず、武器はこれで十分」
次に、シズの頭にぽんっと手を乗せる。
「それと、あんたにもちゃあんと役割があるわ」
「……ウチ、喧嘩は得意じゃないけど」
「戦う必要はないわ。ただ、観ていればいい」
「見てるだけ? それだけ?」
「ええ。でも、あんたがいなきゃ、成功しない」
「……なんで?」
アカネは、ふふん、と、妙にわざとらしく笑って、言った。
「劇には、観客が必要不可欠でしょ?」
▼
シズがその夜に観たものは、ひどく現実離れしていた。
携帯端末で調べた金属反応に近づくにつれ、空気が張り詰めていく。喉は麻痺したみたいに動かなくなり、シズは口が利けなくなった。
二人は途中まで一緒に歩いていたが、アカネが早足になって行くにつれ、シズとの距離が開いていく。
まだ肌寒い五月の夜。アカネは上着を脱ぎ捨てる。
今、彼女が手に持っているのは、頼りない木の棒だけ。
そんなもので本当に物の怪が倒せるの? とか。
もし、作戦が失敗したらどうするの? とか。
色々な質問がシズの頭に浮かんだ。
だけど、それを口に出すのははばかられる。理由は自分でもわからない。
不可解な法が場を支配していた。
まずアカネは、よく通る声で、こう叫ぶ。
『さあーて! また三人が揃うのは、いつになるかね! 雷、稲妻、それとも、土砂降りに誘われて?』
言葉は闇に吸い込まれた。同時に、世界が動き出す。
シズはあたりを見回した。なんとなく、気配がある気がする。
どこか知らない場所で、じっと見つめられている。そんな気がした。
『騒ぎは終わり、敗北と勝利の、その後で』
驚いた。
アカネは一人でしゃべっているに過ぎない。
だが、声は最初の叫びと明らかに違っていた。
キミタカやシズに接するときの声と、その他の人と接するとき。
アカネは元々二人分の声を使い分けていたが、そのどちらともいえない、しわがれて、毒々しくて、それでいて張りのある声。
いま、アカネは三人の魔女だった。
『それなら、夜明け前には片付くね』
『場所はどこ?』
『そうだ。そしてマクベスに会う』
『綺麗はきたない。きたないは綺麗。
さあ! 飛んで行こう! 霧の中、汚れた空をかいくぐり!』
一人芝居は一段落。
数秒の間が空く。
暗闇の中から現れたのは、あの物の怪だ。
物の怪はアカネに応えるように、舞台に現れる。
もっとも、アカネならこういうだろう。「応えざるをえずに」、と。
作戦がうまくいったことに感動している暇はなかった。
物の怪は酷く苛立たしげに、なにか落ち着かない様子で当たりを見回す。
『おい……おい! あの血みどろの男は何者だ?』
シズは安心した。その苛立たしさは、もはや人間のもの。いや、それ以上だ。
物の怪は今、間違いなく反乱軍の様子を伺う王になっていた。
『あれなら、戦の様子も知っていよう……』
今度は物の怪の番である。物の怪は数人の男になり、それも見事に演じ分けた。
呼吸の数、肩の震え、足取り。
一人一人に個性がある。
一人一人が、間違いなくその場所に生きていた。
だが、後々言っていたアカネの言葉を借りると、シズもこの場における、大きな役所を演じきったのだという。
すでにシズは、この劇の観客として、舞台に溶け込んでいた。
男性役は物の怪が。女性役はアカネが。
マクベスの裏切り。
マクベス婦人の野心。
二人は時に仲むつまじい夫婦となり、敵意と悪意を織り成した魔女と幻影となり、天使にも、悪魔にもなった。
一つだけ言えることがある。
この二人はきっと、稀代の演者であるということ。
シズは、アカネの言葉を思い出す。
――いい? マクベスは、戦争用の機械じゃないの。そんなもの、もうこの世には存在しないのよ。百年前に、大きな戦争があって……ってまでは知ってる?
シズは頷いた。
――その戦争で、ほとんど全ての純粋な戦闘用のロボットと人形は壊れてしまった。全ての国が、全ての戦う武器を摩耗して、ついに無くなってしまったの。あいつは戦争のために作られたんじゃない。さっきもいったけど、演劇用のロボットなのよ。あんたやあたしを襲ってきたのは、後付のプログラムに過ぎない。
アカネの顔色を伺うと、笑っていた。自慢話でもするみたいに。
――クラシックを演奏するロボットが、人形が。歌手が、役者が、メイドが、セクサロイドも一緒になって、敵に向かって行軍していった。
それはひょっとして、物凄く恐ろしくて、とてもとても哀しいことなのではないか。
アカネは今度こそ屈託無く、にこりと笑った。
――でも結局、あたしたちは、生み出された理由と目的を忘れることはできないのよ。
『マクベス』の劇は続いていく。裏切りと戦争。予言により不死身を宣告されたマクベスは、裏切りの代償として全てを失い、最後の戦いに挑む。
物の怪、いや、マクベスは、一人で剣を振るっていた。だが、確かに敵の姿が、はっきりとシズにも見えた。小シュアードとの激しい攻防。ついにマクベスは彼さえも打ち殺す。
『だれが自らの太刀で死ぬものか。目の前に生け贄がいる限り、そいつをぶった斬った方がまだましだ!』
そこで遮るように、アカネの声。
初めて、アカネが男の役に割り込んだ。スコットランドの将軍、マクダフである。突然のことに、シズも驚く。
『まちなっ! 地獄の犬!』
その場の空気が止まる。
シズも一瞬、我に返って息を呑み、物の怪を見つめる。
物の怪は、小さく、
『そうか……そういうことか』
と、呟いた。
『だが。……私は女の股から生まれた者には、倒せんぞ』
「馬鹿ね。あたしは魔女よ。そんなまじないの効き目、いつまでも続くと思って?」
シズは、物の怪が笑うのを見た。間違いなく。
その時に感じた気持ちは、後々誰か話しても、どうしても人に伝わらなかったことの筆頭である。
シズには、その物の怪が酷く寂しく……笑っているように見えたのだ。
ようやくこれで、終わることができる、と。
気がつけば、頬を涙が伝っていた。
そして、クライマックスの殺陣が始まる。
マクベスのヒート・ブレードがアカネをかすめ、アカネの木の枝もマクベスには当たらない。お互いに武器を当てないで、数ミリのところで武器をかすめ合った。
ダンスは、突如として終演が訪れる。
お互いが武器を取り落とし、木の枝とヒート・ブレードが交差するように宙へ舞い、二人の足下に突き刺さった。
アカネは剣を抜く。
物の怪も同じく。
二人とも、迷い無く、一直線に相手に突撃していく。
マクベスは上段に振りかぶり、アカネは下からすくい上げるように剣を振るう。
閃光が、走った。
ヒート・ブレードが鉄を焼く匂いがして、周囲が煌めく。
あたりが昼のように照らされたかと思うと、――すぐに静寂と闇が舞い降りた。
マクベスの首から上が分断されて、天高く舞う。
鋼鉄の塊が二人の足下に、ぼとりと落ちた。
アカネのとぎれとぎれの息だけが、シズの耳に届く。
だが、
『アカネ。変わらない。良い役者』
首だけになった物の怪が、口を利く。
今だけは、劇の台詞ではなく、自分の言葉でしゃべっているようだった。
「あんたこそ」
(二人は知り合い? アカネが役者?)
シズは、何事か口を挟もうと思った。……が、できなかった。
まだ、演劇は終わってない。
二人の間には、決して入っていってはいけない。そんな気がした。
「誰に雇われたの? 反人形主義者?」
アカネはヒート・ブレードを放り投げて、マクベスの隣に座り込む。
『目の前のユニットに、その質問に答える権限は、ありません』
急に女性の機械的な音声が、マクベスの喉から出る。
がん、と、アカネはマクベスの頭を叩いた。叩いたアカネの方が痛そうだったが、アカネは構わず、言う。
「あたしらの仲でしょうが。あたしが復讐するとおもう? それこそ
シズに何かを強要するときにする、あの、我が儘な態度だった。
マクベスは黙っていたが、しばらく黙った後に答える。
『……妹』
「そう。やっぱあいつか」
アカネはそれだけで十分だったらしく。緊張した空気をいくらか弛緩させる。
「それにしても、あんたも、よくもまあ、長生きしたもんね……何人殺ったの?」
『……忘れた』
「嘘吐け。機械のお前が忘れるわけ、ないでしょ」
物の怪の声が、なんだかとぎれとぎれになっていく。何かの音や台詞や音楽が混じり合わせになったような、奇妙な音だけが鳴るようになっていく。
最期に、思い出したように、
『アカネ。比べる。少ない……』
そう言って、止まった。
シズは、気がつけば手を叩いていた。耳には万雷の拍手が聞こえていた。
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