第8話 サジタリウスの矢
ゴキブリ退治も一段落して。
キミタカはつまんだゴキブリの死骸を薪に放り込んだ。
妙に香ばしい臭いが当たりに立ち込めて、再度ため息をつく。
いま、ここに残っているのは、島田一士とキミタカの二人だけだ。
アカネは、何も言わずに例の基地の方に行ってしまっている。
よくわからないが、よっぽど”月を壊す”兵器を手に入れたいらしい。
「しかし、入隊一ヶ月で物の怪に挑むバカが出るとはな」
島田一士は、むしろ嬉しそうに言った。
「……大したことはできませんでしたが」
ウッヒッヒ、と、笑ってみせる先輩隊員。
「十分さ。――お前は十分、伝説を作ったよ。できすぎてるほどに」
「そうですか?」
「気づいてたか? 今日はお前、入隊してからちょうど一ヶ月だ。入隊一ヶ月目に、物の怪に挑むも、玉砕。……実にすばらしい」
キミタカは応えず、顔を背けた。
「ちなみに今日な、お前の歓迎会をやろうって日だったんだぜ」
「そうだったんですか」
「ここにゃあ、入隊直後のシゴキを一ヶ月耐えた新人の寝こみを襲う決まりになっとるからな」
それは、なんというか、ずいぶん穏やかではない話だ。
「基地じゃあ、別働隊が待ってるぞ。シズちゃんに言って、酒も肴も十分すぎるほどに用意してる。――ああ、それと、明日は休暇を申請しておいたからな。昼まで寝ていても構わん」
「あ、……ありがとう、ございます」
きまずい思いでそういう。
「それと、神園隊長は明日の午後、自室に一人でいる。何か話があるなら、その間がいいぞ」
キミタカはその言葉の意味を正しく解釈した上で、
「……どういう意味です?」
真っ直ぐ、目の前にいる同室の先輩を見据えた。
「言葉通りの意味だが」
「……いつから?」
「やりがいに満ちた仕事じゃないからな。そういう感じの新人は、山程見てきた」
ポケットの中に入れたままの『辞表』に触れる。
「……ま、それはそれとして。今日は楽しめや。何の気兼ねも必要ない。短い間でも、俺達はきっと、友達だった。――それで十分だろ?」
キミタカは、とてもではないが、意味のある言葉を口にすることができなかった。
ただ、
「了解です」
脊髄反射的に、そう応えるのがやっとだった。
「まあ、そうは言っても、だ。宴の前に、キミタカくんには、あの素敵な女性をエスコートする義務が発生している。わかっているな?」
島田はキミタカの肩をぽんぽん叩く。
「また、つけるつもりですか?」
「今度はつけねえよ。男と男の、約束だ」
言って、最後のゴキブリを火の中に投げ入れた。
「そのかわり、キスの一発ぐらいはかましてこい」
▼
注意深く基地の方向に進むと、真紅の髪を揺らしながら、アカネが出てくるのが見える。
「月は壊せそうですか?」
訊ねると、アカネは両腕で、大きくバツの字を作った。
「危ないし怖いし、すぐ帰ってきちゃった。また今度、明るいときにでも来るわ」
「そうですか」
「でも、いいの。ちょっとした収穫もあったし」
どうやら、特に落ち込んでいる様子もない。
「……他の連中は?」
アカネは、少し落ち着かない様子で当たりを見回す。
「今はもう、いませんよ」
キミタカは確信を持って断じた。
島田は嘘を吐くタイプの男ではない。嘘を吐かずに人を騙すタイプの男だ。
「恐れいったわ。さすがは“英雄”さんたちってとこかしら」
苦笑混じりのアカネに、キミタカは素っ頓狂な声で答えた。
「誰が、なんですって?」
「あら、聞いたことない? 淡路島の第三十二国民保護隊っつったら、二年前の小規模な内紛を解決したって、有名じゃない」
寝耳に水だった。
「そんな話……誰からも」
「あら、そう? 端末で調べりゃ一発だったけど」
「でも、内紛の話は……どっかで読んだことがあります」
淡路島の洲本付近に住む世間知らずな領主が、淡路島の独立を表明した……というニュースは、どこかで聞いたことがある。
国家存続に関わる重大なニュースとしてではなく、物笑いの種として。
《人形》は、基本的に人間の政治に関わろうとしない。だが、大きな争いごとに関してはほぼ無条件で介入する。
そして、争いに加担した全ての勢力は例外なく武装解除された上で捕縛されてしまう。
金属を見ただけで行動不能になる人類と、金属を自由に扱う《人形》とでは、端から勝負にもならないのだ。
「てっきりあの時も、《人形》が解決したものと」
「いいえ。人形部隊に出動命令が出た頃には、完全に武装解除されていたんだって」
「へえ」
素直に感心する。
「彼らの仕事は早かった。事態が起こってから一晩経つころには何もかも解決していた。争いごとは広まらず、不必要な犠牲者も出ず。――新聞にも大したニュースとして載らなかった、と、そういうことね」
「なるほど」
言いながら、頭の中ではどこか納得できないものを感じている。
(英雄? あの、タチの悪いガキの集まりみたいな先輩たちが?)
その情報がどのような意味を持つか、頭の中で整理しかねていると……その時。
「……みてっ」
彼女が指し示す方向に目を向ける。
「――?」
その光景に、思わず目を見張った。
十数個の鮮烈な光が、基地の方角から真っ直ぐ上空へ向かって伸びているのである。
光は数百メートルほど空へ向かった後、一瞬だけそこで静止し、
――ドォンッ!
瞬間、当たりが昼のように明るくなった。
爆裂は、一度では終わらない。十数個あった光が、続けざまに爆裂し、数千に分かたれた光の線となって、夜空に溶けていった。
「これって……」
キミタカが次なる言葉を見つけ出せないでいると、
「ちょっぴり、花火みたいね。綺麗だわ」
と、アカネが続く。
「ええ。……漫画で読んだことがありますけど。実物は始めてです」
(隣にアカネがいなかったら、泣いていたかもしれん)
ふと、心のなかに湧き上がった奇妙な感情を振り払いながら、キミタカはぼんやりと空を見上げた。
見世物の時間は、ほんの三十秒ほどだったろうか。
当たりに静寂が戻ってきてから、
「あれ、なんだったんです?」
訊ねる。
「”サジタリウスの矢”っていう、
キミタカは首を傾げる。言葉の意味がうまく呑み込めなかったのだ。
「サジタリウス……?」
「ええ。簡単に説明すると、空に打ち出して、数千個の鉄球を地上に降り注ぐの。ソウジキみたいに、何かの拍子に勝手に起動したら危ないから、安全圏で自爆するよう、セットしておいたって訳」
「ああ、……なるほど」
基地は、また深い眠りに落ちていた。
キミタカは興奮冷めやらぬ気持ちで、ぼんやりと空を眺めていた。
「先輩たちも、見たでしょうか」
「このへんにいるなら、どこからでも見えたんじゃない?」
「なるほど」
自分でもよくわからないが。
今のこの気持ちを、――誰かと、あわじ駐屯地にいる誰かと共有したいと思っていた。
彼らは今、自分のことを待ってくれているという。
「今日はどうも。……ありがとうございました」
キミタカは、自然とその言葉を口にしていた。
「……ん」
対する《人形》は、小さく頷くだけだ。
「実を言うとさ。あたしってば、これまであんまり、友達っぽい相手に恵まれなくてね」
「そうだったんですか」
「そんな訳で、今日はちょっとばかり、サービスしてみた感じ。……どう?」
思わず、苦笑が漏れる。
不器用な人だな、と思った。
「実を言うと俺、同期が一人もいなくて。愚痴を言う相手がほしかったところなんです」
「あらそう」
「案外、話し相手がいるだけで、色んな辛いことに耐えられたりするかもしれません」
「そうね」
それだけで十分だった。
二人が”友だち”という名の契約を交わすには。
キミタカは、しばし花火の余韻に浸った後、
「……じゃ、今日は帰りますか。ごちそうが待ってるそうですよ」
「うん」
踵を返して歩き出す。
▼
帰り道。
ポケットの中に封筒を入れっぱなしだったことに気づいた。
若き保護隊員は「辞表」と書かれたそれをくしゃくしゃに丸めて、そっと草むらの中に投げる。
きっと後悔することになるぞ、と、心のどこかで思いながら。
▼
―――――――
――――――――――――――
――――――――――――――――――――――――――――
『――少し、長くなってしまいました。
朝の課業が始まるので、そろそろ筆を置かなければなりません。
朝は、新人の俺が一番に起きて、基地内を掃除して回ることになっているのです。
では、また何かあったら手紙を出します。元気にやっていますので、ご心配なく。
美鈴も、寒さの厳しい折、くれぐれもご自愛下さい。 敬具
追伸 そうそう、書き忘れてましたけど、わざわざ手紙の料金まで送ってくれなくても結構ですよ。こちらもそれなりの給金をいただいてるので、次からは自腹で手紙を出します。
気を使わないでください。』
一章 了
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